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なんで僕は起業したんだろうVol.10〜このままだと僕の人生、0勝0敗で終わる〜

みなさま、こんばんは。
僕が広告代理店からスキンケアメーカーを起業する前夜の話。
コロナ禍を機に、自分のやりたいことがカタチになっていった、
そんな時期。夢中になるとアインシュタインの相対性理論もびっくりするほど時間の進む速さが変化する。あらゆることが一瞬に。あらゆることが瞬く間に。

30歳をこえて本当にやりたいことが見つかると人間はどうなるか。僕は電気信号を頭に受信し続ける実験用ラットのように理性を失ってガムシャラに行動し始めた。誰に見せるのか、どこに提出するのか、まったく何も決まっていないまま提案書を作った。

・男性ひとりひとりの肌質と悩みはバラバラである
・スキンケアの情報や意識が(女性と比較すると)少ない割には、肌の状態やそれがもたらす清潔感は男性の自信に直結する
・20代後半から40代にかけて働き盛りになって家庭を持ったりローンで家を買ったり登り調子になる男性が多いが、一方で肌をはじめ見た目は下降線をくだっていく
・男性一般に向けたものではなく「自分のために」作られた基礎的なスキンケア商品があったら、より多くの男性の清潔感や自信に寄与することができる

と言った内容。とにかく勢いのまま企画書を書き上げた。商品の企画書なんて作ったことはない。マーケティングの知識のSWOT分析やら4P分析やらを企画書に使ったことなんてない。原価計算?なんのこっちゃ。突き動かしていたのはモノを作ってみたいという好奇心と、このままだと俺の人生は0勝0敗で終わってしまうぞ、という危機感だった。人生の電光掲示板が0勝0敗で終わるなんて人生つまらなすぎる。

僕が入学した早稲田大学は良い大学だ。入社した電通も良い会社だ。でも、入ったからといって勝ち!なんてことは令和の時代にはあり得ない。良いとされる組織に入ったから勝ち組なんて考え方は、昭和と平成前半で終わっている。かと言って、僕の人生には大きな挫折もない。浪人したけど浪人時代はとにかく楽しかったし、留年したけど同じくとにかく楽しかった。人生で大きな負けもない、旨味とコクのない薄味のスープのような人生を送っているのではないのか。このスープは年齢を経ていくほどにどんどん腐っていって飲めたものではなくなる。勝ちもなければ負けもない。そんなことで40代を迎えてしまって良いのか。30代を悩んだまま過ごしきって良いものだろうか。不惑を迎えた頃には、後ろを振り向いて何もない半生であることに戸惑いそうだ。反省はいつでもできる。男には戦わないといけない時がある。そんな本宮ひろ志の漫画本みたいな感情がメラメラと、心が妙に燃え立っていた。

キューバの街は人生は勝ち負けを超えたところにあることを教えてくれた。
いまこの瞬間、心が燃えているかどうか、だけが大切だと。

世の中には色々な多種多様な会社がある。この世にない業種や業態なんてないのではないかと思うぐらいだ。そして、その大半がインターネットの中にいる。便利であるとともに恐ろしい時代だ。ないものがない。バブル絶頂の1988年、稀代のコピーライター糸井重里が西武百貨店の広告で「ほしいものが、ほしいわ。」というコピーをつけた。市場に商品が溢れかえって消費者の欲望が踊りまくっていたバブルの時期に西武百貨店が出した秀逸な広告文だ。情報が氾濫しまくったいまなら「しりたいものが、しりたいわ。」だろうか。知るという行為が軽くなってしまった現在、本当に知りたいことって何だろうと思わざるを得ない。そのくらい知りたいことは一瞬で知れる時代だ。

デザインもまたイカしている。※他の方のサイトから転載しています。

自分のつくった企画書にあるスキンケア商品をどこか作ってくれる会社がないかとPC画面のある小窓に文字を打ち込むと出てくるわ出てくるわ・・この世にはOEMという業態があることがものの1分でわかった。辞書的な意味で書くと「Original Equipment Manufacturingまたは Original Equipment Manufacturerの略語で、委託者のブランドで製品を生産すること、または生産するメーカー」ということだ。要はブランド名などはなく開発と生産だけを請け負う業態のこと。当然、スキンケア商品においても多くのOEMがある。まずは腕試しとばかりに最大手と言われているようなところから4社をピックアップしてお問い合わせから概要を載せて打ち合わせ希望の連絡を入れてみた。なんのツテもないのだ。

まずはA社。返信なし。この後、商品を売り出すときにプレスリリースを色々なメディアに配った時に痛いほど知ったが、普通の会社はどこの馬の骨かもわからない会社からの連絡は黙殺するものだ。僕のプレスリリースの大半は即シュレッダーもしくは削除行きになったわけだが、このときも同じような末路を辿ったのだろう。安らかに眠って欲しい。
つぎはB社。返信あり。コロナ禍で新規案件は受け付けていないとのこと。同じような連絡を送る会社が多いのか、定型文に宛先だけ変えたようなメール文だった。いつ頃、新規案件は再開されるのですか?と返信を送ったが便りはそこで絶えた。いまはもう新規案件を再開しているのだろうか。
そしてC社。返信あり。打ち合わせをするとのこと。ついにきた。大きくコトが動いた瞬間だった。早速、打ち合わせ時間の候補を返信した。0勝0敗と書かれた電光掲示板がチカチカ点滅しはじめてきた。

初めの一歩の距離は、ときどき無限の長さになるときがある。