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【ミネルバ, ハーバード, スタンフォード, etc.】 何者でもない19歳が、ギャップイヤーにたどり着くまでの迷走記 (前編)

はじめまして!
2005年生まれ、19歳の坂東優音(ばんどうゆうね)です。

私は2024年3月に高校を卒業したのですが、“大学進学”ではなく“ギャップイヤー”という選択をしました。

ギャップイヤーとは
英語圏で始まった取り組み。高校卒業から大学入学までに空白期間を設け、留学やボランティアなどの社会体験活動や、自分探しに時間を充てる。

https://www.hrpro.co.jp/glossary_detail.php?id=130


日本では非常にマイナーな進路です。高校の先生からは、「ただの放浪」と言われる始末…。

ですが!!私は今、ギャップイヤーに最高にワクワクしています。

今回は、この選択に至った迷走記(前編)を見ていってくださると嬉しいです。




両親の(ちょっとユニークな)教育観

私の両親は、「自分で考えて問題解決できる人間に育てること」を大事にしていました。物心ついた頃から、「自分でお金を払ってまで行きたいと思うなら、大学に行きなさい」とよく言われていました。(当時の私にとってはめちゃくちゃプレッシャーで、正直イヤだった…😇)

その方針のもとで入園したのは、白水学園くすの木幼稚園
卒園までに絵本を100冊読破。絶対音感を身につけ、50曲を歌えるようになること。全員が跳び箱8段、逆立ち歩き、回転技ができるようになることなどを目標としていた幼稚園でした。
「自分で考えて、自分でやってみること。それがくすっ子っ!!」と毎日唱和していた記憶が、頭の片隅に残っています。

くすのき幼稚園では、この「くすっ子」バージョンを唱和していました。


また小学5年生の時には、バッカーズ九州寺子屋に通わせてもらいました。これは、経営者講話や企業訪問を通して社会について学び、未来のリーダーを育成する1年間のプログラムです。

毎回の講座で唱和していた「バッカーズ少年教育十原則」

それまでなんっにも考えていなかった私にとって、耳に入るもの全てが衝撃。
日本の未来って問題でいっぱいなんだ!!という漠然とした危機感が形成されました。

バッカーズに入塾するまでの私は、本当に消極的な性格でした。
学校で学級委員に推薦されても、「イヤです!」とみんなの前で即答してしまうほど。
しかし、バッカーズでの学びをきっかけに、私の中で何かが目覚め出します。

🌟世界に出たい、世界のリーダーになりたい!!
🌟人と一歩違う道を行きたい(常識を常に疑い、流されたくない)!!
🌟命を燃やして、全力で生きていきたい!!

この3つの価値観は、今でも私のパッションの核となっています🔥


燃えるパッションvs閉塞感の中学時代

福岡の一般的な公立中学校に進学した私。
大志を抱き、やる気満々!!

のはずが…。

そこで直面したのは、

  • 理不尽な校則(当時は下着の色まで縛られるほど…もはや伝説)

  • 受け身×知識をひたすら詰め込むだけの教育

出る杭は打たれる保守的な環境に、モヤモヤしまくりでした。生徒会長になって校則改革に奮闘するも、“前例がない”という必殺の一言に、見事撃沈。やる気も実力もない吹奏楽部を盛り上げようとするも、改革には常に冷ややかな圧力…。

次第に、高校では想像のできない世界に飛び込んでみたい!!と思うようになります。

そんな時に出会ったのが、神奈川県立横浜国際高校でした。
ここは、公立高校にも関わらず、国際バカロレア(IB)というカリキュラムのコースがあります。

国際バカロレア(IB)とは
スイスに本部を置く国際的な教育プログラム
最終試験を経て、IBの資格を取得できれば、海外大学へのチケットになる。
未来に責任を持つリーダーを育てることなどを目的とし、アクティブラーニングや探求学習をメインとした教育を行っている。

コロナ禍の当時、IBを初めて知った瞬間
「新たな世界が広がる予感がする…!」という直感がビビっときました。

校則や服装に縛りのない校風、神奈川県という未知のフィールドなら、何かが変わるのではないか。

わざわざIBを選んだ学生が集まる横浜国際なら、「偏差値が合っていた」「家が近かった」だけの理由ではない、奇抜な人たちに出会えそうな気がして、ここしかない🔥と進学を決意しました。


奮闘vs挫折、彷徨える高校時代

福岡の親元を離れ、歩み始めた人とは違う進路。
せっかくなら…

だだものではない高校生になりたい。
世界にポジティブな影響を与える“何者か” になりたい🔥

と、内なる炎を燃え滾らせ、高校生活がスタートしました。
3年間、様々な活動に手を伸ばし、動き回り、それはもう大成功でした!!

と、言いたいところ…

実際は、壁にぶち当たりまくり、挫折しまくりの3年間でした。笑
ここでは、何者かになりたくてもがいたエピソードのうち、3つを書きたいと思います。


🔥何者かになりたい!その1:教育系NPO法人でのインターン

知識詰め込み型の教育にずっと疑問を抱いていた中学時代。
実際にIBの探究型教育を受けてみて、これぞ意味のある学びだめちゃくちゃ面白いぞ…と感銘を受けました。

高校1年生の頃、たまたま見つけた教育系NPO法人でインターンシップを始め、IBなどの新しい教育や、面白い活動をしている10代の社会起業家を、より多くの同世代に知ってもらう活動をしていました。

しかし!!
ある日のIBの授業で、自分の浅はかさを思い知らされることに。

日本の公立高校IB教育カリキュラムを比較する、という日本語の授業がありました。生徒のプレゼンやディスカッションによって進行する授業、探究論文を書いたり、テストまでエッセイ形式だったり。当然、IBの教育カリキュラムの方が先進的だろうと思い込んでいました。

まさかの結果は…
目指す人物像、教育の目的等々、想像以上に似ている!!
授業の実態がこんなにも違うから、カリキュラムも相当違うはずだ、という私の先入観は、見事に覆されました。

日本の受け身な教育スタイルは、カリキュラムではない、別なところに問題があるのかもしれない。
そもそも探究型の方が優れているなんて、なぜ偉そうに断言できるのだろう。

IB教育を広めること=多くの学生にとって素晴らしい!と活動していた自分の安直さに、ショックを受けました。

このまま活動を続けていいのか?
次第にインターンへのモヤモヤが募っていきました。


🔥何者かになりたい!その2:フェアトレードの活動団体結成

高校で、フェアトレードの活動家の方の講演を伺う機会がありました。それをきっかけに、自分たちでも何かできるのではないか?と、クラスメートとともに活動団体を結成しました。

活動家の方と勉強会を開いたり、文化祭でチョコレートを販売したり、地域のスペースを借りてワークショップを開いたり…。フェアトレードハイスクールにも認定され、活動はかなり軌道に乗っているように思われました。

横浜のシェアスペースを借りて開催した、フェアトレードカフェ

しかし!!
ここでも転機が訪れます。

ある日の英語の授業で、「なぜボランティアをする必要があるのか?」というテーマについてディスカッションをしました。それまで、当たり前に“良いこと”だと思い込み、ボランティア活動をしていた私。

“ボランティアする意識の高い自分”に満足しているだけで、問題の本質的な要因から目を背けている場合もあるのではないか」

という一つの意見にハッとさせられました。
自分のフェアトレード活動を振り返ってみると、「高校生で社会活動って、なんかすごい」「日本初のフェアトレードハイスクールに認定されたら、名に残るし、かっこいい」というのが正直な動機でした。

高校生がチョコレートを販売することに、本当に意味があるのか?
根本から解決するには何が問題となっているのか?
自分がいかに考えず、表面的に活動していたかにショックを受け、モヤモヤを募らせていきました。


🔥何者かになりたい!その3:K-popアイドルに、私はなる!!

高1の冬のある日、 インスタグラムのリールに、K-popアイドルのステージ動画が流れてきました。それは、「アイドルはただ可愛いだけ」という私のステレオタイプが、完全に覆される出会いでした。笑

K-popはなぜ、これほどにも世界を熱狂させているのか。同世代の女の子たちの計り知れない努力と、世界観あるパフォーマンスが、見る人をエンパワーする力に衝撃を受けました。

月日は流れ、高2の夏。
様々な活動に手を伸ばすも、全てにモヤモヤしていた私は、箱根 Co-living campという泊まりがけのワークショップに参加しました。学校を超えた広い世界で活動する同世代の方が集い、語り込んでいたらいつの間にか日が昇っていた…そんなキャンプでした。

未知の生き方にたくさん出会い、勝手な先入観で自分の生き方を制限していたんだなと、ハッとさせられました。

自分の人生、もっと自由に生きたい!

と決心した旅の最終日。心の中で蓋をしていた、K-popへの興味に目を背けられなくなりました。

私もK-popアイドルのように、多くの人の原動力に、世界中をエンパワーする一人になりたい!!

持て余したパッション、Kpopの道に全振りするしかない!!と心を決めました。

(振り返ると、自分でも血迷っていたなあと思います…。母親は意味わからなすぎて口をパクパクさせてました。)

平均デビュー年齢は16歳という世界。
17歳の私は、ダンスもボーカルも未経験。しかも、運動音痴。
かなり無謀な挑戦にも関わらず、ダンスとボーカルのレッスンをスタートしました。勉強を終わらせた深夜から、毎日欠かさず筋トレと練習。オーディションにも十何回チャレンジしました。

隠しきれないアマチュア感…

正直、高校入学時からずっと、「結局は大学に進むんだろうな〜」とぼんやりしたイメージが頭の中にありました。
しかしK-popの道を目指し始めて、高校卒業後すぐに大学に進むことはないなと感じるようになりました。ギャップイヤーを取って練習生を目指そうか、と考えるほど、当時は本気で夢中になっていました。

そんな高3の春、あるオーディション番組の一次審査に通過し、対面審査に進むことに!

ここで来ました。またもや転機。

審査員の方からの、「アイドルとして、あなたはどのような歌やダンスなどの魅力を見せたいですか?」という質問。
アイドルになりたいなら、当たり前の質問です。が…

別に、歌とかダンスとかを見せたいわけじゃなくない…?

“世界をエンパワーする何者か”になりたいだけで、アイドルになりたいわけではないのかも…?

そんな違和感に気づき、私は返答に言葉を詰まらせました。

同時に、様々なオーディションを受けるうち、事務所にプロデュースされたキャラクターとして活動するアイドルという形にも、なんか違うなと思うようになりました。

後編に続く…



こんなにも長い前編、ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます😭
後編も読んでいただけると、めちゃくちゃ嬉しいです!!

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