西日本豪雨のさなかとかに感じたこととか、まとめ兼もくじ《140字の日記 28》
関東が、観測史上最速で梅雨明けし、しかしその一方で、全日本が台風の猛威に逼塞していた日。まさかそこからさらに1週間、通常の降水量を凌駕する雨が西日本全域に降り続き、甚大な被害がもたらされるとは誰も想像していませんでした。
いわゆる、「西日本豪雨」です。
記録はそこからはじまります。
そして、頭の上の空が土砂降りなのか、快晴なのか、そのことから発生する認識の齟齬、がずっと、五百蔵のなかでは引っかかり続けます。
各記事単独で読んでもわからないことが、シリーズ全体を見ることで見えのではないかと思います。
また、荒ぶる天候を、被害の拡大をひしひしと感じながら、リアルタイムで読んだときの感想と、すべてが終わった今、読んだ感想とでは、当然、感じることが違うはずです。
ところどころ、記事に書ききれていないこと、あらためて気がついたことを補足しています。
できるなら、当時のことを思い出し、借景としながら読んでいただけたら、と思います。
6月29日
7月1日
この後、ほぼ1週間、豪雨についての投稿の日にちは空きますが、毎日のように激しい雨が降ってはやみが続きます。その雨のレベルも、台風接近時と同じくらいの激しい雨が当たり前のように降り続くのです。
さらに、雨が降ると必ず風も荒れます。その風もまた、台風接近時レベルなのです。
尋常ではない天候でした。
晴れ間が見えることはなく、たまに雲を通して、薄日がさすくらいです。
その薄日がさした日ですら、1日か2日くらいでした。
さいわいなことに、子どもの登下校時刻は、毎日、雨も風もおさまっていました。ですが、いつ急変するかと不安をもって送り出し続けていたことにはかわりないです。
なぜ休校にしないのか、と腹が立ったこともありますが、進学校ですし、通学実態に応じて自主的に欠席することは認められていたので、それはそれでしかたのないことだったと思います。
ですが、7月7日は、早朝から猛烈な雨と風で、ふだんどおりの登校は無理でした。
それもそのはず、6日の夕方から夜半にかけて、8府県にあの「大雨特別警報」が出されていたのですから。大雨特別警報は、最終的には11府県にまで拡大します。
西日本豪雨、最悪の日はもう始まっていたのです。
いま、このまとめを作成しながら、この記事の日付が7月7日、七夕の日だったことに気がつきました。
渦中にあるときは、七夕であったことももちろん、七夕らしいことなどなにもできないままま、その日が過ぎたことにも気がついていませんでした。
というよりも、
とにかくこの長期にわたる土砂降りがはやく終わってほしい。
終わらねば、土壌が水を含み、崖崩れの危険が刻々と高まっていく……。
その時は、それしか考えられなかったのです。
7月7日 本当は朝8時半まえには投稿したかったのに出来なかった
7月8日になったばかりの時間
7月7日は、この最悪の天候に追い打ちをかけるように、朝からインターネットの不通。
夫がパソコンショップに出向いて問い合わせてみたら、ショップ自体も、インターネットを用いた決済が一切できなくなって、お手上げ状態とのことでした。
ありえないくらい激しい雨が降りやまない……という極限状態でインターネットが使えなくなったことは、万能に思えるインターネットの限界を、まざまざと実感させてくれました。
つまり、電源を落とせば消えるものは、いまここで手に触れられるものには太刀打ちできない、ということです。
余談になりますが、ネット上のいさかいが殺人事件に発展した、というショッキングな事件がありましたね。
が、人を殺したのはインターネットではない。命を奪ったのはあくまで、人の手であり、その人の手中にあった刃物です。
ネット上の憎悪が刃物にとどくまでは、物理的にも心理的にも長い長い距離があったはずです。
そして、その距離をのりこえたのは、やはり、三次元の実体のある「人間」という存在です。
実体のないインターネットの世界は、現実世界に物質的な打撃を与えることはできない。そして同じく、物質的な救済を与えることもできない。やっているのは、ただ、電気信号のやり取りを中継することだけです。
ここを見誤ってはいけないと思います。
呼応して、ずっと引っかかり続けていた「頭のうえの天候の違いと認識の齟齬」への問題意識が、ぐっと深まります。
特別警報がいくつもの県に発令され、こんなふうに身の危険を感じながら風雨に怯えている人が日本の半分に存在しているのに、インターネットが回復してみれば、そんな異常事態などなにもないように、ふだんと変わらぬ話題が流れ続けるnoteのピックアップ……。
異様なながめでした。
ソドムとゴモラ、ということばが自然と頭にうかびました。
もしくは、じわじわと温めていけば高温になったことに気がつかない、というビーカーの中のゆでガエルの例え話。
日本の半分を覆っている異常の発生に反応せぬタイムラインこそがなにかおかしい。
私にはそう見えました。
その異様さへの払拭できない違和感が、翌日の記事となります。
7月8日 朝
そしてやっと、雨がおだやかになり、「普通」が帰ってきます。
しかし、「普通」が帰ってくることは、すなわち、あの1週間の「尋常でなさ」をあらためて振り返ることでもありました。
五百蔵は、あの雨が尋常でなかったことを、頭のうえが晴れ空だった人たちにも共有できることを意識しながら記事を書きました。
豪雨そのものを語ることは誰かがやってくれるでしょう。
しかし、豪雨のあと、日常の回復からあらためて豪雨の異様さを振り返るという視点は誰にもできないことだろうと思ったのです。
また、それこそが、noteらしい豪雨への向き合い方、noteらしいクリエイティビティの発揮の仕方だと思いました。
最終的にはこれがけっこう、心身に負担になっていて、いまだに回復した気がしません。
ただ、その「時」の必要に応じてやるべきことをやりきったのは確かです。
平時においては、いたずらに自己承認、自己顕示の欲を満たすことを目的に物を書くのもまたよいでしょう。
しかし、情報を発信する側に立ちたいのならば、カナリヤのように、だれよりも早く重大な危機を察知し、その「時」がもっとも必要とする警告を発するのが、物書きの矜持というものです。
なぜなら、フォワーが数人の弱小アカウントだろうと、支持者が万の単位で存在するインフルエンサーだろうと、物を書き表現し広める力を与えられているのは、「いざという時に言うべきことを言う」ためなのですから。
インフルエンサーの力は、アフィリエイトや有料noteで収益を上げるためのものではない。そう勘違いしている人を私は軽蔑します。
力は、ここぞというときに人々のために役立てるために与えられているのです。
「寄付について」をテーマに語る人がたくさんいたことは喜ぶべきことですが、しかし、運営がテーマを設定してから豪雨についてやおら語りはじめるようでは、遅いのではないか。
わたしたちは、イカ釣り漁船の集魚灯に集まるイカではないのですから。
むしろこちらが灯りとなって、note運営の進行方向を変更させるくらいの気概がないことには。
それこそが、noteという場で物を書くプライドというものだと思います。
7月8日 夜中
7月9日 朝
7月9日 昼
7月10日
7月11日
7月13日 午前
7月13日 午後
7月14日
以上で、noteでの五百蔵の豪雨の記録はいったん終わります。
ですが、災害の現場では未だに復旧作業が続き、日常の回復のめどすらついてない人たちがいます。
その人たちが忘れられ、とりこぼされる日本でありませんように。
ついでながら、五百蔵は「被災地」という言葉があまり好きではありません。
豪雨の被災地、というなら、最低でも特別警報が出ていた府県全域が「豪雨の被災地」のだと思うからです。
広島、岡山、愛媛の様子は全国レベルで流れます。各府県レベルのニュースで流れる被害もあります。
そして、ニュースにはならないけど、各地には大小無数の被害があったはずです。
これらのちいさな被害を無かったかのように取りこぼすネーミングは、正確ではないと思います。
名付けるなら、深刻な水没や土砂崩れにあった地帯は「重大被災地帯」、もしくは、生活の立て直しを頑張っている地域、という意味を込めて「災害復旧地域」と呼びたい気がします。
ついでながら、↓は「寄付について考える」企画のピックアップです。
《140字の日記》のマガジンもあります。
https://note.mu/beabamboo/m/m855ee9417844
《ガチで書いている長編記事まとめ》も、よろしかったらご覧ください。
https://note.mu/beabamboo/m/m7f0f18508c2d
自己紹介的なマガジン、《五百蔵のトリセツ》
https://note.mu/beabamboo/m/m585d8928b5cc
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いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。