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哲学の論

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記事一覧

ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『不定形な類似』目次と要約

第一部
テーゼ:類似と合致。どのように人は類似を引き裂くのか?

・イメージの二つの体制〔régime〕
類似を引き裂くだろうものと類似を引き裂かれたものにしたもの。バタイユにおける体験の二つの意味とイメージの二つの体制、すなわち焦点的-固定的、遠心的-可動的。図像主義批判。イメージというある悦ばしき知に向けて。9ページ。

・悦ばしき知の視覚的資料=ドキュマン
ドキュマンというアート雑誌は、意味

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書評:何度でも始めるために(幸村燕「不在の現前」)

 以下は幸村燕「不在の現前──ミシェル・ウエルベックにおけるモチーフと構造〈乗り物から神まで〉」(『REBOX3 特集:ウエルベック』メルキド出版 2022)の書評である。
 この論考はウエルベックにおける様々なモチーフを「不在」というキーワードで結びつけ、ウエルベックの小説の構造、そして人間観について論じている。ここでなされるウエルベックの巧みな読解を一節ごとに追いつつ、書評に代えよう。
 まず

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マーク・フィッシャー『ポスト資本主義の欲望』

 ロンドン証券取引所の占拠運動が始まって間もなく、小説家から保守派の政治家に転身したルイーズ・メンシュは、BBCのテレビ番組「Have I Got News For You?」に出演し、この占拠によって「スターバックスの過去最大の行列」ができたと言ってデモ隊を嘲笑した。メンシュが言うには、問題は占拠運動の参加者が企業のコーヒーを買ったことだけでなく、iPhoneも使っていることだ。提言されているの

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G・バタイユ『ニーチェについて』読書会の序文

 精神科医斎藤環によれば、1996年から2019年の間に鬱病は約三倍に増加している。人々は心療内科や精神科にかかる。鬱の傾向があれば日光浴や軽い運動などを勧められ、重度の症状があればレクサプロなどのSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)を処方される。鬱病の治療において環境的な原因は問題ではない。鬱病の身体が役に立たないことが問題とされる。上で示した「治療」は鬱病で働けない身体をとにかく働ける

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ニック・ランド『絶滅への渇き』におけるカントの位置付け

「ニック・ランド『絶滅への渇き』におけるカントの位置付け」

○はじめに 先日ゾルピデムという入眠剤を処方された。不眠の症状があり精神科にかかったのだ。幸いうつ病ではないのだが不眠はうつへの第一歩である。おそらく私のようなうつ病予備軍も含めて、先進国と呼ばれる国の若者は病んでいる。これにいち早く切り込んだのは1990年代のイギリスの思想家たちだ。
 その一人にニック・ランドという思想家がいる。19

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モーリス・ブランショ「友愛」

エピグラフ
「私の共犯的友愛。これこそ、私の気質が他の人々にもたらすすべてである。」
「......深い友愛の状態にまで至る友。そこでは、見捨てられた、すべての友から見捨てられた人間が、生を超えて彼に連れ添うことになる人間に、彼自身は生をもたず、自由な友愛が可能で、いかなる結びつきからも解き放たれた人間に、生のなかで出会う。」
(ジョルジュ・バタイユ)

「友愛」

 この友について話すことにどう

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ジョルジュ・バタイユと資本主義論素描

 ジョルジュ・バタイユの思想には常に「太陽」があった。最初期の著作『眼球譚』、『太陽肛門』、『松毬の眼』、『腐った太陽』から晩年の蕩尽の理論まで、太陽というテーマはバタイユの中で大きなものであった。
 そもそも哲学において、太陽のイメージは古代から用いられてきた。最も有名なのは言うまでもなくプラトンの太陽である。プラトンは洞窟の比喩のなかで太陽を善のイデア、すなわち最高の存在として記述している。

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哲学を学ぶということ

 とある大学院の入試にこのような問いが出題された。
「現代において哲学を学ぶ意義とは何か?」
 語の正確な定義は置いておいて、哲学をいま学ぶというのはどういうことなのか。

 何千年も言われていることだが、哲学philosophyとは「知への愛」だ。真理を愛し、そこへ向かうこと。様々な哲学者が審理を求めて、世界を探究してきた。
 だが現代人は嘲笑混じりにこう言う。「愛?そんなものはコンビニにも売っ

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ジャン=リュック・ナンシーの分有について

○はじめに
 ジャン=リュック・ナンシーの「分有」というタームは、その著作中に非常に多く見出される。しかも、それはおそらく彼の哲学の中心的なものである。彼を有名にした『無為の共同体』においても、分有は重要なモチーフである。
 しかし、分有それ自体がいかなるのものなのかという言及は多くない。この言葉はその使用において意味を示されており、あえて辞書的に「分有」を説明していないようにも見える。
 とはい

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