モーリス・ブランショ「友愛」

エピグラフ
「私の共犯的友愛。これこそ、私の気質が他の人々にもたらすすべてである。」
「......深い友愛の状態にまで至る友。そこでは、見捨てられた、すべての友から見捨てられた人間が、生を超えて彼に連れ添うことになる人間に、彼自身は生をもたず、自由な友愛が可能で、いかなる結びつきからも解き放たれた人間に、生のなかで出会う。」
(ジョルジュ・バタイユ)


「友愛」

 この友について話すことにどうして同意するだろう。賛美のためだとしても、なんらかの真理のためだとしても。彼の性格の特徴、実存の形、人生のエピソード、それらは、彼が無責任なまでに遂行の責任を感じていた研究に沿ったものであったとしても、誰のものでもない。証人などいない。最も近くにいた人たちは、自分たちの近くであったことを語るだけで、この近さにおいて肯定されていた遠いものは語らないし、遠いものはその人の現前がなくなると同時になくなってしまう。私たちが、私たちの語り-パロールによって、私たちの著述によって、不在になったものを維持しようとするのはむなしいことだ。また私たちが、私たちの魅力的な記憶やそれらしい顔立ちを、あの日に留まる幸福を、真の姿の延命を、その不在の維持へと差し出すこともむなしいのだ。私たちは空虚を埋めることだけを求めるし、その空虚を肯定するという苦痛に耐えられない。誰がその無意味さを受け入れることを承知するだろうか。その無意味さはあまりに並み外れているために、私たちはその無意味さを含み得る記憶を持たないし、また私たち自身は忘却へと横滑りする必要があるのだ。その忘却とは、無意味さを、この横滑りのときに、その無意味さが表象する謎にまで運ぶための忘却である。私たちが言うことはすべて、あるたったひとつの肯定を覆い隠してしまうことになる。すなわち、あらゆるものは消え去ってしまうしかなく、そしてこの消え去っていく運動を見守ることにおいてのみ、私たちは[亡き友に]忠実であり続けることができるのであるという肯定を覆い隠してしまうのであり、その消え去ってゆく運動にはあらゆる追憶を拒絶する私たちのなかの何かがすでに属しているのだ。
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 私はさまざまな本があるということを知っている。本は一時的に残留する。たとえ、本を読むということは、本がかならず消失へと引き退くという必然性を私たちに開示してくるに違いないとしても。本それ自身は人を一つの実存に送り返す。この実存は、もはや現前ではないため、歴史のなかで、そして歴史のなかでも最悪のものである文学史のなかで展開され始める。文学史とは、研究心に富み、綿密で、資料を探しだすものであり、そのような文学史はいまは亡き意志を奪いとり、いまは遺産となったものに対して彼だけが持っているものを、知に変えてゆくのだ。これは全集の瞬間-契機である。人は「すべて」を出版したいと思うし、「すべて」を言いたいと思う。あたかも急いでそうするしかないかのように。すべてが語られるしかないように。あたかも「すべてが語られる」ことで、最終的に私たちは死せる語り-パロールを止めることが可能になるかのように。すなわち、その死せる語り-パロールから生まれる哀れな沈黙を止め、また死後のあいまいな待機状態がまだ私たち生者の語り-パロールと混ざり合うというような錯覚を与えるものを、はっきりと定められた領域のなかにしっかりと保持することが可能になるかのように。私たちの近くにいる人が現に存在する限り、そしてその人の自分を肯定する思考がその人とともに現に存在している限り、その思考は私たちに開かれている、そう、まさにこの関係そのもののなかに守られて私たちに開かれている。そして、その思考を守るものは、単に生の流動性(これはほとんどたいしたものではないだろう)ではなく、終わり-目的の外異性がその思考のなかに導入する予測不可能なものなのだ。そして、この予測不可能な運動、その限りない切迫性のなかに絶えず隠されている──おそらく死ぬという──運動は、終結が前もって与えられはしないということから生じているのではない。むしろ、終結が不意に訪れるときでさえ、それは到来する出来事を決して構成することもないし、知ることのできる現実を構成したりもしないということから生じている。すなわちその運動は、捕捉不可能なものであり、その捕捉不可能なもののなかでそれに運命づけられた人を最後まで維持するのだ。私たちの近くにいる人が語るときに語られているものとは、この予測不可能なものである。そしてそれは、彼が生きているあいだは彼の思考を隠しておくもの、あらゆる支配から、つまり外の支配からも内の支配からもその思考を遠ざけ、自由にするものなのだ。
 私は次のようなことも知っている。すなわち、ジョルジュ・バタイユがその著書のなかで、束縛のない自由をもって自身について語っているように見えることを知っている。そしてその自由というのは、私たちをあらゆる慎ましさから解放してくれるにちがいない──のであるがしかし、私たちが彼にとって代わる権利や、彼の不在において話す力を私たちに与えるものではない。また彼が自分のことを語っているというのは確かなのか?彼の探求が表現されたとき、それはこの「私」の現前をまだ表しているように見えるものの、この「私」は誰に向かって語りかけているのだろうか?それはたしかに、自我とは全く異なるある自己に向かって、つまり、生の幸福であり不幸である特殊性において彼と知り合った人々が、追憶の光を手がかりにして呼び起こしたいと願うような自我とは全く異なる自己に向かってなのだ。あらゆる点で次のように考えねばならない。すなわち、このような運動において問題となっている人格のないこの現前は、次のような人の実存に謎めいた関係を導入していると考えねばならない。その人とは、その現前について話すと決めることができたかもしれないのだが、それを自分のものだと主張するわけではなく、ましてやそれを自分の伝記のなかの一出来事にするわけでもない(それは伝記のなかの一出来事というより、むしろ一つの欠落であり、彼の伝記はそこで消えてしまう)、そういう人である。そして、「この体験の主体は誰だったのか」と私たちが自問するとき、この問いはもしかするとすでに答えられているかもしれない。もし、この体験を導いた者にとって、閉じられた特異な「私」を答えのない「誰?」という開かれたものに置き換えたために、この疑問の形こそがその人のうちで肯定されるのならば、もう答えはあるかもしれないのだ。この答えがない「誰?」における答えがないというのは、「私であるこの自己とはなんなのか」ということだけを自問しさえすればよかったという意味ではなく、もっと根本的に、もはや「私」としてではなく、ひとつの「誰?」として、未知でありそして定義されていない横滑りする存在として、自分自身を絶えず取り直さなければならないという意味なのだ。
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 私たちは、本質的な何かで私たちと結ばれている人たちを知る、という考えを捨てなければならない。つまり、私たちは未知なるものとの関係のなかで、彼らを歓迎しなくてはならない。彼らはその未知なるもののなかで、私たちの遠ざかりにおいて私たちのことも歓迎してくれるのだから。友愛、それは従属関係やエピソードのない、それでいて生のあらゆる単純さが入り込むこの関係のことであり、またそれは、共通の外異性の認識を経てゆくのであり、この認識ゆえに私たちには友人たちについて語ることが許されず、むしろ彼らにただ話しかけることができるだけなのだ。友人たちを会話(または論文)の主題にすることは許されず、むしろそうして私たちに話しかける友人たちが、最も親しい間柄であってさえ、限りない距離を残しているような、つまり互いを分離するものが関係となる根本的な分離を残しているような聴解(l'entente)の運動とすることのみが許されているのだ。ここにおいて、慎ましさとは、単純に秘密を口にしないことではない(秘密を言ってしまおうと考えることさえなんと失礼なことだろう)。むしろ慎ましさとは間隔、それも私とひとりの友人というこの他者の間にあって、私たちの間のあらゆるものを測る純粋な間隔なのだ。またそれは[いま生きている私という]存在の中断、私が彼を、彼についての私の知識を思いのままにすることなど(たとえそれが彼を褒めるためだったとしても)決して許さない存在の中断であり、しかしまた、あらゆる交流を妨げるどころか、逆に語り-パロールの差異という形で、ときには語り-パロールの沈黙という形で、私たちを互いに結びつけるような存在の中断なのだ。
 この慎ましさが、ある瞬間、死の裂け目となってしまうというのは本当だ。ある意味では何も変わっていないのだと想像することも私にはできる。すなわち、私たち二人の間にあって、言説の連続性を中断することなく、その連続性のなかに場をもつことができたこの「秘密」のなかでは、私たちが互いに現前のうちにあるときから、暗黙のうちにではあるが、究極的な慎ましさが差し迫った現前という形ですでにあり、そしてその差し迫った現前から、友愛的な語り-パロールの慎重さが静かに自分を肯定していたのだ。その語り-パロールとは、一方の岸から他方の岸への語り-パロール、向こう岸から語りかける誰かに応える語り-パロール、私たちが生きているときから、死の運動という並み外れたものが自分を確信しようとするような語り-パロールだ。しかしながら[友人の死という]出来事そのものが起こるとき、この出来事は次の変化をもたらす。すなわち、隔たりは深化するのではなく消失するという変化であり、切れ目は拡大するのではなく平準化するという変化であり、私たちの間の空虚、そこではかつて歴史のない一関係の率直さが展開していたような、私たち二人の間にあるあの空虚は消散するという変化である。そのため、いまでは、私たちに近かったものは、近づかなくなっただけでなく、極限の遠さという真理までも失ってしまったのだ。このようにして死は、深刻な対立によって分裂した人々を親密さ-内奥へと連れ戻すように見える偽りの力を持っている。これは、互いを隔てるあらゆるものが消えるためだ。互いを隔てるもの、それは、真の意味で繋ぐもの、関係の深淵そのものであり、そこに友愛的な肯定の常に維持されている相互理解が単純率直に保持されている。
 私たちは、ごまかしつつ対話を続けているふりをしてはならない。私たちに背を向けたものは、私たち自身をもかつて私たちの現前であった部分に背かせてゆくのであり、私たちは次のことを学ばなくてはならないのだ。すなわち、長年にわたって「配慮のない要求」に身を捧げてきた語り-パロールが止むとき、停止したのは単にこの要求してくる語り-パロールではなく、その語り-パロールがかつて可能にした沈黙であるということを学ばなくてはならないし、そしてその沈黙から、この要求してくる語り-パロールは、時間の不安定さへとわからないほどゆるやかな傾向に沿って戻ってきたのだということを学ばなくてはならないのだ。おそらく、私たちは同じ道を辿ることができるかもしれないし、さまざまなイメージが生じ来るままにしておいたり、偽りの慰めが私たちに自分のものだと思わせるような不在にすがることができるかもしれない。一言で言うならば、私たちは思い出すことができるのだ。しかし、思考は人が思い出さないということを知っている。記憶もなく思考もない思考は、すべてが無差異-無関心に戻ってしまう不可視のもののなかで、すでに闘っている。それこそが思考の深奥なる苦痛だ。思考は忘却のなかを友愛とともに進んでゆかねばならない。


Maurice Blanchot 「L’amitié」(Gallimard 1971『L’AMITIÉ』XXIX p.327-330)

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