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今を生きるとは?〜&スマホとの距離感〜

「今を生きる」とは?
ここ数年ずっと自分のテーマだ。

意識してもしてもなんて難しいのだろう。

私の想像力の豊かさは、きらきらな世界へ自分の背中を押すものである一方、ぐるぐる不安を考えてしまう。

過去と未来、考えすぎは良くないと知っている。私はどちらかというと、過去よりも未来への期待と不安を大きく描いてしまう。

ある本では、未来ばかりに焦点を当ててしまう人ほど「過去と何回も何十回も向き合わなければならない」と書いてあった。意外だった。過去は過ぎ去ったことだから最近は特にあまり気にしていない方が多いから。でも確かに、ノートに書き出してみると何かしら引き金はあると思う。

それでも、わたしはつい未来のことを考えてしまう。将来仕事はなにをしているか、家族はいるか、おばあちゃんになったら年金以外の収入を持てているか、数ヶ月の仕事復帰でまたメンタルが弱ったらどうしようトラウマになっていたら嫌だなあ、など。

ぐるぐるぐるぐると考えが脳内を回って、疲れちゃうし、突き出た「元気!」という感じを自分自身で吸い上げちゃっている。気づいているんだけど中々変えられない。

ゆっくり動作が余裕のある心と適度な忙しさを生む

お天気の良いある日、思い立って以前からきれいにしたかったスニーカーのランドリーに行った。靴専用のコインランドリーは20分洗浄時間があるため、近くをお散歩すると気になるイギリス雑貨のお店を発見。想像以上にお店の雰囲気やインテリアに心を掴まれゆるりと周ることができた。その後、靴を取りお家のベランダで日干し。

青空の元でゆっくり自分のペースで歩きながら、ふらりと好きなところへ行き心が浄化したことで、空間も綺麗にしたい!と思うように。

お家のあらゆるところをピカピカにして、溜まっていたビン缶を捨て、洗濯物も2回回して、お花を生けて。あ、これも!と思って同時に作業をしていると数分ソファに座ったらピピーっと洗濯完了の音やお料理完成の合図などで座っている時間が短く、頻繁に楽しく動いていた。

この頃にはぐるぐる思考もなくなっており、その事実さえも焦点を当てていない脳と心は澄んだ空気にいるような自由な状態。

スマホってやっぱり影響があるのかもしれない

お散歩の時はApple Watchをして歩数と消費カロリーを計測したり、家事のときはソファの奥に携帯を置いてあえてあまり見ていなかったことで、心がすーっときれいな状態がとても長くつづき心地がよかった。美しい呼吸ができていた。

レシピ確認や必要最低限の接触だけでも全然苦にならなかった。むしろ今あんまりスマホタイムの気分じゃないなあと思えた。

スマホとの向き合い方は特に最近よく取り上げられていて、つい見てしまうインスタや他SNSでは「あなたが商品だ」と謳われる。図星だけど無意識に必要と思っているから複雑な気持ちになったりもする。

ただ、本当に何気なく上手な距離感をとれた日にとてもハッピーだったのだ。時間をたっぷり持って、焦らず、のんびり、自分の声を聞きやりたいことをやる。これは「今を生きる」に確実に近づく一歩の1つだなと思った。

これからももっともっと「今を生きる」のヒントを見つけていきたい。そしておすすめがあれば是非みなさまにも教えて頂きたい。

生き急ぎ癖がある人みんなと一緒に「今」を見つめていきたい。

そして、完璧でなくても、世界に『「今」を生きるの私/僕上手だよ!』と自信を持ってエンジョイしている人で溢れるといいな。

と早速また未来を見ていたので、まずはこの発信をできたことの嬉しい気持ちをゆっくりたっぷり味わおうと思う。

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