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「【初めてシリーズ】オンライン英会話学習を始めてみた」を書くはずが

おはようございます。音楽家の河野一之です。

先日書いた「今やりたいこと」というnoteに書いた世界戦に向け、長らく真剣に勉強していなかった英語の学習を再スタートしてみました。

留学を終えたのが2013年で、その後も英語の仕事が入るたびに少し勉強はしていたのですが、この仕事がやはり気持ち的にネックな部分もありました。そこら辺も今日のnoteが書いて行きます。

取り急ぎまずは

お知らせ

まずはお知らせをさせてください。

初見、初心者大歓迎

①9/18 9:30~15:00金管バンドのマスバンド、ホールで吹きませんか?

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上手でなくて大丈夫。ただ有名な曲を音楽や金管バンド好きで集まってホールで楽しむ会。

プログラム
・Home of Legends / PLC
・Arsenal / J. Van der Roost
・Canterbury Choral / J. Van der Roost
・The Year of The Dragon / P. Sparke
・Punchinello / W. Rimmer
・I Vow to Thee, My Country / G. Holst, arr. Philip Sparke
・Pomp and Circumstance No. 1/ E. Elger
・Highland Cathedral / Korb & Roever, arr. H Lorrim


埼玉県草加駅最寄草加市中央公民館ホール、無料駐車場完備

9/18(土)9:30~15:00

②河野企画ではオンラインレッスンor 対面レッスンも開講中!

無料での体験レッスンもありますのでぜひ以下のリンクまたはDMでお問い合わせください!


③12/19 18:30予定 河野企画5周年企画「スペシャルリサイタル」

場所:埼玉県南越谷駅、新越谷駅徒歩5分サンシティ小ホール

河野企画5周年記念スーパーリサイタル
出演
ソロチューバ、指揮
河野一之
ピアノ
清水初海
指揮
今井斐
ブラスバンド
Riverside British Brass

詳細は追って

英語歴

初めて英語の勉強をしたのは確か小学校5~6年生の通っていた公文式で体験をしてみました。でもそんなに興味は持てなく、その後中学校に入り英語という科目が初めて出てきます。

何が原因かは分かりませんが全く才能がなかったのか、中高の英語の成績は赤点ギリギリ、教科の先生の温情で設問されていた単語さえ覚えれば20点は取れる設問を必死に覚えて、あとは気合と勘で見事に赤点を免れるか、または綺麗に赤点を取り進級に対しドキドキした記憶があります。

その後大学へ、音楽大学だったので世界中から講師として先生方がいらっしゃいます。そんな中で気付くのは世界規模でいけば日本語話者の僕らは少数派、マイノリティです。世界では英語が当たり前のように話され、今では世界で1番話されている言語は中国語、つまり日本語だけでは話にならない世界なのです。

そんな中僕の英語能力は「Be動詞、関係代名詞?何それ」状態でした。唯一覚えていたフレーズはこれ「It is 〇〇 to 〇〇 for 〇〇 〇〇.」

It's not easy to cook Welsh cake for me in Japan. 
日本でウェルシュケーキを作るのは難しい

こんな感じで使います。でも当時意味なんて分かっていませんでした。

そして大学で初めて出会ったブラスバンド(金管バンド)に恋をし、その音楽が生まれた英国、そしてイギリスからくる先生方ともっとコミュニケーションを取りたいと思って英語を勉強し始めました。

英語学習の初め

まずは四年生の授業履修の際に「英語」を取ろうと思い学生センターに行きましたが「管楽器専攻生は四年生ですと英語を履修できません」という訳のわからない理由でアウト、粘ってみましたがだめでした。(今思えば、今だに莫大な奨学金を払っているんだから、授業に忍び込んで授業を受けてしまえば良かったと思います。)

そこで大学の側にあった英会話が学べるカフェの体験授業を受けに行きました。確か講師がウェールズ人と言っていたのを聞いて「あー!」となったのは覚えていますが(大学3年の頃の演奏旅行で行ったのがウェールズだったため)、何だかしっくりこなくて断念。

大学でも英会話スクールでもダメで、どうしようと思って行ったのがダイソー、つまり100均でした。

みなさん100均にはちょっとした旅の指差し手帳みたいなものが置かれているのはご存知でしょうか?当時お金もなかったし、中高で「教科書アレルギー」になっていたので英語の学習書みたいなものは選択肢にありませんでした。

しかも、受験ではなく生きた英語をイギリス人の生の先生と仲良くしたいという思いがあったので指差し手帳の方がコミュニケーションは取り易いと思いました。結果的にはこれは成功でした。

発音がカタカナで書かれているのと意味も併記されています。しかもこれが当時100円+税、完璧です。

これで先生方に音楽のことや日常会話などのコミュニケーションをとりに行っていました。(持っている英語の語量が少ないので返答を聞く、つまりリスニングもダメでしたが、持ち前のポジティブさと笑顔で乗り切ります。)

そうして音楽やチューバ、金管バンドが好きだという気持ちが英語学習のモチベーションを上げ、その後ちょうどFacebookも流行り出したのでそこからさらに英語圏の方々とコミュニケーションを取り始めます。

そこで知り合った方の中には英語の先生もいて、テキストを送ってもらったり添削をしてもらったりもしました。感謝!(お返しというか聞いてもらいたくて自分のソロの演奏をCDに焼いて国際便で送ったりもしました。)

そうして大学4年の後期、Be動詞も関係代名詞もわからず知っているのは単語ばっかりという時制や文法、発音力皆無だった僕は留学を決意します。

国はもちろん、英語が生まれた国、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国!英国=イギリスです。

何にもわからなかった

日本に来た日本語を話せない人とコミュニケーションを取るのと、本国イギリスで何かを学びたい!と思って学英語というのは100%違います。

そんなことも何もかもわからなかった僕は日本の大学を卒業後、相も変わらず猪突猛進で調べまくりました。

まずは音楽系の留学斡旋業者の説明があればすぐに行きました。(大体がイギリス=ロックなのでビートルズとかコールドプレイとか、ロンドンの話ばっかりでした。)僕はブラスバンドを、チューバを学びたかったので見当違いです。あとは法律とか経済を学びたい方が多かった印象で僕にはちんぷんかんでした・・・。

そして行き着いたのが音楽大学には特化をしていないけれども(そもそもそんな所は当時ない)留学自体には特化しているガチめな会社がありました。(今ここの会社が良いかどうかは分かりませんので自己責任で判断してください。)

そこでイギリスで学生をするにはVISAが必要ということを知りました。

ビザ!?となったので調べてみるとこのビザが無いと日本のパスポートでは半年しか在留できず、ビザがあれば種類によるけれども2年間ぐらいいられるそうでした。

そしてこの学生用のビザを取るにはある程度の英語の資格が必要だということもわかりました。Be動詞、関係代名詞、時制もよくわかっていない、受動体!?(Be動詞+動詞とか動詞被ってるじゃん!!)とか言っているのに英語の資格です。

ここでどのレベルの資格が必要かの話です。僕は日本で大学は卒業していたので次に行くなら院だと思っていました。また何がラッキーだったかってその年、僕の母校でイギリスのとある音大の海外試験が実施されました。(突然の知らせだったので速攻で準備して受験してみました。)

受験者は”僕一人”笑、伴奏者の方も急遽スケジュールを合わせてくださり(僕が日程を1日間違えていた)、祖母には一回体調を急変してもらい母親のナイス演技でバイトを早退させてもらいオーディションへ

チューバは気合いで演奏し、面接は英語訳わかんないので全て思いの丈をGoogle翻訳で翻訳しメモってぶつけました。

結果は、合格

一歩進んだのですが、結局ビザがないと=英語の資格がないとイギリスにはいけません。もう一校別の学校も願書を出したのですがなぜか音信不通となりました。(結果的にですが、ここに行っていたら世界一は取れていなかった)

死闘

振り返ると僕の人生には”死闘”が多かったなと思います笑(笑い事ではありませんが)

音大入学も留学もその前もその後も降りかかってくる問題もそうですが、その中でも僕がやりたい!と思ったことが結構身の丈に合っていないことが多いのでもちろん痛い目に遭います。

今回の英語もそうでした。僕が必要なのはIELTS5.5というスコア

それは

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出典:https://berkeleyhouse.co.jp/ieltsblog/aim-ielts5-5/

Toeicでいえば600~740点、英検で言えば2級から準1級です。

Be動詞わからないのに

でもやるしかありません、だってイギリス行きたい!しかやりたいことはありませんから!(ちょっとモンハンにもハマりました)

ここから死闘が始まります。

最初は反対されましたがどうにか賛成してくれた母親の絶大な支援を受け一日中勉強と留学のことを調査する日々を過ごします。

死闘なので長引くと本当に死にます。僕が英語漬け、留学準備漬けの日々を過ごせたのは2ヶ月でした。

受けた試験の回数は2回(一回3~4万します。)

英語の勉強が辛くなると数キロ離れた公園まで走りに行ったり自転車でサイクリングへ行きました。でも死闘をしたことがある方がいらっしゃったらわかるかと思いますが

どれだけ逃げても頭の片隅に”それ”がある

ので心から楽しめません。つまる”やるしかない”のです。息抜きをしたらやる、息抜きをする間もなくやる、とにかくやる。2ヶ月地獄をみました。

1回目の試験結果はスコア5.5、2回目は5.0。音楽をやっているからかリスニングだけはいつも良く6.5よハイスコアを記録しそれにより平均値が上げられ総合点5.5取れました。

そんな中IELTSと熱中をしているときになぜか僕は5.5で入れるすでに受験した大学院のことは忘れ、もう一校の総合6.5を取らなければ入れない大学院のことばかり考えていたため

「イギリスに行けない」

と絶望をしていました。そのぐらい視野が狭くなるほど自分を追い詰めていたようです。その後再来日した5.5の方の大学院の先生とお会いし話をしていると

「I think you can come to my college, let me check it to a staff.」

そして答えは、留学可能ということでした。あれ・・・?

・・・

その後は怒涛の留学準備でたった1ヶ月半で物資も寮も飛行機の手配も、日本での後片付けも全て終えどったばたで僕は成田空港から飛びました。

イギリスまでの一人で向かう飛行機の中での12時間、「なんて道を選んでしまったんだ」と8回マジで後悔しましたが、あの時間とその後の2年間の留学が僕をかなり成長させてくれました。

【初めてシリーズ】オンライン英会話学習を始めてみた」笑

もう4,000文字書いたので書く気なんてないのですが、オンライン英会話を初めてみました。

昨日は手始めにフィリピンの方と25分会話。間違えて初心者用の自己紹介メソッドを選択していたようで初めの10分は退屈だったのですが、少し話を遮り留学していた旨やコースを間違えたことを伝え残りの15分雑談させてもらえました。

かなり忘れていることも多いし、相変わらずの自分の英語力の弱いところもこれからもっと痛感できそうなのでゆっくり続けて行きたいと思います。

最後に

他言語を学ぶということは言葉というよりかは、

人や文化、その国を学ぶということに直結していてとても楽しいです。初めは異物過ぎて大変なこともあるかと思いますが、多くの人は僕のように留学や死闘を経験せず英語を始められるので楽しいことだけやったらいいと思います。

全く違う価値観や文化的背景の人たちとの交流はとても楽しいですし、自分や母国を客観的に見られる素晴らしい機会です。

おすすめです。

Thank you

Kazz



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