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【湊かなえ『告白』】最近読んだ本について書くなどしてみたい②


はじめに

みなさん、おつかれさまです。くろみどり先生です。

今回は目次付きでお送りします。

突然ですが、私、かつてゲーム『ボクらの太陽』シリーズ(小島秀夫さん監督・プロデュース作品)にどハマりしておりました。

ゴシックホラー&マカロニウエスタンな世界観と音楽、今でも大好きです。もう20年も経つのか

お気に入りは『無印』の太陽都市と『続』の螺旋の塔ですね。

機会がありましたらBGMを聴いてみてください。当時は胸を打たれたものです。

『新』では応募者全員サービス(だったと思う。こういうの今でもあるのかな?)のアストロもゲットしてました。

ああ、もちろん漫画版も読んでましたよ。

いきなりなんだこいつ…と思われたでしょうが、

このゲームのサバタというキャラクターの残暑についてつぶやくボイスが印象的でですね、近頃よく真似させてもらっているのです。

あのいつもクールなサバタが若干くたびれた声で言うというところがかわいらしいんです。

(いつかカーミラさんとふたりで幸せになって欲しい…ヴァナルガンドはジャンゴくんが消し炭にしてくれるさ…だから幸せになって…老婆心ながら切に願っておりますよ…)

はい。ただそれだけを言いたかったのです。ごめんなさい。まだまだ残暑ですねえ。みなさんどうかご自愛くださいね。

やっと読めた

さて、タイトルの通りですが、ちょっと前に湊かなえさんの『告白』を読みました。

第6回本屋大賞受賞作品です。

ずっと昔から読みたかったし、なんというか読んでないと読書好きだと胸を張って言えない的な勝手な恐怖心がありましたので…ついに読めた!という感じでした。

その『告白』の感想ですが、一言でいうと…

地獄のような小説でした。

地獄というのは死後に行くところではなく、地球上のあらゆるところに今この瞬間も存在しているものだということを、私はかつて奈須きのこさんの『空の境界』で学びました。

そういう「日常的に確かにある地獄」の、ある一部分がぎゅっと作品になっているという感じでしょうか。

登場人物たちにとっては紛れもなく地獄だったでしょう。

でも、苦しい苦しい話なんだけど疲れない、中断したくない、一気に最後まで読みたい、そんな風に思えた、とても面白い作品でしたね。

あらすじとしては、娘を殺された教師の女性が復讐をするというストーリーです。

各章で視点が別の登場人物に切り替わり、事件の裏側が徐々に明らかになっていきます。

前の章で描かれていた人物の隠れた心情について、次の章で「実は…」と連結して発覚していくという構造になっています。

最終的には、事件に絡んだ人間は基本全員地獄に落ちていったように思えたので、そういう意味で、意外性ある結末を含め読後感はすっきりするものでありました。

と同時に、です。

過ちと償い

過ち

私も、今までの自身の犯してきた過ちを改めて思い出しました。

多くの人を傷つけてきました。

そんな自分はこんな風にのうのうと生きてていいのかなあと考え直したわけでございます。

再び『空の境界』で学んだことですが、

罪の意識による選択はしてはいけないと。
その選択によって発生した罰をこそ受けるべきだと。

今までこのことを胸に生きてはきましたが、とはいえ果たしてこれでよいものか、と毎日考えています。

私の大好きな、天野こずえさんの『ARIA』のキャラクターたちのように、失敗しながらも明るく前を向いて進むことを許されるのは、(多少の失敗はともかく)努力してきれいに生きてきた人間だけなのかな、と。

(昔は「いつかアリシアさんみたいな素敵な大人になりたい」と願っていたはずなのに…あ、『ARIA』は名作です。ぜひ。いつか記事書きたい)

自分が恵まれていることに感謝して一生懸命生きるというだけで、私は本当にいいのかな、と。

やっぱり私も地獄に落ちるべきなんだろうなあ、と。

そう感じました。

償い

…ところでみなさんは、償いというものをどのようにお考えでしょうか。

自らの命を断つにしても死んで楽になろうなんて甘いのだろうと思うし、

悔い改め生きるにしてもそれは自己満足であって被害者が救われるわけではない。

創作物上では「あなたは十分苦しんだから…」なんて台詞もあるでしょうが、じゃあ「十分」とはどこからどこまでで、それは誰が決めるのか。

その前に裁きの場に「立つこともできない」ような罪もあるだろう。

そもそもこうして罪悪感に悩むこと自体が実は甘えた自己陶酔に過ぎないのではないか。

罪悪感なんて言葉を使うくらいなら最初から過ちを犯すなよ…なんて声も聞こえてくる。

みなさんはいかがお考えになるでしょうか。

ご意見等お待ちしております。

まあそんなような意味でいうと、『告白』の登場人物たちには、自分の罪に全く向き合っていない、気持ちのベクトルが全く別のところに向かっている、といった感触がありました。

私の強迫性障害

また、登場人物が(ウイルスとその拡散に怯えて)潔癖症になった(ように母親には見えていた)場面では、その苦しみについてはものすごく想像できました。

私は強迫性障害があります。

スーパーざっくり説明すると、

強迫性障害とは、小さなことが気になって何度も確認したり、ありえないと理屈でわかっていても繰り返し恐怖にとらわれて動けなくなったりしてしまうなどといったもので、

何に対してどのように不安になるかは千差万別です(これは個人的な解釈であり、正しく説明できているかわかりません、申し訳ありません)。

私の場合だと、主に衛生方面で強迫観念に駆られることが多いです。

実際のところはだいぶ違うだろうと思いますが、それこそ潔癖症をイメージしていただければわかりやすいかもです。

最近は克服しつつあるものの、一時期は何度も何度も確認行為をしたり疑心暗鬼になったりと、非常に苦しんでいました。

そのため、前述した潔癖の場面では、かつて何十回も手を洗ったり洗濯したりしていたことなどを思い出し、

「いやーこれはきついよなあ」「すごく手が荒れそうだしお金かかりそうだなあ」なんて胸が苦しくなりました。

いつか自分の強迫性障害のことも記事にできたらなあと思っています。

森口先生

次に担任の森口先生についてですが(以下、犯罪などを肯定する意図はありません)、綿密な計画をもとに冷酷に彼らを追い詰め、さらに必要とあらば容赦なく追い討ちをかけていくそのさまは、結末まで読み進めていてまさにあっぱれという感じでした。

ただ、これは私の好みという話ですが、もし彼女が彼らを1人直接討ち果たしていたら、キャラクターとしてもっと好きになれたかな、とも思いました。

以下、森口先生の言葉を引用します。

道を踏み外して、その後更生した人よりも、もともと道を踏み外すようなことをしなかった人の方がえらいに決まっています。でも残念なことに、そういう人には日常ほとんどスポットが当てられません。学校でも同じです。そして、それが毎日まじめに生活している人に自己の存在価値への疑問を抱かせ、時として、マイナスの思考へと向かわせていく原因になっているのではないでしょうか。

湊かなえ『告白』 第一章 聖職者 より引用

まず、これについて、私は半分賛成半分反対、という感じなのです。

内容的には賛成ですし、報われない悔しさも経験してきたつもりですが、

一方でここからここまでが「道」の範囲内だ、なんては人によってそれぞれ異なると思うのです。

自分は今までそんなに悪いことはしていない、なんて胸を張って言える人がいたら、そちらの方が信用できない気がするのです。

聖人君子のような完璧な人間などどこにもおらず、みんなそれぞれ(程度に差があるとは思いますが)誰にも言えないような過ちを犯してきたはず。

どんな過ちだったか、それをどう受けとめどう変わったかが大事で、仮に最後は地獄に落ちるとわかっていたとしても、それらを人間は自他ともに意識すべきなのではないかと思っています。

前述の言葉を言ったとき、森口先生は果たしてどのような気持ちだったのでしょうか。

自身についてはここでいう「道を踏み外すようなことをしなかった人」だとは思っていないのかもしれませんね。

間接的にとはいえ人を傷つけるという選択をしておいて、自分は「道を踏み外すようなことをしなかった人」と言いきるなんてのは通らないですから。

ただ、ここで私が思うのは、自分が「道を踏み外す」ことを覚悟していたとしても、

故意的にいじめを発生させることによって、無関係な「道を踏み外すようなことをしなかった」教え子たちを復讐に巻きこんでいるのではないのか?ということです。

より効果的な復讐のためとはいえ、無関係の人間を巻き込むやり方には、賛成できません。

たとえ森口先生が悲しみ苦しんだ結果だということを踏まえたとしても、です。

娘と遊んでくれた優しい生徒たちも確かにいたわけですから。

事件と関わっていない教え子たちの今後の人生をも歪ませる可能性は大いにあるでしょうから。

そしてもちろん、たとえ復讐のためであっても、いじめという手法を選んだところも肯定できません。

悪として悪を裁くなら、やはり森口先生が自分も地獄に落ちる覚悟でもって、1人きりで、それも直接対象に手を下し、その後しっかりと地獄に落ちきるところまでが人間としてのあるべき生き方ではないのか、と感じました。(あくまでも創作物の中での、ですよ)

ここは無関係な人間を巻きこんじゃだめでしょう、むしろ1人で無茶な復讐をしようとして失敗して闇の花と散っていくくらいの方がストーリー的には好みですね。

いやそうなるともはや別の作品だろ!

その他

…と、まあ、こんなようなことを思いました。
個人的な好みが満載です。

ちょっと極端でしたかね、感想はこの辺でおしまいとさせてください。

『告白』は、中学生~高校生にぜひ読んでみてもらいたいなあと感じた作品でした。
とても楽しい読書体験ができました。

あとがきの、映画化された中島哲也監督のインタビューもすごく面白かったです。

登場人物が嘘をついていることを、作品を読んでいて自然に見抜けるようになれたなら、これからの読書の楽しみの幅がぐっと大きく広がるよなあ、なんて思いました。

映画版もいつか観たいなあ。
松たか子さんの森口先生、めちゃくちゃ怖そう…

おわりに

とりあえず『告白』について現時点での感想を書いてみました。

前回の①では、短く何作品分も、という感じで考えていましたが、やってみると結構書けちゃうもんなんですね。

また、noteのいろいろなギミックにも挑戦することができました。うまくできていましたでしょうか?

筆のおもむくままざばーっと書いてしまったので、お前の感想ここ矛盾してるぞ!みたいな部分があるかもしれません。ご容赦ください。

もしご意見等ございましたら、お気軽にコメントでお知らせくだされば幸いです。お待ちしております。

最後に、苦手意識があった感想記事を、こうやって勇気を出して書けたのは、ひとえにいつも読んでくださっているみなさんのおかげだと思いました。

いつも本当にありがとうございます。

ではでは、今月はこの辺で失礼します。ありがとうございました。

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