見出し画像

【映画『街の上で』感想】私たちは<共感>をどこまで求めるか

今回は4月の末ごろに映画館で観たけど
感想を書けていなかった
ある映画の話をしたいと思います。
本記事では、その作品との
【出会い】~【感想】~【まとめ】という風に
書かせていただきました。

■映画好きへの酷な質問あるある

 初対面の自己紹介の時に映画鑑賞が趣味と言うと、決まって「どんな作品が好きですか?」「好きな映画を教えてください。」と話を広げてくださる方がいる。その方には申し訳ないのだが、そういった質問に対する回答はなかなか難しい。
 会話のキャッチボールが円滑になされればそれで良いとはわかっていても、嘘の好きな作品を答えたり、ありきたりな作品を教えたりするのは避けたいと思ってしまう。でも、あまり知名度の高くない作品の名前を出して場がシーンとなってしまうのは嫌だ…とジレンマに陥っている私に一筋の「今泉力哉 監督」という光が差した。


 私は今泉監督の初期の頃の作品、特に映画『退屈な日々にさようならを』が好きなのだが、映画『愛がなんだ』が一躍若者の間で流行した影響で、「愛がなんだの監督の今泉力哉監督の作品が好きです」と答えるとかなり良いリアクションが返ってくることが多いと感じた。同監督の作品を観たことのある人、作品のタイトルを聞いたことがある人を合わせれば、その場に居合わせた誰かしらが乗ってくれることが多い。
 そうして初対面の人達との会話のキャッチボールでのソワソワから解放されたわけだが、「何かおすすめの作品はありますか?」と、普段映画をあまり見ない人に聞かれたときにもまた「今泉力哉監督」の名前を私は出そうと確信させる作品に出会えた。それが映画『街の上で』である。


■映画『街の上で』

 本作品は、下北沢を舞台に紡いだ群像劇で、主に登場人物たちの会話を軸にストーリーが進んでいく。自主映画への出演依頼が舞い込んできた荒川青の数日間と、色々な女性たちの生活が絡まっていく。
 主人公である荒川青役を若葉竜也さんが務めており、若葉竜也さんは同監督の直近の作品である映画『あの頃。』にも出演していたが、『あの頃。』でのお気楽なお調子者感のある役とは一変した、ほのぼのとしたマイペースな青年を演じている。
 他にも穂志もえかさん、古川琴音さん、萩原みのりさんといった、サブカルチャー系な雰囲気はもちろんばっちりで、お芝居もをこなせる女優さんが揃っている。(出演されている役者さんの中でも特に私が最近はまっているのは中田青渚さんです。なんともチャーミングな親しみのある関西弁を話されるので心があたたかくなります。)


 ここからは私の鑑賞後の感想になるので、
ネタバレ的な内容は含んでおりませんが、一切前情報なしで鑑賞したい方はブラウザバックを!!



■甘くも苦い、日常と非日常のバランス

 この作品の中では「あるある」とも言えず「ないない」とも言えないような、日常と非日常が混ざりあう感覚があったと思う。舞台が下北沢ということで訪れたことがある人も多いと思うが、下北沢で一日人間観察をしていたら出会えそうだけど、実際のところ出会えるのかは分からないような、そんな平凡でかつ個性的なキャラクターがそういった感覚を引き起こさせる。
 また、台詞の随所随所やキャラクターの振る舞いに今泉監督特有の空気感を感じられる。三歩進んで二歩下がるような、作った綿菓子を水の中に溶かして砂糖水を作るような…正しい比喩表現ができている気がしないが、愛すべき無駄をたくさん感じる演出が監督の魅力だと私は感じている。

 平凡だけど個性的、愛すべき無駄、といったような心地よい矛盾がこの作品の中ではふんだんに味わえるのだが、この世界観は昨今のコント芸人のそれにかなり通ずるところがあるのではないか。シソンヌ、空気階段、ゾフィー、かが屋といったコントに見られるような「ありそうでないシチュエーション」「いそうでいないキャラクター」が好きな人にはぜひ映画『街の上で』を観てみてほしい。
 まさに本作品のラスト20分はお笑い芸人の作り上げるコントも顔負けの、シュールだけどあたたかさのある展開になっており、これを味わうために何度も鑑賞したいなと思った。(映画館に行ったときには、日本の劇場では珍しく笑い声がたくさん聞こえました!)




■登場人物の「人間臭さ」が愛おしい

 映画『街の上で』では、平凡だけど個性的な登場人物ばかりだと矛盾のある表現をした。この矛盾が成立して、作品に美しく落とし込まれている理由はキャラクターの人間らしさ・人間臭さが前面にある作品だからだ。作品を見ている側を、イライラさせたり、呆れさせたり、腹が立たせたり、心配にさせたり、そういった気分にさせてくる登場人物が主人公・荒川青含めたくさん出てくる。
 レビューや感想ツイートを見ていても、「ウワ、こういう人いるな、と思った。」や「苦手なタイプのキャラクターだった。」といった、登場人物に対して嫌悪感を示していても、作品全体としては映画を高評価している人が多くいることに気づく。
 作品の冒頭のシーンの荒川青のバイト先の古着屋さんで登場する、利害関係のよく分からない男女。作品の後半の方で切羽詰まった状況なのになかなか本心が言えないある登場人物。赤の他人に自分の恋愛事情を一方的に話すお巡りさん。どうしようもない人、なんとなく嫌な人を排除して描かないのではなく、そういった人たちなりの奮闘が描かれているのが今泉作品たる所以であるかもしれない。

画像1


 このシチュエーションの何とも言えない塩梅と、キャラクターの人間らしすぎる振る舞いに私は心を掴まれたわけだが、この作品を高く評価していないレビューには決まって同じような言葉を目にする。



■「共感できない」作品の価値って?

 この作品を面白いと感じつつも、高く評価していないレビューには「誰にも共感できなかった。」「感情移入が難しかった。」というような文言が目立った。十人十色の登場人物がいて、例えば、作品内での恋愛の価値観において、どちらかというと恋愛では追う側の女性がいて、追いかけられる側の女性もいたのが、そのどちらにもなんとなく共感できなかったというような観客もいたようだ。
 とは言うものの、私も様々な登場人物のうちの誰かに自分を重ねて観ていたというわけではなった。確かに、下北沢は私の好きな街一つだしそこでの思い出もある。だけど、作品の中で描かれる同じように下北沢で過ごしている人達と境遇が似ているだけで、考え方や性格という点は私とは違うなと感じた。

 そこで、作中のキャラクター達と考え方や性格に共感することはなかった鑑賞者たちの間で、作品に対する評価が分かれているというところが私は気になった。私は共感できなかった作品についてもそれが作品として第三者視点で楽しめるものならば、作品として(自分にとって)価値があると言えると思う。一方で、なかなか自分の感情が載せられなかったり、人物らの言動に共感できなかったりすると作品自体が(その人にとって)価値のないものと評価する受け手もいるのが事実だ。

 そういう点からも最近のある種の「共感の押し売り」というのは行き過ぎているのかもしれないと私は思ってしまった。
 そばにいるのに心がすれ違うカップルの心を歌ったラブソング。自分に自信がなくて空回りしてしまう漫画の主人公。夢を持つ若者同士が嫉妬しつつも切磋琢磨しあう様を描いた小説。どの作品も、共感した人の心を救っている素晴らしいものであることは間違いないが、多くの人の(特定の層の人の)共感を呼んでいる作品だけが素晴らしいものだという考え方は危険な匂いもするのではないだろうか。共感を呼んでいる作品だけが素晴らしいものだという考え方が当たり前になってしまえば、自分と反するもの排除することを是とするような多様性に欠けた寛容的でない世界になってしまうかもしれない。
 もちろん、作品の中で自分と似たようなキャラクターが一種の救いを得たり、成長したりしていくものは自分の人生にも活かせるところがあったり、学ぶものがあったりする。だけど、ただそこにそのキャラクターがいるだけでおもしろく、愛おしいという感情もなくなっては欲しくないと私は思う。登場人物の雪は観た人の間で賛否両論あるようなキャラクターではあったが、私は彼女の強がる弱さが自分にはないものでとても愛おしく感じた。
 彼女の言動を肯定したり、それに共感したりすることはできなかったけど、私はただ彼女が自分らしく生きようとしているその姿勢が魅力的だと感じたし、その魅力は作品としても(私にとって)価値のあるものだと思えた。

画像2



■映画『街の上で』から考える、いびつなわたしたち

 先ほど主人公の元カノの雪について触れたが、主人公・荒川青は色々な人と接する中で、素直に、不器用に、飾らず生きている姿を私達の前にあらわにしてくれる。そこに自分と反する要素があったとしても、その「人間らしさ」で自分の個性をも肯定して包み込んでくれるような、そんな作品だと私は思っている。

 みんながみんな、いびつなままでみんなの中に存在している、街の上に存在して行ったり来たりしている、そんな作品だった。
 上映館も増えているので、ぜひ劇場に足を運んでいびつな若者たちの生活の一瞬を楽しんでもらいたい。

この記事が参加している募集

#映画館の思い出

2,640件

#映画感想文

66,387件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?