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自己紹介:生い立ち・仕事・病歴

初めまして、Ayakoと申します。

メーカーの研究所で生物系研究職として様々な生物を相手に日々研究に取り組んできた傍ら、6歳男の子と3歳女の子を育てる関西在住の30代のママです。
そして上の子を出産後に不安障害を発症して以来、産後うつ病→双極性障害→統合失調症→非定型精神病(統合失調感情障害)と次々に診断名が変わる中で、様々な精神疾患の症状に苦しんできた過去があります。

それでも今は、優しく家族思いな夫と可愛い子ども達に囲まれての充実過ぎる毎日を送ることが出来て、自信を持って幸せだと言えます。
毎日が試行錯誤の連続でしたが、一歩一歩着実にメンタルの悩みを克服し、元気に楽しく過ごすための実践を繰り返してきました。

noteを初めて書くにあたり、そんな私の自己紹介から書き始めてみたいと思います。


私の生い立ち

生まれは首都圏の丘陵地で、都会に近いながらも綺麗な川や山といった大自然にも近いという恵まれた環境で、3人兄弟の長女として生まれ育ちました。

小さい頃はピアノ・水泳・そろばん・通信教育と様々な習い事に挑戦していましたが、人と話すことや自分を表現することが極端に苦手で仲の良い友達は少ない方でした。
ただ勉強は人と比べても良くできた方だったので、テスト前になると普段はあまり話しかけられない友達が向こうから勉強の質問をしに聞きに来てくれて、それがとても嬉しかったのを覚えています。

地元の小学校を卒業した後は私立の中高一貫の女子校に通い、そこでも成績はトップクラスでした。
入学したばかりの頃は、皆と仲良くできるか不安で緊張し過ぎて、休み時間はトイレに行ってばかりいました。

勉強以外も新しいことに挑戦したいなと思い、部活は硬式テニス部に入部して厳しい練習に果敢に取り組みました。
今でも硬式テニス部の友達とはLINEグループで繋がっていて、時々会っては近況を語り合っています。

大学進学後もテニスを続けたくて、大学でもテニスサークルに所属し、厳しい練習に取り組む中で多くの仲間との絆が出来ました。
私が後に様々な精神疾患の症状に苦しんでも諦めずに病気と向き合い、克服できたのは、テニスで培われた芯の強さが1番にあったのかなと今となっては思います。

私の職歴

大学では農学部に進学して生物全般を学び、大学院修士では昆虫について研究した後、新卒で日系メーカーに就職し、生物の研究所に配属されました。

私の専門は、DNA・遺伝子・タンパク質・代謝物といった生体内の分子を網羅的に調べて、生命現象の不思議な仕組みを少しでも明らかにすること。
そのために、これまでマウスやラットといった一般的な研究のモデル生物だけでなく、昆虫や両生類等の様々な生物種を対象に研究をしてきました。

どんな生物でも遺伝子の調べ方は共通している部分が多いので、自分の専門を極めればいろいろな生物の研究に応用することができ、幅広い研究に関わることができるのが楽しくて、私は研究職の仕事が大好きでした。
特に研究成果をまとめて英語の論文を書いたり、製品開発につなげたりする中で上司や先輩から「良い成果を出せたね」と喜んでもらえることが嬉しく、1人目の産休に入るまでは本当に毎日が充実していました。

ここまでは、私の人生は本当に順調だったのですが…。

私の病歴

すみません、、病歴については書くのに覚悟が必要なようで、また後日詳しく書きたいと思います。
簡単に箇条書きにすると、

  • 第1子出産7か月後の育児休業中に突如育児ができていない不安に陥り、不安障害と診断

  • 育児に対する自信をどんどん失って激しく落ち込むことが増え、仕事復帰3か月後には育児も仕事も何もできない状態になり、産後うつ病と診断されて1回目の休職

  • 抗うつ薬を増やした結果躁転して家族に何も言わずに遠出する等の異常行動が現れ、双極性障害と診断されて1回目の医療保護入院(家族同意の下の強制入院)

  • 薬の調節が上手くいって一旦症状が落ち着き、休職10か月後に仕事復帰

  • 薬を変更した直後に再び躁転して異常行動が現れ、2回目の休職

  • 投薬を全て中止して、休職2か月後に仕事復帰

  • 第2子出産6か月後にまた躁転して家を飛び出し、2回目の医療保護入院

  • 退院後自宅で療養するも症状が安定せず、妄想症状が現れて夢と現実の区別がつかなくなり、統合失調症と診断されて3回目の医療保護入院

  • 退院後に転院した先の病院では、これまでの症状の経過を総合して非定型精神病(統合失調感情障害)と診断され、退院後1週間で育児休業を終えて仕事復帰

(追記)
後日、詳しい病歴も書いてみました。

最初の不安障害の発症から約6年で、よくこれだけの症状を経験したのに今現在は仕事も育児もできているなと自分でも驚きます。
そして自分の症状に振り回されて、夫と子ども達にもこれまで多大な迷惑をかけてきてしまいました。

本当に、支えてくれる夫や子ども達、そして職場の上司や同僚の皆様には感謝してもしきれません。
私の周囲には優しくて病気に理解のある方々が多く、私は本当に恵まれているなと日々実感しています。

さいごに

ずっとnoteは見るだけだったので、かつ病気発症後は頭が働かなくなり書くことが本当にできなくなってしまったので、自分にも書き続けることができるのかとても不安です。
それでも、こんな自分でも今幸せに生きているよ、人生何とかなるよ、大丈夫だよって、1人でも多くの方に伝えられたとしたら、こんなに嬉しいことはありません。

病気発症後の自分の文章能力はこの通り壊滅的ではありますが、、自分の頭のリハビリのためにも自分なりにマイペースに何か書けたら良いなと思っています。
書き続けることで、いつか文章能力が向上してよりアウトプットが上手くできるようになると信じて。

私は絶対に自分の人生の可能性を諦めない。
今も十分幸せだけど、noteという新しいことに挑戦することで、更に幸せな充実した毎日を送ってみたい。

私の初めてのnote、最後までお読みいただき本当にありがとうございます。
こんな私ですが、これからどうぞよろしくお願いいたします!

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
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