ニック・ランド『絶滅への渇き』におけるカントの位置付け

「ニック・ランド『絶滅への渇き』におけるカントの位置付け」

○はじめに

 先日ゾルピデムという入眠剤を処方された。不眠の症状があり精神科にかかったのだ。幸いうつ病ではないのだが不眠はうつへの第一歩である。おそらく私のようなうつ病予備軍も含めて、先進国と呼ばれる国の若者は病んでいる。これにいち早く切り込んだのは1990年代のイギリスの思想家たちだ。
 その一人にニック・ランドという思想家がいる。1990年代後半に『資本主義リアリズム』のマーク・フィッシャーらとCCRU(サイバネティック文化研究ユニット)を運営し、現在は上海で活動していると言われている。CCRUは組織の名前からわかるようにいわゆる「学問的」な組織ではない。それは、文学はもちろんサイバネティクスや音楽、テレビドラマなど非常に多岐にわたる文化を研究するものであった。CCRUの最も素晴らしい書き手であり、現代の閉塞を見抜いていたフィッシャーはうつ病で、2017年に自殺している。
 一方でランドは思想家ではなく、むしろ実業家たちの理論的支柱として知られている。PayPalの創始者であり、その影響力から「ペイパルマフィア」とまで呼ばれるピーター・ティールの標榜している、加速主義なる主張はこのランドに端を発している。
 加速主義とはごく簡単に言えば次のようなものだ。すなわち、外部なき資本主義が私たちを苦しめている。その外部のなさが私たちを苦しめるならば、資本主義のルールに則って資本主義自身を内側から瓦解させるような「特異点」にまでそれを推し進めよう。その方法は「誰のものでもない完全にリベラルな海上国家の建設」、「人体の改造による人間性の超越」などである。
 この、就活しなければならない時期の大学生が見るような夢ははっきり言ってくだらない。中二病にならって大三病とでも言えよう。インスタントな方法で「外部」などというものを見て、目の前や足元を疎かにする加速主義は愚かという評価を免れ得ない。だが、この思想が確かに起業家や実業家たちを動かしていることは間違いない。
 フィッシャーの自殺と加速主義の存在は次のようなことを示している。すなわち、資本主義の内部にいる私たちはその構造に苦しんでおり、それから逃れる手段は死か、ありもしない幻想のための闘争かの二択であるということだ。
 精神科医の斎藤環によれば、ここ二十年で精神病は劇的に減少したが、うつ病は約三倍に増えている。フィッシャーもイギリスの若者のほとんどがかかる病としてうつ病を挙げていた。うつ病に対する対応は基本的に、レクサプロを代表とするSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)で脳内のセロトニンの量を調節し、生きていける状態にするというものだ。
 だがうつ病の原因はほんとうに脳の異常なのだろうか。脳の異常だとしても、なぜ脳は異常をきたすのか。おそらく、脳そのものが異常だからうつ病になるのではなく、人間の外部にある構造、資本主義が私たちに耐えられない苦痛を与えているからだろう。一つの競争を終えれば次の競争が始まり、負ければその負けが次の勝負で不利を与える。資本主義社会のなかで勝って生きるために、例えばエントリーシートや面接で、私たちは私たちの大切なものを商品かの如く陳列させられる。こんなものは売春とさして変わらない。
 しかし、この競争社会に嫌気がさしても、生きるのには金が要る。資本主義のなかで金を稼ぐ必要がある。この抑圧がうつ病を生む。そして、売春をせずに死ぬか、外部を夢みて突き進むかという二者択一を迫られるのだ。
 フィッシャーは死をもって資本主義の閉塞を示してみせた。一方で、これから論じるランドは、上海というアメリカ西海岸に並ぶ資本主義の楽園で、その打開を夢見ている。
 ランドが加速主義の父と呼ばれるのは以上のような背景がある。しかしその加速主義は批判されるべきものであると私には思われる。というのも、加速主義者たちには倫理がないのだ。なにしろ資本主義を推し進めようと言うのだから、倫理など邪魔者でしかない。逆にだからこそ、彼らにはポスト・ヒューマンが可能なのだ。
 そしてなによりみんなで豊かになるというよりも「努力」で個人個人が成り上がれ!といった主張が平気でなされる。つまるところ、彼らはもともと豊かであるか、ごく一部の幸運な人間たちなのだ。彼らの苦労や成功譚は認めるべきところがある。それでも、だからといって、格差を広げ「その先へ」などと主張していいわけではない。だからこそ私は、加速主義の源流であるランドを研究することによってそれが善くない、少なくとも改善の余地ありであると示したい。本稿ではそこまで言うことはできなくとも、加速主義の原点を探ることで理論的な批判の種を見つけ出したい。

○本稿の流れ

 ランドの著作はフランス現代思想と一般的に呼ばれている哲学の系譜を引いており、非常に読みにくい。さらに現在ランドは、主にブログでのみ文章を発表し、「哲学」の領域に属するものを執筆していない。そのため、私たちは加速主義の源流へと至るために、彼の初期の理論的著作に当たらなければならない。すなわち、ランドの博士論文『The Thirst for Annihilation(絶滅への渇き)』を読まなければならない。
 この著作は博士論文ということもあり、他の著作に比べると読みやすく、哲学史を踏まえて書かれている。その主題は、フランスの思想家ジョルジュ・バタイユだ。バタイユを思想史上どこに位置付けるか、またバタイユの思想から思想史を逆読みする、それがランドの目的であるように思われる。
 そしてランドはバタイユをカントと対峙させる。一般的にバタイユはヘーゲルと結びつけて考えられるが、ランドはむしろバタイユをカントの系譜に位置付ける。それはカントの「ヌーメノン」とバタイユの「未知なるもの」に共通性を見出しているからだ。
 本稿ではランドの『絶滅への渇き』を読解する。第一節では哲学史をテーマとする第一章「‘The death of sound philosophy’(『健全な哲学の死』)」を読んでいく。ランドはバタイユから出発することでカントの哲学史上の位置を見直す。それは「限界」という地点を介して可能になる。
 第二節ではランドの根本的な問題である資本とカントがいかに結びつくのかということを見ていく。ランドはカントのヌーメノンを死と読み替えており、それによって一般的にカントとは繋がらない思想家や資本とカントを結ぶことが可能になる。だがこれが本当に可能なのかは少々議論の余地がある。
 一般的にカントは、理性の限界を定め、人間に可能なことと不可能なことを仕分けた人物として紹介される。カントは英知的なものと感性的なものという区分を使って、認識に「コペルニクス的転回」を起こす。人間は確かに何かを認識しているのだが、それが何であるかということは決してわからず、それをカテゴリーによって分類し、判断しているにすぎない。カントはこの判断に関わる語性と理性について論じた。
 そしてより根本的にこの理性について論じているのが『純粋理性批判』である。この本では、特に人間の能力の限界が、理性の限界が詳しく述べられている。ランドはこの限界の発見者としてのカントを高く評価している。だが逆に、ランドの目に映るカントは理性の限界を発見したが故に、そこで引き返し、人間に何ができるのかということを探求した人となっている。
 このカントが述べなかったことこそ重要であるという逆説的な、ひねくれたカント観は正統派の哲学史ではない。だが、例えばのちにフロイトが発見した無意識などは、カントが英知的なものに対して述べたことと同様に、人間が理解できない「それ」が人間にああしろこうしろ命令してくるものだった。その系譜を引いているのがフランス現代思想だ。だからランドはカントを限界の哲学者として解釈する。この系譜には、カント、ショーペンハウアー、ニーチェ、フロイト、バタイユ、ラカン、ドゥルーズ&ガタリが並べられる。
 本稿でカントとバタイユ以外は軽く触れる程度だが、その他の思想家の影響も非常に大きいことからその都度解説を加えていく。特に「限界」に関する思想は、ランドの哲学史の中心に据えられているため、本稿もその解釈に従っていく。
 ランドは本気でカントの隣にバタイユを並べようとしている。単純にバタイユを勉強していれば、バタイユにおけるカントの影響は微々たるもので、著作中の言及も少ないと思ってしまう。はっきり言って『絶滅への渇き』が博士論文として認められたことすら驚きである。しかしランドは哲学史を読み替え、なにがバタイユの背後にあるかを探究することでこの独自のカント観を展開する。
 とにかく、まずはどのようなランドが哲学史を描いているか見ていこう。

○第一節 ランドの哲学史

 第一章のタイトルからして、ランドはカントについて述べる気であると伝わってくる。「健全な哲学の死」とは、カントが『純粋理性批判』のなかで立てた四つのアンチノミーについて、その解決のなさにはまり込んだり、自説を強弁するような態度に対して使う言葉だ。
 そして『絶滅への渇き』の本論は次のように始まっている。

 カントの大発見──しかし彼が決して認めなかったこと──は、必当然的な理性は認識とは相容れないということであった。そのような理性は「超越論的」でなければならない。[...] 超越論的であるとは、現実から「自由」になることである。これは確実に、西洋哲学の歴史において最も華麗な婉曲表現である。
 Kant’s great discovery—but one that he never admitted to—was that apodictic reason is incompatible with knowledge. Such reason must be ‘transcendental’. [...]To be transcendental is to be ‘free’ of reality. This is surely the most elegant euphemism in the history of Western philosophy.(『The thirst for Annihilation』p.1)


カントは「健全な哲学」である超越論哲学を勧める。ランドにとってその超越論哲学は、理性について情報を整理し、思考可能なものと不可能なものを分けることに最も大きな意義をもっている。ランドはカントの見つけた「健全な哲学の死」がむしろ重要であったと述べる。カントは「必当然的な理性は認識とは相容れない」からそちらに目をやらなくて良いとした。だがむしろそれを直視して解決不可能な泥濘のなかに進むべきだとランドは考える。
 この見方はこの論文がバタイユ論であることから理解できる。というのも、カントが可能なものの方で論を展開させたのとは対照的に、バタイユは不可能なもの方へと進むためだ。両者ともに限界を見定め、それを挟んだ対岸で仕事をしたのだ。
 ランドの言っている「現実」とはおそらく、一般的に考えられるそれではない。各々の目の前にある経験上異なったこの世界ではなく、むしろ万人に共通する避けがたい「死」を「現実」と言っているのだろう。
 だがその死は不可能なものだ。というのも私たちは死を体験することができない。せいぜい他人が死ぬのを見届ける程度だ。しかしそのために私たちは自分が死ぬということを知り、それが避け難いものだと理解している。この死の両義性は、言い換えれば、あると分かっていながら知ることのできないもの、カントの切り離した物自体であると言える。
 つまりランドが先の引用で言っているのは、カントが限界を示したことで、その限界は考えなくても良いもの、さらに言えば考えてはいけないものとなってしまったということだ。
 だが、そのことがむしろそちらの方へと人を惹きつける。カントが科学の領域を確保した哲学者として名を残す一方で、フランス現代思想という一つの潮流を作ったのはその後継者と言われるヘーゲルだ。

ルターから数年のうちにイエズス会、またカント後にヘーゲル。カトリックと形而上学の両方が生まれ変わる。結局のところ、何かに恐怖することは、それと同じものに情熱的に熱狂することなのである。
Within a few years of Luther, the Jesuits, after Kant, Hegel. Catholicism and metaphysics both reborn. After all, fear is the passionate enthusiasm for the same.(同上)


ルターはカトリックの腐敗を断罪し、プロテスタントという新たな道を開いた。カトリックは現在も聖体拝領や荘厳なミサなど神秘的な面を持ち続けている。逆にプロテスタントは、ウェーバーの有名な著作のタイトルからもわかるように資本主義的な、ランドが批判する道を歩む。そんな道を開いたルターの後に出現したイエズス会は、よりカトリック的な神秘主義を強調した修道会だ。
 これと似たような事例としてカントとヘーゲルが挙げられている。カントが科学へ、合理的な方へと道を開いたのとは反対に、その後継と呼ばれるヘーゲルは不合理な死へと思考を向けたのである。これはヘーゲル研究者からすれば微妙な見方だが、フランス現代思想におけるヘーゲルは、コジェーヴやジャン・ヴァールの紹介で、死と不安の思想家として認知されている。つまりイエズス会もヘーゲルも、その先立であるルターやカントが考えなくてよいとしたものに熱狂しているのだ。
 バタイユは、この死の思想家ヘーゲルを先立として非常に高く評価する一方で、最後の一歩を前に怖気付いたとも言っている。確かにバタイユからすれば『精神現象学』の序文で、死の威力について力説していたヘーゲルが、それ以降の著作では伝統的な哲学よろしく穏当化したように見えるだろう。
 ランドはこの「老いた」ヘーゲルに見切りをつけ、「ヘーゲルの哲学は、カント主義の生命維持装置であり、危機に対応する医療機器であるHegel’s philosophy is the life-support machine of Kantianism, the medical apparatus responding to a crisis.」(同上p.2)とまで述べる。そして、バタイユが対峙するべきはヘーゲルではなくカントであるとする。差し当たり第一章ではバタイユとカントに共通するタームが並べられその正当性が主張されている。(「予備的な例としては、主権-至高性(ヘーゲル的なものになる前のカント的な問題)、限界の思考、未知なるもの、蓋然性、客体性、および目的-終わり、さらには、その批判的な用法とともに、内在と超越の間の決定的差異が含まれるかもしれない。 A preliminary sample might include sovereignty (a Kantian problematic before becoming a Hegelian one), the thoughts of limit, the unknown, possibility, objectivity, and end, as well as—and above all—the crucial difference between immanence and transcendence along with its critical usage.(同上)」)
 どの程度このタームの羅列が意味を持ち、カント-バタイユ読解で動作しているかは第一章で述べられておらず、例えば第七章「牙を持つヌーメノン:サイクロンという受難-情熱」や論文集「Fanged noumenon」で論じられているため今は言及を避けよう。差し当たりランドの哲学史におけるカントの位置を見ていく。
 ランドの哲学史にとってヘーゲルは重要ではないとすれば、他に誰が重要なのか。ヘーゲルと同じ時間に講義を開いていたショーペンハウアーだ。
 ヘーゲルの講義が大人気だったのに対し、ショーペンハウアーの講義は非常に不人気であったという逸話がある。これを単純にショーペンハウアーの講義が面白くないという笑い話としてとることもできる。しかし、大学というただの国家のイデオロギー装置のなかで人気だということがどのような意味を持つのだろうか。ヘーゲルは大哲学者であるのと引き換えに、哲学のもっていた生の煌めきを売り払ってしまったのではないだろうか。そう考えてランドはショーペンハウアーに注目する。
 バタイユは誰よりもニーチェを愛していた。そしてニーチェに最も影響力を持っていたのは、ヘーゲルでもシェリングでもなく(ランドによればそのように主張することは「馬鹿げている」)、ショーペンハウアーであるとランドは考える。
 ランドによれば、ショーペンハウアーが『意志と表象としての世界』で書いた私たちの背後にある「意志」とは、カントのヌーメノンの読み替えである。この意志が、ニーチェではディオニュソス的欲望の系譜学を支え、バタイユの低次唯物論へとつながる。またこの主張がされる場所で、ランドははっきりとヌーメノンが「非人称的な死として、また無意識的な欲動として扱われる noumena is addressed as impersonal death and as unconscious drive(同上p.5)」と述べている。すなわち、カントは科学の道を開いた一方で、正反対にフロイトの道を(もちろん一般的な精神分析は科学を名乗るが、特にラカンは一般的な科学と相容れない)開いたということを述べているのだ。
 ショーペンハウアーによるカントの読み替えで、ニーチェはディオニュソス的欲望を見出した。バタイユは低次唯物論を主張した。これらは、ショーペンハウアーが意志と名付けた、盲目的ななにか、ただそこに在る基体、フロイト的に言えば無意識、「それ」としか言えないものから出発している。ニーチェもバタイユもその主張としては、科学が全てではなく、すべてではない何かが確かにあり、そこに生の輝きを見出すというものだ。
 何度も述べるがカントが理論的に科学を切り開いた一方で、ショーペンハウアーやニーチェ、バタイユのような非合理性に目を向ける思想家の系譜を生み出した両義性を持っているとランドは見ている。この両義性があるからこそ、ランドはカントをこれほど重視するのだろう。
 さてこれまで述べてきたことを整理しよう。ランドにおけるカントは、ランドが限界を巡る思想史を形成するために重要であった。カントは理性の限界を見定めるために『純粋理性批判』を執筆した。この著作のなかでは厳密にヌーメノンが経験不可能なものであるとされ、自然法則に関することは科学の領域、人間の道徳に関することは哲学の領域であるとされた。この設定により明確に此岸と彼岸が分離され、境界が引かれた。
 カントにとってはこの境界から彼岸の側にヌーメノンがあり、ランドにとっては死の現実がある。そしてランドはこの境界にどう関わるかを軸に哲学者たちを位置付けていく。
 此岸の世界の哲学者たちは、両義的な意味でカント、死に怖気付き引き返したヘーゲル、シェリングなどだ。
 死の現実に関わろうとした哲学者として、もちろんバタイユ、彼の愛するニーチェ、ニーチェに源泉を与えたショーペンハウアー、フロイトも陰に陽にこの仲間として語られている。
 デリダは一般的に後者に含んでもよい思想家なのだが、ランドには伝統的形而上学の守り手、此岸でうろうろ迷っている「一線を越えられない」思想家とされている。
 逆にドゥルーズ&ガタリはほとんど言及されないものの、非常に高く評価されているように思われる。というのもデリダに関する批判の文章は非常に多いが、ドゥルーズ&ガタリに関しては全くと言っていいほど言及されない分、そのタームがランドのタームとして自在に使われているからだ。参考文献には『アンチ・オイディプス 』と『千のプラトー』があり、時折それに準ずる主張がなされている。次節では、ドゥルーズ&ガタリも視野に入れながら、カントと資本に関するランドの考えを見ていこう。


○第二節 カントと資本

 ランドのなかでは、科学の道は資本主義の道に通じている。先ほどルターがプロテスタントを産んだと述べたところでウェーバーの名前をだした。その著作の名はずばり、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』である。ルターがカントと構造上同じ場所に位置付けられている以上、カントが資本主義の道をも開いていると言わなければならない。
 実際、ランドは「カントと資本をコインの表裏と表現することは、滑稽であると同時に必要なことでもあるTo describe Kant and capital as two sides of a coin is as necessary as it is ridiculous.(同上p.2)」と述べている。
 そして第七章ではカントと資本の関係がヌーメノンを通して語られている。以下ではその概要を見てみよう。
 第七章はバングラデシュで起こった大規模なサイクロンのリポートから始まる。それは、海からやってきて陸を掻き回し陸のものを壊し尽くすが、土壌の入れ替えという意味で豊穣ももたらすサイクロンである。そんなサイクロンは海への畏れを抱かせる。
 ランドの「海」は、流動性や非人称性、死や狂気の比喩だ。逆に「陸」は合理性や人間性、持続や蓄積などの比喩である。
 超越論哲学は「海」への恐怖が生んだ防波堤ではないか、とランドは言う。人間の本性の根底には「海」への憧れがあるのだが、啓蒙主義はそれを押さえつけ、「陸」の繁栄の道を取った。ランドはカントのこのような心情を代弁する。

我々は両生類ではなく、固体の地球に属している。あらゆる馴染みない航海を放棄しよう。欲望の時代は過ぎ去った。私が予想する新しい人類は、謎に満ちた地平線を必要としない。彼らは海洋が狂気と病気であることを知っている。君たちの古き慄きを止めさせてくれ、そして鉄の海岸の夢に置き換えてくれ!
We are not amphibians, but belong upon solid earth. Let us renounce all strange voyages. The age of desire is past. The new humanity I anticipate has no use for enigmatic horizons; it knows the ocean is madness and disease. Let me still your ancienttremors, and replace them with dreams of an iron shore.(同上p.74)


ランドはやはりバタイユの思想を下敷きにしている。というのも、カントが「健全な哲学の死」と形容した知的混乱や非明晰な生は中世の特徴であり、バタイユは中世に心酔する一方でカントはそれと手を切ろうとしていたからだ。独断のまどろみから覚めたカントと全身全霊でまどろもうとしたバタイユ。
 一節で述べたように、ランドはカントとバタイユはそれぞれ限界地点から逆方向に向かって歩いていると考えている。ではヌーメノンと資本はどのように関わるのか。

 カントによって、死は資本と相関関係のある準客体性として理論的な定式化と功利主義的な枠組を見出す。そしてヌーメノンとはその名である。
With Kant death finds its theoretical formulation and utilitarian frame as a quasi-objectivity correlative to capital, and noumenon is its name.(同上p.78)


 わかりにくいことを言っているが、噛み砕くと言いたいのはカント以降の啓蒙のことだろう。すなわち、カントが経験不可能なものとして彼方に置いたヌーメノンをランドは死と呼んでいる。死は本来少なくとも私たちには限界として、あるいはそれ以上の過剰としてある。だがカントによって死は飼い慣らされた。死は資本において、消尽ではなく投資としてのみ現れるようになった。つまり死は役に立つことに奉仕するようになったのだ。だがそのため資本主義は発展し、社会は「豊か」になった。現在まで死が資本とともに流通している。資本それ自体には何も価値などないのだが、死の介入によって資本それ自体が不滅の魂を持つことになった。この資本の不滅の魂を、ランドはカントのヌーメノンとして解釈しているのだ。
 この死の流通によって、死はその過剰な力を失った。死は個人化され、言ってしまえば軽んじられるようになった。そしてその過剰さが与えていたコミュニカシオンもあり得なくなってしまった。
 以上がおそらくランドの考えていることなのだが、実はこの指摘は同時期にジャン=リュック・ナンシーによってもされている。彼は資本との関係を指摘してはいないが、共同体論としてこの「死の発育不全」を論じている。ランドとナンシーは出発した場所こそ違うが、同じ問題が同時代に論じられていたのは興味深い。
 さてランドが資本の問題を絡めるのは、もちろん最初に言ったようにその非人間性が直接現代の問題としてあるからだが、ドゥルーズ&ガタリをバタイユと並べたいという意図もあるだろう。先んじて言ってしまうと、私にはバタイユとドゥルーズ&ガタリを並べるのは少々困難だと思われる。
 ドゥルーズ&ガタリは欲望一元論を主張する。この前提としてあるのがスピノザだ。スピノザ-ニーチェに精神分析が合流し、欲望一元論が形成される。上でランドがカントのヌーメノンを、ショーペンハウアーが意志と読み替え、ニーチェのディオニュソス的欲望へとバトンを渡したと述べた。ドゥルーズ&ガタリは、ランドによってこの系譜に位置付けられる。
 だが、私見として明らかにドゥルーズ&ガタリをそのように位置付けるのは無理があると思われる。というのも、最初にあげた数人の思想家にうち、デリダは特殊な例として、バタイユと結びつくような思想家たちは全員が否定性の哲学者であるためだ。すなわち、簡単に言ってバタイユとドゥルーズ&ガタリはモチーフが全く異なるのだ。バタイユは否定性のなかでの苦悩を直視し、抵抗し、もがきながら生きることに思想の中心があるのだが、ドゥルーズ&ガタリの場合、分裂症をモチーフとした、自己破壊的なまでの逃走や遊牧民の生き方が思想の中心にある。
 このモチーフの違いを無視すれば片手落ちになる。一方でバタイユが苦痛なかで恍惚し、限界の外にいけないということを叫ぶ。他方でドゥルーズ&ガタリが資本主義の分裂症的性格を横目に、それよりもずっと逃走的な生のあり方を示す。この違いが加速主義の、ランドの間違いに繋がっていると思われる。そもそもバタイユは向こう側へと行くのではなく、向こう側へ行けないことを体験することで限界上の交流があると述べているのだ。それをランドは読み違えている。
 とはいえ、決してバタイユとドゥルーズ&ガタリが結びつかないということはない。資本主義に対する根本的な問題意識から出発すれば彼らの思想を参照しながら思考することは可能だ。だがそうすると今度はそこにカントを並べることが難しくなるように思われる。このような点は稿を改めて論じるか、ランドの著作の翻訳を待つべきだろう。

○終わりに

 現代社会に間接的に大きな影響を持つが、未だ日本への紹介が少ないニック・ランドの思想の一端をこれまで見てきた。
 ランドの問題意識は資本主義にあり、思想はバタイユから出発している。CCRUや1990年代後半のイギリスのことを加味すると、ランドはバタイユの思想を用いて、資本主義からの「イグジット」を考えている。フィッシャーは道半ばで斃れたが、ランドの思想は大起業家らに支持され、現在も壮大な社会実験の如く進行中である。だがその社会実験を倫理的な意味で私たちは批判しなければならない。それを放置することは資本主義からのイグジットどころか、資本主義の懐の深さを知らしめるだけに終わる可能性の方が大きいからだ。
 この加速主義の課題の指摘にために今回見てきた『絶滅への渇き』はランドの博士論文であり、バタイユ論であった。バタイユから近代哲学史を読み直す意欲作である。
 第一節で見たように、ランドはまずカントの位置付けを再考する。カントは一般的に言われている啓蒙思想の大家であると同時に、ランドからすれば資本主義発展の父でもある。なぜなら、カントは限界を設定し、ヌーメノンを導入することで死の現実を遠ざけ、その威力を弱めることに成功したからだ。だが、カントが遠ざけたヌーメノンに惹かれる人々もいた。ショーペンハウアーを始めとして、ニーチェ、バタイユと繋がる系譜である。ランドはその系譜を強く読むことで、一般的な哲学史から距離をとった独自の思想を展開している。
 第二節ではその哲学史を踏まえて、ランドの根本問題である資本とカントの結びつきを見てきた。カントは科学を可能にしたからこそそれと協調性のある資本主義の発展に寄与した。だがことはそれほど単純ではなく、さらにドゥルーズ&ガタリの思想が導入されることで、死を介した資本が考察される。資本の増殖はなんの媒介もないのではなく、弱められた死を契機にしているのだ。それはカントが(ニーチェやバタイユが「海洋愛好者」と呼ばれるのとは反対に)陸地愛好者であり、合理性を探究したためだ。
 そのこと自体に異論を挟むのは難しいが、やはりドゥルーズ&ガタリの導入には少々議論の余地が残っている。だが批判の前に私たちはランドがいかなる下地を持ってそのように主張しているのかを理解しなければならない。本稿では差し当たり、ほとんど知られていないランドの思想を紹介してきた。ここからさらに、上のような問題やランドが書いている一神教との関わり、バタイユの全般経済とボルツマンの熱力学の関係、アリストテレスと中絶の問題などまだまだ余白が残っている。私としては一人でこの広範な領域をカバーすることは難しいため、さらにランド研究が進むことを望む。
 加速主義は社会で生きる人間たちの現代的問題に対する免疫的反応のようなものだ。それを分析し研究することが、別の道がないように見えるこの社会で他の道を探す契機となるだろう。本論が微細ながらその一助となることを信じている。

○参考文献
・Nick Land, The Thirst for Annahilation : Georges Bataille and Virlent Nihilism, Routledge, 1992
・イヌマエル・カント『純粋理性批判』(宇都宮芳明訳 以文社 2004)
・ジョルジュ・バタイユ『内的体験』(出口裕弘訳 平凡社 1998)
・マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』(セバスチャン・ブロイ/河南瑠莉訳 堀之内出版 2018)
・木澤佐登志『ニック・ランドと新反動主義』(星海社 2019)
・ドゥルーズ&ガタリ『アンチ・オイディプス──資本主義と分裂症 上・下』(宇野邦一訳 河出書房新社 2006)
・石川文康『カント入門』(筑摩書房 1995)

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