見出し画像

お墓について

両親と暮らしていた時には、お盆に合わせて夏休みの帰省をし、祖先のお墓参りをしていた。花を生け、水をかけ、お線香を灯して、念仏を唱える。私にとって墓というのは野外の墓地の中にあり、石でできたものだった。そして、親族の葬儀のあと、墓石の上部を横に押し、石の下部の空間に遺骨を撒くところだった。

イギリスなどでは王や偉人、英雄の墓は教会の中にある。石棺の上にはその人が横たわっている彫刻がされていることが多い。教会の中の床や回廊の石畳に個人の名前などが刻まれることもある。この石の下に横たわっているのだと説明を受けながらも、その上を歩いていた。
野外の墓地もあった。映画やアニメで出てくるような一枚の石板に氏名、生年と逝去年に加え、誰それの愛する夫とか、RIP(Rest in Peace:安らかに眠れ)などの墓碑が刻まれている。でも、日本のように花入れなどはなく、お花はそのまま石板の元に置かれる。同じ墓地のなかでも、金持ちの人たちは、天使などの彫刻のついた立派な墓石を作っていて、生前の栄華を誇っていた。

イタリアのカタコンベには、棚式の段に骸骨がそのまま置かれていた。こうなってくると、感情的ではなく、墓地とは死者を葬る場所と客観的に理解してくる。メメント・モリ(死を忘れるな)を実感するということなのかもしれない。

昨今の北海道には、室内にあり、同じ大きさの同じ形式のボックスが並んでいる霊廟も増えている。与えられているボックスの扉を開ければ電気が付き、仏像や十字架、写真を置いておくことができる。雪国の住民には1年中、安定した気温で、お墓参りをすることができる快適な空間である。

昔と比べお墓の重みがなくり、「死」が軽くなってきた気がする。我が家だけの問題か、年齢によるものか、はたまた社会的な風潮か。

死後のことなどわからないとはいえ、開放的な海や山に散骨されたいなと思っている今日この頃である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?