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生まれ変わって、あなたをやさしくあたためて発光させる、西陽になる
23歳とインフルエンザA型になりました
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痰が絡む咳、息苦しさ、体が震えて手足が麻痺する寒気、関節痛
母の、死ぬ前の症状と重なって怖くなる。症状が怖いのではなくって。わたしのはただのインフルエンザだから2日ほどで症状は治まるけれど、いつまで続くかわからない母の苦しさに対し「頑張って、大丈夫、泣かないで」と他人事になっていたこと、わたしが被害者であるような面をして逃げたいと泣いていたこと、逃げていたこと、あまりにも愚かで、殴りた
書けない なんて言ったけど
ずっと(良くも < 悪くも)わたしはただ真面目で、「受験」というゴールがあった学生時代は、勉強ができる事が全てで、暗記が苦手なわたしにとって記憶(を欠落させないこと)が全てだったし、大学生時代は、論文を書くとき前提となる気づきのための熟考や筋道の通った言語化の上手さ(これは決して巧さではない)が全てだった。と振り返って思う。学内では秀でていたこと、才とはいえない小手先のものが、社会で役立つかと言わ
もっとみる無学さからのニヒリズムは、かなり希望的
永遠に無学さに打ちひしがれるの
吐く息白くなるまでは秋
金色に光る銀杏はなぜ銀と
光の方、光の方へ
にんじん、かぼちゃ、しめじ、味噌。きのこ嫌い?
台所にある全て愛だよ
陽向にて 大丈夫よときみにすり寄る猫になる来世へ欠伸
会うというのは人に限ったことではなくて場所も同じである、と鴨川に対し思った。四条から七条まで鴨川沿をずっと歩いた夜、わたしのイヤホンからは折坂悠太の『さびしさ』が流れていて、妙に響いた。「頃合いをみてはここでまた会おう」
ところで清水寺からの光線は何を指しているのですか?
だから上野のモネ展の人の数には萎縮するが、わたしが国立新美術館でモネの晩年の睡蓮を観た時のようにモネに心動かされる人がこんなにもたくさんいること、すごいことだ、と、ただモネに対しまた恍惚とした想いを抱く
秋、陽があたたかくて過ごしやすく、服選びも楽しくて好きなはずなのだが、下がっていく気温と共に不安に襲われることが増える。
きっと秋に消えたくなる人ってわたし以外にもたくさんいて、藝術って生命の形であるし、それを享受して生き延びるための「藝術の秋」な気がする。
幾何学をいくつ揃えた空感
昨年この展示企画を知るとき、そのタイトルは「キュビスム・レボリューション」であったと思う。そのタイトルの字面の仰々しさに、わたしはiPhoneのメモにまとめた 行きたい美術展リスト で、タイトルの末尾に☆マークをつけていた。(🌏🏴☠️⭐️)
革命と聞いて真っ先に私が思いついてしまったのはトランプゲームの大富豪であった。
同じマークの連続した数字のカード4枚か同じ数字のマークのことなるカード
. * ◯ ˖ ˚☁︎
下北沢の月は満ちも欠けもせずただ萎んで地に落ちていた。これがアートなら、「地に足をつける」の対義語として高校生のときのわたしがワードセンスを光らせた「月に足をつける」ができてしまいそうだと思い出し笑う。モラトリアムであること。
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ふた月楽しみにしていたダンスパーティーが締めの中華と共にあっけなく終わると、また気持ちが萎んでしまった。ここ数ヶ月で心理学の本をいくつか読んで自らの思考に折り合いを
さやを撫で やさいを茹でる やさしさや
恋したひとと電話をしたことがない
わたしの電話線は赤い
夢で死んだわたしはいまなぜ泣いている
朝ごはんのパンを焦がす
あの喫茶店を営む夫婦は素敵
ふたり あんバターのように
言葉で泣いて言葉で笑う ぼくら
言葉を紡ぐ みんな神様
西陽が照らす君の赤ランドセル
さらに光るは君のただいま
避暑地の今日の気温は36度
夕六時には忘る人肌
さやを撫で やさいを茹でる やさしさや
湯気の向こうの
印象派に吸い込まれるのはその瞬間だからだ、言葉と同じ、一過性で儚く尊いものだからだ。
モネが自らのモチーフに「瞬間性」という言葉を用いていた。わたしがモネの揺れる絵にときめいて仕方がなくて吸い取られてしまうような感覚に陥るのは、これを一つとして取り零してしまいたくないからだ。多分