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岡田啓介の遺族? 岡田海軍中佐とは
二・二六事件において、総理大臣・岡田啓介は殺害されたと思われた。しかし実際は生存しており、岡田と思われて殺害されたのは、義弟・松尾伝蔵だった。
岡田の生存を知っていたのは、押し入れに匿っていた女中二人の他は、迫水久常・福田耕の二人の秘書官、そして公邸に潜り込んだ麴町憲兵分隊の青柳利之憲兵軍曹たちだけだった。
26日中に、迫水・福田ライン、青柳ラインの二つで岡田生存を知る者は増えていったが、遺
「警察官たちの二・二六」
昭和11年2月26日、二・二六事件が勃発したとき、逓信大臣・望月圭介は原宿の私邸にいた。
岡田啓介・高橋是清ら内閣閣僚、斎藤実・鈴木貫太郎ら天皇側近が襲われたとあって、望月を警護する警察も、原宿署の署長が自ら望月邸に駆け付け、その警護についた。
署長は望月に対し、私邸からの避難を勧告したが、望月は拒否した。「いつ宮中からお召があるかわからない。そのとき家にいないとあっては一代の恥」というのだ