ブロードウェイ・ブギウギ

櫻井天上火、第六回芝不器男俳句新人賞城戸朱里奨励賞

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櫻井天上火、第六回芝不器男俳句新人賞城戸朱里奨励賞

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二十句「Tapirus paradoxus」

「Tapirus paradoxus」 ゆきを鳴らす竹林の永い耳 楽譜にて迷うばくにて繁茂する ecritsとはばくを纏った愚鈍だらう 半目してばく透おると、と、共に雪は成る ともあれ花疲れにもばくが来る 旅人に究す朔日のとらんぺっと 旅人や無地の時間を来て帰る 無視したやみの目の端で思い出すヘヴン 走るにたた立つてもう昔の竹林 (ばくは巧妙で重い) 決断をはみだす脳をばくが奪る (ただそれでもなお) 眠りつつ四肢決断にばくを奪る 白天にあるきかけばく

    • 十首「Metarain」

      「Metarain」 その部屋には死角がなく遠雷の幽霊がたくさん訪れる 一滴の光にかわく図書館の休日を蜜蜂が解いた 抱きしめれば確率で雷の場所がわかりその地図は大きい 森のむこうの窓の外で雪が降る左利きの雪だ、と思う 眠りがキリンを忘れていたらキリンの夢は見られることなくそれは恐ろしい 海岸 いくつもの進化を養った絶滅にグミが入ってなくてよかったあ いくつかの感情を書き分けてみて筆跡がすべて同じ 犬の身震い コップあげる光を光屋さんで買って誕生日まてなくてすぐ

      • 二十句「Ornithorhynchus paradoxus」

        「Ornithorhynchus paradoxus」 蜂を溶かすかみなりの薄い舌 やがてに、に、似るリボンが不思議な水 海市や量子を通るかものはし 原理的にかものはしが虹の中央にいる かものはしのゆめに渡る電撃と明晰 古びればかものはしか平仮名かわからない 宇宙服かものはしの目に切株ふえる 口語であればかものはしに蜂が湿る (かものはしはたしか左利きだった) 雪宛てに文字の書けないかものはし 曇天のほおずきかものはしを傾ける 銀天にかものはしへと球生れ

        • 三篇:「朝」「掟」「知覚」

          「朝」 一杯の紅茶に いま過ぎた顕生の風 海百合の頸吊に閃光し 真理の満ち引きを海豚が跳ねる 遊牧する古代母音の凍て 雨が海洋に太古を叩く さて 羊歯の垂直に 機械は遠のいた 廃屋の廃テーブルでは 熱が想像に遅れている 「掟」 奇形にして 真正なるもの その下の 盗掘された都市 ふたなりの王(ファラオ) から至高の犬が 逃げ出した 火は成蟲となって 掟が路地を湿らす Je pense donc……、狂気 まで往けば 図書館の裏が溶けるだろう だが離(さか)りに任されて 我ら

        二十句「Tapirus paradoxus」

        マガジン

        • 俳句・短歌など
          18本
        • 哲学の論
          9本
        • ニック・ランド『絶滅への渇き』
          13本

        記事

          百句:第六回芝不器男俳句新人賞城戸朱里奨励賞受賞作品

          「Prometheus」 火を消して一身体の一世界 眼奥の昏きを隔ち羽音くる 優曇華の忘れを不二の辻に置く 夜藍の大花野より魔女二人 海百合の頸吊の木のえくれえる 唯一のこの青空やKARASHINAや 盲目の馬の進むや大枯野 くちなわの口より双の犬生れる 霞より出でる腕に鹿滅ぶ 神でないものが祈りを聞きにけり 遠雷や時間に棲まる雀蜂 接続に無があれば飛ぶ垂直の鳥 表象の眠りどこまでも象の皮膚 ここに茸あそこに茸のくらい夢 梟の調停ガラスの森を呼ぶ 蜜垂らす蛇を解剖けば割れ鏡

          百句:第六回芝不器男俳句新人賞城戸朱里奨励賞受賞作品

          ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『不定形な類似』目次と要約

          第一部 テーゼ:類似と合致。どのように人は類似を引き裂くのか? ・イメージの二つの体制〔régime〕 類似を引き裂くだろうものと類似を引き裂かれたものにしたもの。バタイユにおける体験の二つの意味とイメージの二つの体制、すなわち焦点的-固定的、遠心的-可動的。図像主義批判。イメージというある悦ばしき知に向けて。9ページ。 ・悦ばしき知の視覚的資料=ドキュマン ドキュマンというアート雑誌は、意味を与えるのではなく、イメージの労務を与える瞬間から始まる。理論的解体〔démon

          ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『不定形な類似』目次と要約

          書評:何度でも始めるために(幸村燕「不在の現前」)

           以下は幸村燕「不在の現前──ミシェル・ウエルベックにおけるモチーフと構造〈乗り物から神まで〉」(『REBOX3 特集:ウエルベック』メルキド出版 2022)の書評である。  この論考はウエルベックにおける様々なモチーフを「不在」というキーワードで結びつけ、ウエルベックの小説の構造、そして人間観について論じている。ここでなされるウエルベックの巧みな読解を一節ごとに追いつつ、書評に代えよう。  まず「社会構造と個人」では、ウエルベックの登場人物たちの幸福に到達できない要因が「見

          書評:何度でも始めるために(幸村燕「不在の現前」)

          マーク・フィッシャー『ポスト資本主義の欲望』

           ロンドン証券取引所の占拠運動が始まって間もなく、小説家から保守派の政治家に転身したルイーズ・メンシュは、BBCのテレビ番組「Have I Got News For You?」に出演し、この占拠によって「スターバックスの過去最大の行列」ができたと言ってデモ隊を嘲笑した。メンシュが言うには、問題は占拠運動の参加者が企業のコーヒーを買ったことだけでなく、iPhoneも使っていることだ。提言されているのは明白だ。すなわち、反資本主義とは、無政府原始主義であることを意味するのだ。メン

          マーク・フィッシャー『ポスト資本主義の欲望』

          二十首「遠くの風」

          「遠くの風」 「水きらい」っていうきみの夢の手のひらに金平糖がころがる ごめんなさい、恐竜の日だから意味のないことも言います笑って聞いて 恋人はぷかぷぱねむり網戸から落ちてきている夏の目覚めが きいて・きみに・あうひ・こんな・ふうに・りぼん・うまれ・じゃんぷ ゆれる・たんぽ・ぽから・はしる・りずむ・とんで・ぽかり・ぷはあ さくら・しべは・ふるる・るるる・おちる・までの・そらが・いたい うみは・つきは・かるい・いつか・わたし・はだし・みせる・から これは・あのね

          十五首「腐敗はそれから」

          「腐敗はそれから」 眠くなるだけでも音楽は聞かれていてそんな春を拒否する 餃子定食のお店で待ってグミなら一個あげるのにって言う イルカ(たぶん)が生ごみ入れでジャンプしてももの名まえ ひかって ずれた音楽が耳から指へ指からまぶたへ暗ひ陽だまり 丁寧じゃなくててーねい想像のたねを取ってスプーンで刺す 春から春を引くシンクの光。大好きなドーナツがねばつく 「空きびんにひつじが住みついて嘘みたい」ごみの宮殿からのお手紙 ごめんね 広いひなたはいきものといきもの以外が

          十五首「腐敗はそれから」

          七首:過去作

          降雪とともに天使は受肉する約束のこと光と呼ばず 天使の手から溢れゆく白桃は光らせている夜のすべてを この夜をたどっていけばうみにつく魔女のかみさま傷がたりない 憐憫の速度を降る結晶の天使の伝う末期の真白 尖塔のいと高きに立ち陽喰って惑星の乙女に眼よ開け 天蓋を充満させよ薄き翅泉に祈る白き乙女の 純白の死 夜闇すら も 遅延   して 薄   れ 透明 に    なる     ぼくらは

          G・バタイユ『ニーチェについて』読書会の序文

           精神科医斎藤環によれば、1996年から2019年の間に鬱病は約三倍に増加している。人々は心療内科や精神科にかかる。鬱の傾向があれば日光浴や軽い運動などを勧められ、重度の症状があればレクサプロなどのSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)を処方される。鬱病の治療において環境的な原因は問題ではない。鬱病の身体が役に立たないことが問題とされる。上で示した「治療」は鬱病で働けない身体をとにかく働ける身体のしようという医療的な、あるいはもっと言えば政治的な方針の反映だ。  「お前

          G・バタイユ『ニーチェについて』読書会の序文

          ニック・ランド『絶滅への渇き』におけるカントの位置付け

          「ニック・ランド『絶滅への渇き』におけるカントの位置付け」 ○はじめに 先日ゾルピデムという入眠剤を処方された。不眠の症状があり精神科にかかったのだ。幸いうつ病ではないのだが不眠はうつへの第一歩である。おそらく私のようなうつ病予備軍も含めて、先進国と呼ばれる国の若者は病んでいる。これにいち早く切り込んだのは1990年代のイギリスの思想家たちだ。  その一人にニック・ランドという思想家がいる。1990年代後半に『資本主義リアリズム』のマーク・フィッシャーらとCCRU(サイバネ

          ニック・ランド『絶滅への渇き』におけるカントの位置付け

          十首「神代から」

          「神代から」 精神Geistの外の犬戎の沛艾の嗎の震えに風をはじめる 静かなる水に蛇巫の刺青の真円歪む正しき正午 絶滅の真神の聲を過ぎ昇りつづける風よあれがメトシェラ 千年の詩の傾きは一塊の大地と結び到来の地図 田園の「塔」と呼ばれるそれが、ただくだけていた くだけていた 冬の門とおりてEuclaceの城へその愛しかたで愛するとき 肋骨をひらきとりだす星々は星座にならずみずうみの霧 恒星でない星を飛び加速するかもめはこども なんどでもしねる それは音楽 忘却

          モーリス・ブランショ「友愛」

          エピグラフ 「私の共犯的友愛。これこそ、私の気質が他の人々にもたらすすべてである。」 「......深い友愛の状態にまで至る友。そこでは、見捨てられた、すべての友から見捨てられた人間が、生を超えて彼に連れ添うことになる人間に、彼自身は生をもたず、自由な友愛が可能で、いかなる結びつきからも解き放たれた人間に、生のなかで出会う。」 (ジョルジュ・バタイユ) 「友愛」  この友について話すことにどうして同意するだろう。賛美のためだとしても、なんらかの真理のためだとしても。彼の性

          モーリス・ブランショ「友愛」

          五首:雑詠

          討て、討て、討て天使を!七月の肉に半月蝕を棲まわせ 羽根を不要とするとき肉は真円に隣接するだろう 鳥が留まる 犀が歩く 快楽の絶滅に詩を書きこめ 速くはない生き物とその舌にいくつも切株をつくろう 天使に安らぐ詩を雀蜂が刺し、開かれたままのシオランとその天球