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国総春試験を最小の努力で突破する方法(2024年度 政治・国際・人文区分 合格体験記)

 国家総合職春試験の政治・国際・人文区分に上位合格したので、その経緯をまとめる。


受験前

 学部3年生の秋ごろに受験を決意した。この試験に合格すると、省庁の採用候補者名簿に5年間掲載される。要するに、官僚になるチャンスが5年間与えられるのだ。そのことは、院進する予定だった私にとって、先行きが不透明な将来への保険になると感じられた。ただし、あくまで保険に過ぎないので、短い時間で効率よく試験対策を済ませたいとも思っていた。
 
 ところが、予備校のサイトには、1500時間の勉強が必要と書いてあり、絶望。1日10時間くらい勉強しないと間に合わない。効率でどうにかできる次元を超越している。やる気を喪失し、そのサイトをそっ閉じ。何から始めて良いかわからないまま、冬が訪れる。さらに2月以降は、アルバイトの繁忙期に突入。結局、効率的に対策をするどころか、対策自体を一切行うことなく、試験当日を迎えた。


一次試験

 一次試験前夜(3月16日)、私は飯田橋のバーでワイングラスを傾けていた。アルバイトの慰労会があったのである。そういうことなら、此方も飲まねば…無作法というもの…。いつもの調子でそのままオールしそうになったが、なんとか試験の存在を思い出し、終電で帰宅した。
 
 試験当日の朝、布団の引力を振り切り、時間ピッタリに会場に到着。まもなく、最初の試験である基礎能力試験(教養問題)が始まった。ところが、試験開始早々、時計を持参していないことに気づく。もはや、そのレベルの準備すらままならない。付け焼き刃どころか、刃を付けることすらできていない。試験監督が一番前の机の上に大きなタイマーを置いてくれたものの、私の着席位置からはよく見えず、己の腹時計で戦うことを余儀なくされた。
 
 さらに、マークシートの解答欄が50問分あるにも関わらず、考えるのに時間を要する問題が多く、このままでは最後まで解き終わりそうにないことに気づく。不安が焦りに、焦りが絶望に変わっていく。でも大丈夫、これまでの自分の努力を思い出せば...…いや、何もしていない。努力をした記憶が、ない。自分を肯定できる要素が、何も、ない。…もう帰っていいですか?

 ところが、解き進める中で、問題用紙には30問しか載っていないことが判明した。マークシートの解答欄が、実際の問題数よりも多く設定されていたのである。過去問を一度でも解いたことがあればすぐに気づけただろうが、ここでも準備不足が祟った。

 午後は、専門試験だった。幸いなことに、必答問題は大部分が大学で既習の内容だったため、自信を持って解けた。一方で、選択問題はほとんどが未習分野からの出題だった。予備知識なしで解けそうな問題を探したところ、経済学の問題が目にとまる。具体的な数値を求める内容となっており、意味の分からない用語が多いものの、問題文や与えられた数式から、やらせたい計算はなんとなく分かるようになっていた。以後、経済学の計算問題にほとんど全ての持ち時間を注ぎ、なんとか全問で正答らしき数値を算出。残りは法律科目をテキトーに埋めた。

 試験終了後、同じ会場で試験を受けていた友達と合流し、鳥貴族へ。本日二度目の飲酒を行った。


一次試験から二次試験までの間

 予備校のデータリサーチに得点を入力したところ、合格のボーダーを上回るどころか、1位に肉薄する点数だったことが判明。しかし、この頃から兼業ラノベ作家になる夢を抱き始めたため、副業ができない公務員への就職意欲が減退し、試験対策は手つかずのままだった。


二次試験(筆記)

 生活リズムが崩壊していたため、ほとんど眠れずに会場に向かう。とはいえ、二次試験は処理能力をあまり求められない論文式の出題であるため、結果的に睡眠不足の影響はなかった。

 まず最初に、未知の試験をいきなり解かされたため、大変動揺した。一次試験で問題数を把握していなかったハプニングはあったが、まさかこの期に及んで存在すら知らない試験があるとは...。しかし、その内容は「一人で過ごすのは好きか?」といった質問が大量に続いているだけのいわゆる性格検査で、点数には響かないようだった。「計画的にものごとを進めているか?」という項目には、もちろん、「全く当てはまらない」と回答した。

 午前中には、先述の性格検査に続いて、専門記述の試験を受けた。今まで政治学専攻として大学で学んできた成果を存分に発揮するため、政治・国際区分の問題を解くつもりだった。試験開始の合図とともに、意気揚々と問題用紙をめくる。

『名探偵コナン』1994青山剛昌/集英社



 ところが、問題の内容を確認したところ、自分の知識があやふやで、原稿用紙を埋めきる自信が無い。念のため、人文区分の歴史学ABの問題をチラッとみたところ、Aは読んだことのある本から出されており、Bもかなり自信を持って答えられる内容だった。こちらの歴史学の問題の方が、明らかに書きやすそうである。しかし、私には政治学専攻としての矜恃があるのだ。ここで政治学を解かずして...え?試験開始からもう30分経ってるんですか?......私は、政治学を捨てた。悲しむべきか喜ぶべきか、政治学ではなかなか埋まらなかった原稿用紙の余白が、歴史学ではスラスラと埋まった。埋まってしまった。


『テニスの王子様』1999許斐剛/集英社

 午後は、政策論文の試験だった。内容は、少子化対策に関して参考資料を踏まえて意見を書くというもの。参考資料によって解答の方向性がある程度指定されているため、知識力よりも、構成力・文章力で差が付くといえる。ぶっつけ本番勢にはありがたい試験だった。

 

二次試験(面接)

 二次試験の面接は、難易度が高い試験だった。

 まず、東京在住であっても、朝から埼玉県の庁舎に行かされるのが大変である。これに追い打ちをかけるように、例のごとく生活リズムが崩壊。いや、むしろ、社会的には崩壊しているとみなされるこのライフスタイルこそが、私のリズムなのだ。歪んでいるのは、個性を認めず、人間を鋳型にはめ込もうとする現代社会の方なのである。かくして、社会の陰謀により、寝ぼけ眼をこすりながら、満員電車に揺られる羽目になった。

 他にも注意喚起しておきたいポイントがある。ここまで見てきたように、国総の試験は、試験問題とは無関係のところで受験生に揺さぶりをかけてくる。それゆえ、お手洗いにすら気を付ける必要があるのだ。埼玉の庁舎のトイレは、節電のために無人の時には明かりが消されているのだが、中の明かりがついているかどうか/人が居るかどうかが、照明スイッチのある外からは分かりにくい構造になっている。実際、私がここのトイレを利用した時には、中に誰も居らず、照明もついていないと思い込み、外にあるスイッチを切り替えた。そして、トイレの扉を開けたところ、さきほど電気をつけたはずなのに、中は真っ暗だった。この事態が意味するところを理解する間もなく、排便中に突然照明を消された中年の職員が、憤怒の表情で奥の暗闇から出現。私は平謝りした(ホントすいません)。






職員(イメージ図)


 肝心の面接だが、内容はさほど難しくなかった。面接の流れは、事前に記入した面接カードをもとに、面接官が質問をしていくというもの。自分に関することを中心に聞かれるので、無対策でもどうにかなる。自己分析が嫌いな私は、自分と向き合うことを恐れて面接カードの作成を先延ばしにしており、当日朝に急いででっちあげた。しかし、おかげで面接カードに書いた内容を面接時にも鮮明に記憶しており、かえって整合性のある受け答えができたと思う。
 
 なお、面接で最も苦戦したのは、序盤だった。まず、就活を一切経験してこなかった私は、最初だけでもそれらしく見せようと、ドアを正確に4回ノックする練習だけはしていた。しかし、本番では、何故か面接官が自分でドアを開けてしまい、今までの努力が全て水泡に帰した。そのため私は、一切のマナーを身に着けていない原始人と化したまま、面接室への突撃を余儀なくされたのである。もはや、望ましいお辞儀の角度が45度なのか、90度なのか、180度なのかも分からない。そもそも、どのタイミングでお辞儀をするのかも知らない。なんとかなれーッ!と心中で叫びつつ、面接官と対峙する。開口一番、面接官は言った。
 
「お名前と受験番号をお願いします」

 なんとかならなかった。えっ、受験番号..…?マナーの一つも覚えていない私が、あの5桁だか6桁だかの数字を覚えているとでも..…?だが、面接官は、「受験番号くらいは知っていて当然」とばかりの口調で言ってきたのだ。これに答えられないとなれば、試験に対する意欲が無いとみなされ、減点されてしまうかもしれない。..…こうなったら、この場で受験番号を思い出すしかない。記憶の糸を手繰り寄せ、おぼろげながら浮かんできた数字を言ってみる。



「……………???」

 怪訝な顔になる面接官。どうやら間違いだったらしい。堂々とでたらめな受験番号を言われることは想定外だったのだろうか、フリーズしてしまった。数瞬、気まずい沈黙が流れるが、既にこちらは一周回って無敵の人と化している。「本日はよろしくお願いいたします!」と大きな声で威嚇し、押し切った。

 そのほかにも、面接中に急進右翼政党(ゼミ)の話をしたら場が凍る・控室から面接室までの経路が複雑すぎて迷子になる・こちらが提出した書類を職員が紛失しかけるなど苦難は続いたのだが、割愛。

 

結語(国総春試験を最小の努力で突破する方法)

 結果として、合格最低点を大きく超え、最上位層と言っても差し支えない順位で合格できた。官庁訪問をする予定はないが、受験の過程で得られた知見も多かったので、試験を受けて良かったと思う。

 当初はなぜ合格できたのか不思議に思ったが、一応の理由を説明することは可能だ。私が今回の受験の中で感じたのは、そもそも、国総の試験が測っているのは、試験対策のために重ねた努力の量ではなく、これまでの学生生活全てにおける学びの量なのではないかということである。範囲が膨大な春試験において、ゼロベースで全科目の対策を行うのは、1年程度の受験勉強では難しい。そのため、本格的な試験対策を始める前からの蓄積が重要になるだろう。少々鼻につく言い方かもしれないが、私が合格した理由は、政治・国際・人文的な事柄に、日ごろから関心を持って接していたからだと思われる。事実、私は公務員試験にはほとんど労力を割かなかったものの、大学の政治学の学習には意欲的に取り組んできた。その結果、専門択一の政治学・国際関係学は全問正解できた。専門記述試験では人文区分を選んだものの、歴史学の書籍は趣味として100冊以上は読んでいたので、そこで得点できたのも、日々の積み重ねによるものと考えられる。普段から学んでいれば、国総の試験に特化した努力をする必要は無いのである。

 以上を踏まえて、本稿のタイトルに立ち返る。「最小の努力で突破する方法」と聞いて、多くの人は、次のように考えるだろう。短時間の対策で、効率よく点数を上げる裏技が書かれているに違いないと。ところが、そのようなテクニックは、ここまで一切説明されていない。お察しの通り、実は本稿は、効率化とは真逆の方法を提案しているのだ。その方法とは、自分の興味の赴くままに学習した結果として、試験を突破できる水準にまで、己の実力を高めてしまうことである。これが、私なりの結論だ。娯楽として学習を続ける限り、それにかかる「努力」は0になるのだから。

〈了〉


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