雲外蒼天

久しぶりに自由人に戻りました。これまで感じていたこと、今の想いなどを形に残していければ…

雲外蒼天

久しぶりに自由人に戻りました。これまで感じていたこと、今の想いなどを形に残していければと思っています。

最近の記事

桜への想いの変化

昔、桜は嫌いだった。桜の根元に死体が埋まっているとか、桜のように散るとか、そんなイメージだけのせいではないと思う。 桜のぼわっとした花があまりきれいだと思えず、また散った後の花びらにも好感が持てなかった。逆に葉桜はきれいだと思っていた。 ところが、そんな感情が、変わってきている。年のせいなのだろうか、雪国に暮らして、春を心待ちするようになったから、なのだろうか。 長い冬が終わるにつれ、雪が解け、世界が銀世界から黒と茶色と灰色に染まっていく。そして、春の足音と共に、少しずつ

    • 久しぶりの確定申告-税務署職員の方、ありがとう!

      学生時代にアルバイト代の所得税を還付してもらうことを目的に確定申告をしたことがあった。それ以降、遺産相続の贈与税の申告というのはしたことがあるが、確定申告というのはしばらくやったことがなかった。 ただ、税務署の書類の準備と書き方は面倒くさくて、難しいという印象だけがあった。 学生時代には、役所で確定申告相談窓口が開設され、持って行った書類を担当の税理士さんが計算し、書類に書き込んでくれた覚えがある。税理士さんのやっていることを見て、自分でできるものだとは到底思えなかった。

      • お墓について

        両親と暮らしていた時には、お盆に合わせて夏休みの帰省をし、祖先のお墓参りをしていた。花を生け、水をかけ、お線香を灯して、念仏を唱える。私にとって墓というのは野外の墓地の中にあり、石でできたものだった。そして、親族の葬儀のあと、墓石の上部を横に押し、石の下部の空間に遺骨を撒くところだった。 イギリスなどでは王や偉人、英雄の墓は教会の中にある。石棺の上にはその人が横たわっている彫刻がされていることが多い。教会の中の床や回廊の石畳に個人の名前などが刻まれることもある。この石の下に

        • イギリスのサマースクール2

          10代初めの50年ほど前に参加したイギリス南部でのサマースクールの記憶をもとに書いています。 サマースクールの朝は部屋にお姉さんたちが起こしに来てくれることから始まります。お姉さんたちはきっと大学生ぐらいだったのではないでしょうか。ちょっと大人ででも、色々と相談にのってくれたり、一緒に遊んでくれたので、姉妹がいなかった私はうれしかった覚えがあります。 朝起きたら、洗面所で顔を洗います。イギリス人はフェイスタオルを濡らして顔を拭くだけ。歯は歯磨き粉を付けて磨きますが、カップ

        桜への想いの変化

          イギリスのサマースクール1

          1970年代に渡英2年目の夏、宿泊制のサマースクールに参加した。このサマースクールはイギリスの避暑地で有名なブライトンの近くのワージングWorthingという小さな町のはずれにあった。 サマースクールは夏中開催されていたが、私は2週間のみの参加。参加する前の準備は大変だった。靴下片方ずつに至るまで、すべての持ち物に名前が縫い付けられていることが、求められたのである。「洗濯した時に間違いなく返せるようにする」ため当然だが、手間はかかる。 幅8mm程度の私の名前が縫い取られた

          イギリスのサマースクール1

          イギリスの学校 スクール・ジャーニー2

          1970年初頭にイギリスの女子中等学校に通学していた時、希望者は積み立て方式でスクール・ジャーニーに参加することができました。2年目のスクール・ジャーニーはオランダでホームステイでした。 ホームステイ先は、滞在中交流した学校の生徒の家庭でした。オランダの方たちは英語が話せたこともあり、一人で泊めてもらっていても全く不安はありません。泊めてもらったおうちから学校には自転車で15分ぐらいかかります。ドイツの国境は5分ぐらいで行けるから、学校に行くよりも近いとのこと。さすが、ヨー

          イギリスの学校 スクール・ジャーニー2

          イギリスの学校 スクール・ジャーニー1

          1970年代初めの中等教育の女子校でのことです。修学旅行に相当する「スクール・ジャーニー」は毎月積み立て方式でした。しかも、行きたい人だけ。 1年目のスクール・ジャーニーはパリでした。2泊3日の両行に一緒に行ったのは10名程。その中に同じクラスの子はいませんでした。 イギリスからフランスへは、ドーバー海峡を渡るフェリーを利用します。乗っているうちに悪天候となり、大時化になりました。フェリーが横揺れになりましたが、食堂の机が固定されていたので、机を両手で必死で捕まえて「ここ

          イギリスの学校 スクール・ジャーニー1

          70年代のイギリスの少女たちが考えていたこと

          1970年代初めの中学生の頃、ロンドンの女子校に通っていました。その時の友達たちとは、よく議論しました。議論というよりもおしゃべりの延長で、「意見を言い合う」という方が穏やかで、より実際に近いものだったかもしれません。 よく話題になったのは「死んだあとに土に埋められたいか、火葬されたいか」。その頃のイギリスでは火葬以外の選択肢がまだありました。火葬しか知らなかった私には意外な話題でした。 この話題については、みんなはどちらかというと、「どちらかが良い」ではなく、「どちらか

          70年代のイギリスの少女たちが考えていたこと

          イギリスの学校 課外活動

          1970年代に親の赴任に伴ってロンドンの女子中等教育学校に通学しました。その時の思い出です。 日本に中学校に帰国した時に課外活動の部活は一つしか選べないことに驚きました。 イギリスで通っていた学校では、毎日違う課外活動に参加していたからです。参加したのは、乗馬、テニス、ホッケー、ドラマでした。 複数の活動に参加するということは毎日別のことをしているということです。活動内容は緩く、楽しむことが大前提でした。このため、運動音痴だった私でも楽しく体を動かすということを覚えるこ

          イギリスの学校 課外活動

          イギリスの学校 中等教育の歴史の授業

          1970年代初頭にロンドンで通学した中等教育学校。2年弱の間にイギリスの歴史を学びました。 印象に残っているのはローマ帝国に侵略されたブリテン島の歴史です。ちょうど「ともしびをかかげて」のローズマリー・サトクリフの作品の世界を歴史として授業で学んだといえるでしょう。 ローマ人が最短の道路をつくるために直線の道路工事をしたことや、水を供給するために必要に応じて水道の橋を造ったことなど。歴史の勉強というよりも、昔の暮らしぶりや生活の様子を物語で聞いているようで楽しかった覚えが

          イギリスの学校 中等教育の歴史の授業

          美術を鑑賞する

          札幌芸術の森美術館の協力員を始めた。市内の小学校5年生への「ハローミュージアム」という「対話による鑑賞」を支援する協力員だ。 ほとんどの子どもたちにとって、美術館は初めてくる場所。美術作品には図化工作ぐらいでしか接したことがない可能性が高い。 美術館は静かに一人で作品に対峙し、内省する場所と考えている人は多いと思う。私もそうだった。 しかし、「対話による鑑賞」では、作品を鑑賞する、というよりは、作品を見て感じたこと、考えたことを仲間と共有し、さらに話が発展し、膨らむこと

          美術を鑑賞する

          最高裁判所裁判官国民審査

          期日前投票のお手伝いをしました。ローテーションでいろいろなところを手伝うのですが、国民審査の用紙交付を担当して感じたことがあります。 一番驚いたのは、国民審査を大事なことと思っていない方が少なからずいるということでした。どの裁判官が対象になるのか、その裁判官がどんな判決をだしたのかという情報がなかなか入手しにくいということはわかります。 私の場合は、2021年6月の夫婦別姓を認めない民法と戸籍法の規定が「合憲」か「違憲」かの判断をした裁判官の氏名をメモしていました。国民審

          最高裁判所裁判官国民審査

          イギリスの学校 中等教育の家庭科

          1970年代初頭に親の赴任に伴って渡英し、現地の中等学校に入学しました。その時の経験です。 日本では家庭科と呼ばれる科目はHome Economics家政科と呼ばれていました。2年弱の間に受けた授業の内容は、料理、裁縫、アイロンかけでした。 日本の学校では1グループに1調理台で課題のメニューを複数人でつくりますが、この学校では一人1台の調理台で、自分の分を全部自分で作ります。 最初に作ったのはショートブレッド。宗教上の理由でラードではなくマーガリンを使った友達もいました

          イギリスの学校 中等教育の家庭科

          イギリスの学校 中等教育の外国語

          1970年代初頭に親の赴任に伴ってロンドンの中等教育の学校に通学しました。その時の経験です。 中等教育では「外国語」を勉強します。英語が母語ですから外国語とは「フランス語」と「スペイン語」でした。 日本の小学生だった頃、スペインに関心はありませんでした。フランスはおしゃれでフランスパンが美味しいイメージで、アン・ドゥ・トロアとかメルシーとか聞いたことがありました。というわけで、「フランス語」を選択。ところが、蓋を開けると「スペイン語」のクラスに振り分けられていました。

          イギリスの学校 中等教育の外国語

          イギリスの学校 Mayfield1

          1970年代初めに親の赴任に同行して渡英しました。その時に通学した女子校Mayfiled Girls School(中学校・高校相当のコンプリヘンシブ・スクールといわれる総合制中等学校)での経験です。 Mayfieldの時間割は一人一人の選択科目、あるいはレベルに合わせて展開されていました。朝だけは担任の元、決まった教室に集まりますが、それ以外は各自受講する教室に移動していました。 受けた授業で、印象に残っているのはReligious Educationです。宗教学とでも

          イギリスの学校 Mayfield1

          イギリスの学校 進級

          1970年代に親の赴任に同行して渡英し、現地の学校に通学することになった子どもの体験記です。 10か月ほどすると、英語が全くしゃべれない状況から、なんとなく周りの言っていることもわかり、言いたいこともそれなりに伝わるようになってきました。ところが、通学していた学校は11歳が最終学年だったので、1年たつと次の中等教育の学校に進学しなければなりませんでした。 書類を準備したり、標準服のような制服を用意したりしていましたので、別の学校に通学するのだということは理解できていました

          イギリスの学校 進級