あなたは待つ時間を楽しめますか?【春眠暁を覚えず】でおなじみ孟浩然の、心の広さが伝わる漢詩
時間を、持ち歩いてしまった私たち。
もし、友人が待ち合わせに遅れてきたら
あなたはどんな気持ちですか?
「私は時間通りに到着しているのに」
と不満に思うでしょうか。
それとも、周辺を散歩するなどして
待つ時間を楽しむことができるでしょうか。
ちなみに
私は遅れるのが怖くて、待ち合わせ時間よりも
かなり早めに着いてしまうタイプです。
1時間前に到着するのもざらなので、
必ず周辺の街ブラをします。
私は沖縄に住んでいるのですが、
「待つ」といえば、バスです。
到着時刻が20分遅れるなんてよくあること。
沖縄は車社会のため、交通渋滞がひどいことは
理解しているのであまり気にしていません。
…時々、バスは本当に来るのかと不安になることもありますが。
現在私たちは、いつでも時間を確認できます。
私たちはこの便利さと引き換えに、
「待つ」ことを楽しめなくなり、
さらにはストレスまで感じるようになってしまいました。
人類の歴史から考えると、
時間を持ち歩いていない時期のほうが長いと思います。
過去の人は、待ち合わせ場所に相手が現れない時
何をして、何を考えて過ごしていたのでしょうか。
【春眠暁を覚えず】
という漢詩が有名な孟浩然の詩から、
1300年前の待ち合わせの様子を
のぞいてみましょう。
孟浩然:宿业师山房期丁大不至
【書き下し文】
業師の山房に宿り、丁大を待つに至らず
夕陽 西嶺に度り
群壑 倏ち已に暝し
松月 夜涼を生じ
風泉 清聴に満つ
樵人 帰り尽きむと欲し
煙鳥 棲んで初めて定まる
之の子 宿来を期す
孤琴 蘿逕に候つ
【日本語訳】
夕日は西山の彼方に沈み
谷々は忽ちにはや暝くなった
松にかかる月に夜は涼しく
風さやぐ泉の響きは清らかだ
きこりは皆家路につき
雲ゆく鳥も塒に帰った
かの友が今宵泊まりに来るというので
ひとり琴を抱いて蘿の小路に待ち明かした
【解説】
業師(业师)とは、学のある先生のこと。
作者である孟浩然は、山中にある業師の家で
丁大という友人と会う約束をしていました。
しかし、いくら待っても丁大はやってきません。
孟浩然は若い頃科挙に失敗し、
その後からは隠遁生活を送っています。
彼は僧侶や道士とも交わりが深く、
今回登場した業師(业师)もその中の一人です。
孟浩然は待たされているにも関わらず、
怒る様子はなく
松からのぞく月や、塒に帰る鳥を
ゆっくりと眺めながら優雅に過ごしています。
待たされているのに、
どこか楽しさを感じる詩。
詩を見る限り、孟浩然は待たされて
ストレスを感じるどころか、
清らかな風が吹く泉を見て癒されています。
また、ひとり琴を抱いて
蘿の小路に待ち明かした(孤琴候萝径)
という句末で締めていますが、
私が調べてみたところ、琴の重さは6〜7kg
だそうです。
孟浩然は7kg近いことを抱きかかえながら、
「月の出ている夜は涼しい」
「きこりは仕事が終わって帰るころだな」
など情景を楽しむ余裕をみせます。
心が広すぎませんか?
詩の中では、待たされている内容よりも
自然の美しさを表現した言葉のほうが多いです。
待たされているのに、
なんだか
得をしているような
楽しんでいるような
そんな雰囲気が漂います。
心に余裕を持つこと。
簡単そうで難しいことですよね。
孟浩然は時間に追われる現代人を見て
一体何を思うのでしょうか?
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