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桜への想いの変化

昔、桜は嫌いだった。桜の根元に死体が埋まっているとか、桜のように散るとか、そんなイメージだけのせいではないと思う。
桜のぼわっとした花があまりきれいだと思えず、また散った後の花びらにも好感が持てなかった。逆に葉桜はきれいだと思っていた。

ところが、そんな感情が、変わってきている。年のせいなのだろうか、雪国に暮らして、春を心待ちするようになったから、なのだろうか。

長い冬が終わるにつれ、雪が解け、世界が銀世界から黒と茶色と灰色に染まっていく。そして、春の足音と共に、少しずついろいろな色が復活する。

ネコヤナギの白い穂。目を出し始めた木々の若芽の黄緑。黄色のフクジュソウ。薄緑色のフキノトウ。様々な色合いのクロッカス。鮮やかな黄色のレンギョウやピンクのカタクリ。

そして、やっと南から届いていた桜の便りが届くようになる。

人間が冬コートから薄手のジャンパーを羽織るように、日ごとの暖かさに呼応するような花芽のふくらみ。
暖かくなると、毎日、少しずつ、その固さが和らいでいく。

「今日かな、明日かな」と桜の木の下で、その蕾を見上げ、開花を心待ちにする自分自身がいる。

そして、ある日、朝はほとんど蕾だった木が、午後には一斉に開花。
「桜の木も生きているんだな。お日様の暖かさを感じているんだな」と改めて思う。

今年は桜の開花の少し前から、近所の小川沿いの緑道の桜並木に日参している。花は本当に面白い。
昨日は一つ二つの花だったのに、いつの間にか満開。
青空のもと薄紅色の花が咲き誇っている。

まだ蕾が硬い桜はきっと八重桜かヤマザクラ。もっと暖かくならないと咲くつもりはなさそうだ。

桜を見て「日本人でよかった」とは思わないけれど、花が伝えてくれる春の訪れは心から喜んでいる。平穏に、青空の元、ぼーっと花を愛でることのできる状況にいることに感謝。

世界中のすべての人たちにも、花が愛でられるような平穏で静かな暮らしが訪れますように。




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