ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『不定形な類似』目次と要約

第一部
テーゼ:類似と合致。どのように人は類似を引き裂くのか?

・イメージの二つの体制〔régime〕
類似を引き裂くだろうものと類似を引き裂かれたものにしたもの。バタイユにおける体験の二つの意味とイメージの二つの体制、すなわち焦点的-固定的、遠心的-可動的。図像主義批判。イメージというある悦ばしき知に向けて。9ページ。

・悦ばしき知の視覚的資料=ドキュマン
ドキュマンというアート雑誌は、意味を与えるのではなく、イメージの労務を与える瞬間から始まる。理論的解体〔démontages〕と造形的モンタージュ。アンチフォルマリストバタイユ?アートの反歴史に向けて。12ページ。

・人類学と諸フォルム
「美術」と「民族誌」、フォルムを批判するために事実を揺り動かし、事実を批判するためにフォルムを苛立たせる。アカデミズムでも実証主義でもない、芸術の前衛、人文科学における前衛。15ページ。

・どのように人はフォルムを侵犯するのか?
侵犯は拒否ではない。反転したり、置き換えたり、変形したりしてフォルムを侵犯するとき、それは侵犯的フォルムを生産することになる。アンフォルムという概念が、地位を落とす、残忍な、引き裂く類似を生産するとき。アンフォルムなものの空間性。18ページ。

・バタイユのアンチテーゼに直面するトマスのテーゼ
良識とトマス哲学におけるテーゼの言説、すなわち合致としての類似。神話(人間の神との類似・・・・・・)構造とタブー(・・・・・・触れてはいけないものの極み)の構造。類似の神学的ヒエラルキー。22ページ。

・類似の問い、接触の問い
バタイユが類似のタブーに触れるところ、すなわち物質がフォルムに触れるところ。「事実の物質的非服従」をフォルムに押し込むこと。過剰な類似が私たちに触れ、私たちをまなざすところ。30ページ。

第二部
アンチテーゼ:「不均衡の具体的フォルム」、あるいは人神同形説の脱構成〔décomposition〕

・引き裂くこと、触れ合わせること
過剰な類似、すなわち「苛立たせる」関係。言葉を、概念を、外観を引き裂くこと。留保なきアンチテーゼとバタイユのスタイル。引き裂くとき、それは触れ合わせることになる。33ページ。

・人間的形象の問い
「同じものの類似」としての人神同形説。「他なるものの類似」とは何か?外観を開くとは何か?ドキュマンの「身体」、すなわち視覚的開けと「不均衡という具体的フォルム」。張り付く差異、悲鳴を上げる類似。36ページ。

・人神同形説の嘲弄
人神同形説の一致、すなわちブルジョワやシュルレアリストグループの肖像画。嘲弄的フォルムから野生の事実へ、すなわち残忍な類似の導入。白い身体、黒い身体。生まの身体、シミュラークル的身体。41ページ。

・人神同形説における不均衡
過剰な差異、すなわち捕食者的クローズアップ。口と足の親指。細部の美学の彼方。「低次の誘惑」とアンフォルムなものの視覚的侵入。イメージを侵犯することが可能なイメージ。55ページ。

・人神同形説の否定
現実的ヴィジョンとしてのドキュマンと「暴力的否定」。自己の外部の形象。古典的症候〔sémiologique〕モデルに対する徴候〔symptomal〕モデル、古典的美学モデルに対する美学モデル。64ページ。

・人神同形説における切り裂き
屠殺のイメージと演劇のイメージ、すなわち切り裂く供犠と切り裂く計略。イメージを作るということは、身体に刻み込むことだ。残忍な類似の振り付け、すなわち聖なる舞踏と脱形象化〔défiguration〕。72ページ。

・生まのものに触れることの恐怖
再びの切り裂き、すなわち触れられ、切りつけられ、切除され、貪られる眼球。誘惑と恐怖。バタイユが触れることの恐怖に最も生まに触れるところ。類似の取り込みとイメージの貪欲さ〔voracité〕。79ページ。

・冒され、変形させられた空間性
空間的貪欲さの現象学。差異、類似、変容。バタイユにおける経験の空間的フォルム。(演劇化する)悲壮なものと(フォルムを与える)形態学的なもの。89ページ。

・人神同形説の貪尽〔dévoration〕
一匹の魚が仲間の魚を喰らい尽くす、すなわち自身と似たものを生産し、自身と似たものの均衡を崩し、自身と似たものを取り込むフォルム。顔の、頭の、仮面のモチーフ。反「人間的形象」の一覧。落伍した神の顔。95ページ。

・人神同形説の大衆化〔massification〕
事物の類似。頭、事物、混沌。大衆と仮面。小石から「最初の人間」まで、すなわち古代的なものと現代的なもの、非西洋的なものと非芸術的なもの。「至上なる残滓」と「物質の仮面」。101ページ。

・肉の過剰と欠損
「喰らわれた顔」が言わんとするもの。接触と対照、すなわち頭蓋骨と満ち足りた顔。グロテスクと悲劇的。肉の労働と死の労働。歪な〔difforme〕包帯と痩せこけた顔。116ページ。

・人神同形説の皮剥ぎ
拷問された類似。脱構成という神話的フォルムと野卑なフォルム、すなわち神的なフォルムと犯罪的フォルム。眼球と不幸。吊るされるもの、皮を剥がれるもの、すなわち貪欲な接触と供儀の肉の台。残忍さという戯れ-遊び、すなわちその前でまなざすこと、その中で恐れること。アステカの供儀にされる男。125ページ。

・人神同形説の粉砕
アンフォルムの極み。フォルムが自身を供儀にするプロセス、すなわち、開き、粉砕、凝集、取り込み。もはやなにものにも類似していないものが似たものに戻るとき。自然からの逸脱、絵画からの逸脱、すなわち過剰な類似と場の権能。142ページ。

・人神同形説における災厄
災厄のフォルム。溺死のモチーフ、すなわち場の支配における「人間的形象」。大崩壊、吐き捨てられた唾、アンフォルム。山積みの魂とイメージの生気。私たちの「人間的形象」の喪に面したまなざしの欲望。162ページ。

第三部
徴候:「可視的なフォルムと同じくらい具体的な事実の弁証法的展開・・・・・・」

・フォルムの変容〔métamorphose〕
「人間的形象」の非絶対的脱構成をどう名づけるか?労働としての暴力。弁証法の問いz人間性と動物性。「自己の外部」の可能性としての変容、悲壮な変形、生成変化の構造。183ページ。

・フォルムの往来
アンチテーゼ的フォルムの物質的生成と接合。運動しているフォルム。「強い印象を残す」プロセスとしての側面と反転の軸としての側面。二つの誘惑と二つの顔、すなわち「口唇性の」と「聖なる」。192ページ。

・フォルムの反響
結合させられ、ばらばらにされ、ばらばらになっているフォルム。衝突と余波、すなわちどのようにイメージはイメージを脱構成するか。接触と時間。「現実的現前」とフォルムという偶然。可視的側面、視覚的側面。文体、消費、アンフォルム。200ページ。

・「異端的」弁証法、あるいはどのように仮説を表明するか
アンフォルムの入口と弁証法の入口、すなわちフォルムの弁証法の仮説。異端的使用と発見的〔heuristique〕使用の価値。「フォルムの物質性における」バタイユの「マニ教的唯物論」。相容れないものと分離不可能なもの。222ページ。

・「否定的」弁証法、あるいはどのように哲学を開くか
バタイユとヘーゲルの論争。弁証法のリスクと誘惑。釘、固定し、開く。「反ヘーゲル的弁証法」?否定的労働。「フォルムの弁証法」の理論的使用の価値、すなわちそれ自身の外にある哲学。241ページ。

・「退行的」弁証法、あるいはどのようにあるイメージが生まれるのを見るか
哲学的表象における目眩。思考はイメージによってなにを生産するのか?戯れ、すなわち悦ばしき知、ごまかし、シミュラークル、残酷。侵犯と退行、すなわちあるイメージが生まれるのを見るための時間。バタイユとフロイト。261ページ。

・「異化している」弁証法、あるいはどのように芸術において始めるか
「プリミティブ」アートの問い。〔G-H・〕リュケによる視覚的リアリズムと知的リアリズム。バタイユの対象化。芸術の幼少期はすでに弁証法的である。脱構成しながら構成すること。異化の概念、すなわち痕跡の弁証法と類似の弁証法。280ページ。

・「入り組んだ」弁証法、あるいはどのように接触に隔たりを置くか
フォルムにおける隔たりとは?物質という異化している接触、すなわちフォルムにおいてフォルムを供儀にするもの。バタイユの唯物論は弁証法的フォルマリズムである。人間は何からできているか、何に類似しているか。フォルムからフォルムへと異化している接触。侵食という弁証法。298ページ。

・「具体的」弁証法、あるいはどのようにフォルムを激しくするか
弁証法の問い、モンタージュの問い。ゴルトンによるフォルム-ジンテーゼ、すなわち抽象的な、完璧な、虚弱な。エイゼンシュテインによる弁証法の具体的作品化。ソルボンヌ講義と『ドキュマン』の作用。具体的で、異化しており、激しいモンタージュ、すなわちフォルム-ジンテーゼからフォルム-徴候へ。311ページ。

・「恍惚の」弁証法、あるいはどのように欲望と残酷を受肉させるか
バタイユとエイゼンシュテイン、イメージの二つの異質性。偽りの美学的ジレンマの彼方の弁証法。モンタージュと「イメージエフェクトの栄華」。6つの弁証法的側面、すなわち魅惑と葛藤、イメージと思考、(夢と観察されたものの彼方の)幻想と資料(クローズアップ)、フォルムと欲望(受肉、恍惚)、犯罪と美(仮面、開け、残酷)、欲動と構築(イメージのメタ心理学、すなわち退行と侵犯)。330ページ。

・「徴候的」弁証法、あるいはどのように最も低いものに触れるか
ジンテーゼなき弁証法、すなわちフォルム、アンチフォルム、徴候。徴候的なものの美学と存在論、すなわち徴候と文体、『有罪者』、完成されぬもの。病に陥るフォルムと引き裂かれた人神同形説。イメージ、偶然性という至高性。ヘーゲルの虫歯、すなわち悦ばしき知と非-知。火山の噴火口、墜落への上昇。試練とフォルム。バタイユとフロイト、再び。徴候的経験、「決定的なもの」と「不可能なもの」。366ページ。

・イメージの二つの体制
芸術への意志と徴候への意志、すなわち美学分野の動揺。体験とは?フォルムの弁証法と試練の弁証法、象徴の弁証法と徴候の弁証法。最悪のものとの戯れ。蝿取り紙、すなわち接着させるものは和解しない。死の物質と花言葉、すなわちアンフォルムなものと装飾的なもの。イメージと弁証法、すなわちバタイユ、ベンヤミン、ヴァールブルク。アンフォルムな類似、すなわちイメージは開く。403ページ。

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