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不水溶性な日常

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少しのこと、たくさんのこと、いっぱい考えたこと…についてのエッセイ。 あんなことやこんなことを誰かと共有できたらいいなと思っています。
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#毎日note

ブログMのゆくえ

ブログMのゆくえ

ある女性が8月の末に亡くなった。芸能人でも著名人でもない一般の女性だ。彼女は家庭を持ったダンスのインストラクターで、ダンスに興味があった私は偶然見かけて5年前から彼女のブログを読み始めた。特に文章的に面白いとか特別な趣向があるとかそういうものは何もなくて、子供のこと、自分の仕事のこと、食べ物のこと、旅行に行ったことなど、写真と共に書かれてあるよくあるタイプのブログだった。ただ私がなぜそのブログに惹

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ソーダ水の中にある記憶装置

ソーダ水の中にある記憶装置

一生の楽しきころのソーダ水

富安風生のこの句が私はとても好きだ。若い頃の迸るような夏をこの一行で表している。

ソーダ水は1年中飲んでいるが、夏に飲むソーダ水はなんとなくノスタルジックな気持ちになる。きっとそこの句を知っているからだろう。時々、声に出して唱えてみると一瞬だけでもあの頃に戻れるかもしれない...などと十数年前までは思っていたが、さすがにもう諦めた。そんな少女が書くポエムのようなこと

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必要なのは変革ではなく微調整

必要なのは変革ではなく微調整

この世の中、人間も動物も弱肉強食で弱い者は生き残れないと思われがちだが、なんかそうでもなさそうだ。天声人語のバックナンバーを読んでいたら2019年11月24日の記事にとても興味深いことが書いてあった。その記事はネアンデルタール人のことについて触れられていた。

ネアンデルタール人はどうして絶滅したのか。専門家の間では諸説あるというが、筆者には不思議出会い方がない。強いものが弱者を力で倒すこの世界で

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みんながそれぞれうっすら傷つき...

みんながそれぞれうっすら傷つき...

とても世話好きな友人がいる。彼女は高校の同級生で、その当時から世話好きで仲間内では有名だった。クラスの誰かが悪さをしたら母親みたいに諭し、病気で休んだら下校時にノートを持ってお見舞いに行く。年配の先生を心配だからと家まで送っていったり、テストで悪い点を取ったら一緒に勉強してくれる。書き出すとキリがないくらいに世話に没頭した人だった。私もその恩恵を受けたうちのひとりで、私はお昼ごはんは学食に行ったり

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今日は、よちよち歩きでいこう

今日は、よちよち歩きでいこう

自分自身が口下手ということもあり、それほど親しくない人と話をするのはとても苦痛で気を遣う。相手が無口だとなおさらで、数秒の無言が何度も続いて帰りたくなってしまう。私が母親に似てなりふり構わずマシンガンのように喋るタイプだといいのだけど、どうも口下手な父親に似てしまったようだ。一言一言を考えながら話すので丁寧だと自分では思っているがなんせ時間がかかる。こんな私と無口な相手が二人っきりで話し合いの場に

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音のない写真の陰に萎れた花

音のない写真の陰に萎れた花

「ん?何だろうこの感覚は...」と思いながらインスタグラムを見ている。私がフォローしている方々がそういうタイプなのか、それとも最初はそうではなかったけど徐々にそういうタイプになったのかは今となってはわからないが、「丁寧な暮らし」「質素でも丁寧に暮らしています」というテーマの写真や記事が多いのに気がついた。最初はただ単に「そうなんだね〜」という気持ちで見ていたが、今は「ん...?」な感じで見ている。

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浅はかな習慣に溺れる虚栄心

浅はかな習慣に溺れる虚栄心

今、私は絵画3作品を前にして、どうすべきか途方に暮れている。これらには何の罪もない。でもこれらが邪魔で邪魔でしょうがない。

「いい人」っていう定義はわりと分かりづらい。いい人は私の周りにもたくさんいるし、街中でもいい人を見かけたりすることがある。困っている人に躊躇なく手を差し伸べ、何かを頼んでも嫌な顔もせず引き受けてくれる。それで救われる人がいるのも確かなのだけど...。私自身もたぶん「いい人」

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