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三声の対位法 其之一【さらば、わが愛〜覇王別姫】《140字の感想文+ 25(今回は字数超過) 》

陳凱歌「さらば、わが愛〜覇王別姫」

 

 ありがたいことに、「おっさんずラブ」のおかげで「GYAO!」というサービスに目が行き、ちょうど折悪しく、この映画が無料で見られて、しかも、1回だけでは世界が把握できず、計3回見てやっと飲み込めてきた、というくらい、複雑な、たくらみに満ちた映画でした。

 「おっさんずラブ」は結局1回も見てないけど、「覇王別姫」を1週間で3回も見ることができたのは、ていうか、無料の期間が1週間しか残ってなかったので、突貫工事で3回かろうじて見ることができたのは、人生の大ラッキーでしたので、その情報をいささかシェアを。

 ていうか、かたらせろ。

 でも、この映画、1回目は、絶対に予備知識なく見たほうがいい。
 でも、そうは言っても、中国人なら当然知っている、という前提になっている情報がないと、ついていくのが辛い映画でもあるので、

 今回は前提となる知識についてだけを語ります。

 次に語るときがあったら、それは完全ネタバレのディープな解析になるので、見てない人は絶対読まないでね!

 

・◇・◇・◇・

 

 「そもそもこれはなにものか?」

 ということを語るときに、音楽に例えることはめったにないけれども、これはその稀有な例のひとつで、まず例えるなら、

 これはソナタ形式で作られた映画

 と言うことができるのだけれども、ソナタ形式についてはネタバレになることなのでここではふれない。

 

 では、ソナタ形式に例えられるのならば、それは映画全体が五百蔵の中では音楽のように響き渡っているということで、音楽ということを契機に探っていって行き着いたのが、

 この映画は3声で構成されている

 ということ。
 つまり、

 第一の旋律、ソプラノ。
 主人公たちの織り成す人間のドラマ

 第二の旋律、テノール。
 映画の中で演じられる京劇「覇王別姫」

 第三の旋律、バス。
 歴史の流れ。北洋政府から日中戦争、共産主義化をへて、文革にいたる50年あまりの激動の歴史。

 

・◇・◇・◇・

 

 映画の中では、主人公の京劇女形、程蝶衣と相手役の段小楼がともに演じる京劇「覇王別姫」がすこしずつ進行していきます。

 その絢爛さは、たとえるなら、映画「アマデウス」

 「アマデウス」はモーツァルトの人生と死の謎、というドラマとともに、モーツァルトの名曲の数々を楽しむことができます。
 それ同様に、この映画「覇王別姫」も、主人公たちの人間のドラマと京劇の素晴らしさを、同時に堪能することができます。

 初見のみなさんには、中国の伝統音楽の映画として楽しむことをまず第一におすすめしたいと思います。

 

 でも、そのためには京劇の「覇王別姫」を楽しむための予備知識が必要です。

 京劇「覇王別姫」は、「最後の決戦の前夜の、項羽と虞姫の今生の別れ」を歌った物語です。というわけで……

 ①知識として絶対に必要なのは、漢の始祖、劉邦と戦った項羽の最後の戦い、「垓下の戦い」ついての基礎的な事項です。
 できたら、高校時代の漢文の教科書にもどって、「史記」の「項羽本紀」の垓下の戦いについての記述を読んでおくのをおすすめします。

 ②さらに、この戦のとき項羽が歌ったとされる「垓下の歌」の書き下し文、可能なら漢字だけの白文を頭に入れておく。
 GYAO! の字幕では、歌は漢文の知識がない人向けに翻訳されていました。だから、もともとの書き下し文を覚えておくことで、中国語の歌声を聴く感動が全然違ってきます。

 ③そして、「四面楚歌」という言葉は、戦の前の晩、項羽が敗北を悟ったエピソードであることと、項羽には、虞姫(虞美人)という愛妾がいて、彼女は自刎したことの2つは、確実に押さえておきたい。

 

 この、京劇の「覇王別姫」の下敷きになっている項羽と虞姫のエピソードを理解しておくことで、この映画「覇王別姫」の主旋律である程蝶衣の人生と、影の旋律である京劇との絡み合いの妙が、より鮮やかに理解できるはずです。

 

・◇・◇・◇・

 

 さて、この映画の背景となっている時代は、中国にとっては本当に、受難の時代、と言ってよい時代です。

 物語自体は1920年代、辛亥革命後の軍閥の時代から、文化大革命後の四人組が排除された頃までが舞台になっています。

 この時代は、日本にとっては、
 日中戦争、太平洋戦争、戦後の貧困、安保闘争、高度経済成長期、
 という、戦争こそ起こしたけれども、曲がりなりにも反省をして、国土も経済も回復して、「終わりよければ全てよし」と上を向いてきた時代でした。

 でも、中国ではそうではなかった。
 国土も国民生活も伝統文化も、すべてがズタボロになった時代でした。

 

 もしかして、ユン・チァンの「ワイルド・スワン」を読んだことがある人は、それをそのまま思い浮かべてくれて大丈夫です。

 この映画は、「京劇の『ワイルド・スワン』」といっても過言ではない映画だと思います。

 五百蔵は「ワイルド・スワン」がかなり好きで、ハードカバーのヤツを買ってるし、買った当時は5回くらい読んでたので、この映画の時代背景についてはすんなりと理解できました。
 ですが、ネット上で映画の感想をチラホラと読んでいると、そもそもどういう時代だったのかを知らないから、映像として写っていることの理解ができない人が結構いることがわかりました。

 

 なので、この映画を見る前に「ワイルド・スワン」を読むことをおすすめします
 全部は無理なら、せめて、文化大革命についての記述だけでも。

 この映画の影のテーマは、「文革があらゆる人々をずたずたにした」ことだと思います。

 だから、最低限、文化大革命についてはなんらかの知識が必要です。

 

 もう少しがんばれる人は、西太后の宮廷生活のうかがえる本なんか読んで、宦官や京劇のことを知っておくと、さらに理解が深まるシーンがあります。
 もちろん、日中戦争については、教科書程度の知識はおさらいしておきたいところです。

 

・◇・◇・◇・

 

 もうひとつ、時代と人物理解のために把握しておきたいのは、主人公の程蝶衣のモデルと考えられがちな、京劇の大スターで、蝶衣と同様に女形であった梅蘭芳のことです。

 はじめは五百蔵も安直にモデルだと考えていましたが、Wikipediaでわかる程度のことでも、ふたりの人生は全く違います。
 重なる設定は、時代と、京劇の女形の大スターであることと、蝶衣が演じる京劇が、梅蘭芳の代表的な演目である、というところで、いわば、キャラの外枠が被っているだけで、中身は全然違います。

 

 蝶衣は母に捨てられて京劇の道に入りますが、梅蘭芳は京劇の名門の家に生まれます。日本で例えるなら、歌舞伎界の御曹司なわけです。
 京劇の海外公演を成功させ、京劇を世界に広めた立役者でもあります。もちろん、来日したこともありますし、日本の歌舞伎界ともとも深い交流があったそうです。

 また、梅蘭芳は日中戦争戦争に際しては、ひげを生やして抗日の立場を明らかにしていたようです。つまり、ひげがあるから女形はできない、だから日本占領下では京劇を演じない、ということですね。

 ネタバレしてしまうので詳しくは述べませんが、↑に書いたようなことを飲み込んでおかないと理解できないのではないか、と思われるシーンもあります。
 そして、梅蘭芳程蝶衣を比較してみると、全く別人で、たしかに、梅蘭芳をモデルにした、というのには無理があるのがわかります。

 むしろこの映画は、梅蘭芳のいないパラレルワールドの京劇の物語、と考えたほうがよさそうです。

 

・◇・◇・◇・

 

 そして、ここまで来たら、主旋律である主人公たちについて語らねばならないのですが、長くなったので、ここでいったん、筆を置きます。

 タブレットで書いてるんで、正確には「指を止めます」なんですけど、このフリック入力ってやつ、「キーボードで打ち込む」よりも、より「筆で綴る」感じに近いんですよね。

 で、「筆を置いた」あとの続きは、次回に。

《140字感想文集》のマガジンもあります。

《ガチで書いている長編記事まとめ》も、よろしかったらご覧ください。

 

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 この記事の続編↓を、コンテンツ会議で紹介してもらいました。

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いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。