どんな媒体の先にも人がいる

おはようございます。音楽家、チューバ奏者のKazzです。

このnoteはコロナ禍で音楽の機会が減っている全ての人に、何かしらお役に立てることはないか、と昨年550日連続で書いていたnoteの第二章的なものです。

基本的には今自分自身がプロ金管楽器奏者、指揮者という音楽家になるまでにした成功体験や失敗体験をもとに同じ苦労をしてほしくないという思いのもと書いています。誰かの役に立っていたら幸いです。

先日書いたこの記事の裏話的内容です。

もくじ

さて、前回のAFFな話で完結していたのですが、いくつか書き残しがあるかなと思いましたので書いてみます。

行政も人間が運営している

僕は基本的に全人類が必修科目として人生で一度は接客業をやってみるべきだと思っているのですが、今回のAFFに関しても沢山の憤りや理不尽な目にあった経験を辛辣な言葉でSNS上に発表されている方々を多くみました。

気持ちがわかるぐらい確かに文化庁やAFFのちょっと理不尽なところもあったと思います。でも僕が思うのは、それでもパソコンの画面やメールの受け答えの先、電話の先や書面でのやり取りの先には”人”がいるということです。

メールとか電話、PC上などで誰かとコミュニケーションを取る際、どうしてもその先にいる生身の人間のことをイメージしにくくなって辛辣な言葉を投げやすくなるようです。

僕が思うのは、ストレス解消の手にもなりますので、もし愚痴などを言いたいのであればクローズドな場で身内や友人たちと言い合えばいいと思うのです。わざわざ世界中の人が見られて、自分が消さない限り一生残るSNSの場に書く必要はないのではないかと思います。

また理不尽な目やわかりにくい内容、システム上の欠陥を感じるのであれば
賛同者を募り”意見”として文化庁なりAFF運営に伝えた方が早いと思うのです。

今回のAFFに関してもそうですし、様々な国の施策がこのコロナ禍で出るたび思うのですが、100%自分の状況を改善してくれる施策なんて出るわけがありませんし、例えばどこかの国で干ばつが続けばどこかの国で洪水が起きたり、逆に恵みの雨として豊穣が起きたりするのと同じで残酷な話かもしれませんが何かしら歪みが起きるのは当たり前の話だと思うのです。

今後も何か施策が出るたびに辛辣な言葉をSNSに吐き続けてしまったり、意見ではなく文句という形で政府に意見を言い続けてしまうと起こり得たはずのポジティブな施策さえ無くなってしまうかもしれません。民主主義国家として多数決の方法を取れるので、辛辣な言葉で攻めるのではなく理性的に意見を集め議員さんに渡す方が早く、また持続性があります。

まとめ

ネットが普及してゲームをするのもオンライン上の見知らぬ誰かとできたり、事務作業や手続きもオンラインで手書きではなく今このnoteを書いているようにパソコンでの入力大多数を占めるようになってきました。

とても便利な世の中なのですが、それゆえどのコミュニケーションもまるで機械とやっているように感じやすくなっています。しかし、本来はこのnoteもそうですが、人間が何かしらの気持ちを込めて書いています。

行政の対応もそうですし、例えコンビニの無人精算機であったとしてもそれを設計しより便利で安全な世の中にという誰かの思いが詰まっているはずです。

そしてそういう場合、そのような”相手”という立場は自分から「私だって人間です!あなたが今対応している先には人がいるんですよ。」という風に表現はしづらいのです。なので誰かと、何かと接するとき接している主観である自分自身がそれを感じながら行動をするべきです。

自分自身への自戒を込めてですが、確かに分かりにくい、感じにくい世の中ではありますが、忘れないように生きていきたいものです。

Thank you

Kazz


サポートして頂いた支援は全て金管楽器や金管バンドの奏法の研究、音楽を使ったエンターテイメントの発展に使用させていただきます。