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哲学者イマヌエル・カントの視点から「人生の目的」を探る Part2



Part1では、
哲学界では、「人生の目的とは?」という問いは形而上学的な質問である。
そして、哲学者イマヌエル・カントを紹介し、著書『純粋理性批判』の中で、
人間は「人生の目的」を探せるのかについて哲学したと話しました。

今日は彼が出した結論を伝えます!


カントが最終的に出した結論

結論は、
人間自体では、形而上学的な問いに答えることができない
というものでした。

つまり、人生の目的については、人間はそもそも考えることができないんです。

哲学が生まれ数千年にかけて人類が探してきた答えは見つからないんだなと
僕はカントの哲学を学んだ時にスッキリしました。



カントがこの結論に至った過程

カントは人間の認識構造の分析から
「人生の目的」を人間は考えることはできないと導き出しました。


彼は認識についてどのように分析したか?

彼は人間の認識構造を下図のように分類しました。

「理性」は“推論する”能力を持ってます。

推論する能力を持っているがゆえに理性にはいくつかの特徴があります。

【特徴①:理性は必ず、次の3つの問いについて必ず考える。】
・人間とは何か?(例:死後の存在、人間に魂はあるのか?)
・世界とは何か?(例:宇宙の始まり、宇宙に物理的な終わりはあるのか?)
・神様は存在するのか?


【特徴②:物事の起源に突き当たるまで考え続ける。】
上記の3つの問いのうち、2つの問いを具体例として取り上げます。

「世界はどのようにできているのか?」という問いに理性が行なう推論


「神様は存在するのか?」という問いに理性が行なう推論

■理性は根本要因に突き当たるまで、推論をやめない。

■だからこそ答えを出せない無限の推論を繰り返すので、
 人間では形而上学的な問いに対して、答えを出すことはできない。

と結論づけました。

「人生の目的とは?」は形而上学にあたるので答えは出ません。

繰り返しますになりますが、
人間は「人生の目的」に答えを出せないという結論こそ事実であり、真理です。
「人生の目的」が「ない」のではなく、「答えられない」のです。

(余談になりますが)カントは人間では出せない答えを持つ人間を創造した神の存在
を何とかして証明しようともしました。


現在を考えよう

カントの時代に比べれば、物質や豊かさに溢れる今
私たちは「人生の目的」「生きている意味」を求めていますよね。
そして、分からずに虚無感を感じ、埋め合わせようとしています。

「人生の目的」について持論を持っている人も多いのではないでしょうか?

次回はまとめとして、人生の目的について人間がどう考えればいいのか?
について発信します。


余談〜聖書は今の時代を預言していた〜

実は聖書には、現在の状況を預言した聖句があるので、引用します。

‭‭アモス書‬ ‭8‬:章11‬-‭12‬節
「主なる神は言われる、 「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、 それはパンのききんではない、 水にかわくのでもない、 主の言葉を聞くことのききんである。 彼らは海から海へさまよい歩き、 主の言葉を求めて、こなたかなたへはせまわる、 しかしこれを得ないであろう。」

引用元:YouVersion


拙訳になりますが解説します。

神様が「飢饉を送る」と話されました。
どんな飢饉か?パンや水の飢饉ではない。(肉体が飢餓になるのではない)
神様の言葉を聞けない飢饉だ。人間は色んな世界をさまよってあちこちに行くけど、得ることはできない。(聖書では海は世の中、社会などを意味します。)


この聖句を読んだ時、
かつて人生の目的、生きている意味を求めて、様々なことに挑戦し
幸せな人生を生きたいともがいてきましたが、
その答えを得られなかった自分の姿と聖句と重なりました。

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