新盆


夏の風物詩に心が曖昧に揺れ動く感覚って、誰かの心の痛みであると知る。風流とかそんな言葉で言い表せるものではない。

向こうから盆踊りの音楽が聞こえてきて、どうやら地元の自治体の盆踊りが今年も開催されているらしい。幼い頃から何度も見た、会場に向かう道中の家々の玄関先で迎え火を囲む家族、その非日常的な景色と、夕立の上がったのとお線香が灰になるのが混ざった匂い。あの頃には上手く言えなかった「哀愁」が漂い、今年は我が家にも充満する。それがこんなにも心をしくしくと痛ませるとは。



「母が帰ってきている」と、我が家を訪れる親戚や両親の旧友が挨拶に来るわけだが、
「ねえ、お母さん、帰ってきたの?おかえり」
と、いつもよりあたたかい明かりの灯った仏壇に呼びかける。炊き立てのごはんは本当に15ミリの大さじにちょこんと乗るくらいにして、好物の果物を添える。

ああ、いるんだね。いなきゃこんなことしないもの。
と、気づく。
と同時に、いまだに昨日のことみたいに鮮明な、台所に立つ母の方へ振り返る。台所には母はいない。

かなしい、ずっとかなしい

思い出せば思い出すほど、怒っていたり、泣いていたり、苦しそうな母ばかりが浮かぶ。若くて、負の感情なんてないみたいな、瞬々を謳歌していた母を、わたしは知らない。お線香に火をつけながら母の名前を呼ぶ旧友が知っている母を、わたしは知らない。

羨ましい。
もう少しわたしが大人になれば、わたしが友達とするような、女子会みたいな、ケーキ食べて珈琲飲みながらする話とか、ショッピングとか、できたはずだった。ずっと母と対等になりたかった。絶対的な味方でいることって、対等でなければむずかしいことだと思う。わたしも母と互いにそうなりたかった。母とだったらそうなれるはずだった。

中途半端に母とわたしの関係は終わってしまった。
わたしにただ残った歪んだ「苦しい」 で、母を恨んだり憎んだりしながらずっと自分を呪っていた。
いまだに、渇望してやまない「大丈夫」など得られず、苦しいことを苦しいと言うことを許してくれなかったことがいまだに、憎らしいんだ。
でも、憎むことと愛することは同時にできてしまえるらしいのだ。わたしは母を愛していた。
どちらも間違いなく事実だ。かなしい。こんなにこんなにかなしい。

今日は一日中そんなことばかりを思って、いろんな瞬間でめそめそとしては、母の仏壇に向かうたびに小さく低く声を上げて泣いていた。

明日腫れた瞼に、母がいる。

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