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映画「226」と史実との違い ~官邸襲撃編~ 後編

映画での描写 ~「岡田総理」殺害~

 大蔵大臣・高橋是清邸襲撃シーンを挟んで、場面は首相公邸に戻る。

 邸内を歩く林八郎は、女中たちの部屋を開け、身を寄せ合う女中二人を見つけた。「二人だけか」と問う林に、「二人だけです」と女中は答えたが、林は怪しみ、室内に踏み入ろうとする。そこへ兵士が、「岡田首相を見つけました!」と告げてくる。林はすぐその場を去った。

 林が去ると、恐る恐る押し入れの襖を中から老人が出てくる。岡田啓介(演:有川正治)である。女中二人は慌てて岡田を押し入れに押し込んだ。

 場面は変わり、兵士たちが老人(演:田中浩)を囲んでいる。「岡田総理ですか」という問いに、老人は「如何にも」と答えた。

 中庭に引き出されて膝をついた「岡田総理」は、兵士に背中から銃口を向けられる。そこに栗原が「岡田総理か?」と銃を持った兵士に確認し、兵士は震えた声で「間違いありません!」と答え、栗原は撃てと命じる。

 「岡田総理」は胸を撃たれて倒れ、栗原が頭部に銃撃して止めを刺した。

 直後、遺体をバックに「首相秘書 予備役陸軍大佐 松尾伝蔵」のテロップがつく。

 劇中における首相官邸襲撃の描写は以上になる。

「岡田総理」殺害状況

 劇中では松尾伝蔵が発見される前に、岡田は既に女中部屋の押し入れに隠れているが、岡田が押し入れに隠れるのは、松尾が殺されてからである。

 林八郎が村上・土井を刺殺したとき、岡田は中庭に面した浴室に隠れていた。林に刺される前、土井は浴室に面した洗面所に隠れ、そこから出て林に組み付いていた。林に斬られ、虫の息だった土井は、苦しみながらも「まだ出てきてはいけませんぞ」と岡田に注意していた。

 村上・土井が斬られた後、襲撃隊はなおも岡田を捜索したが見つけられなかった。やがて、島崎正次二等兵が、中庭に人を発見した。松尾である。

 島崎が林に報告すると、林は「撃て」と命じた。それを受けて島崎は松尾を撃ち、松尾は呻きながら蹲った。島崎は撃った後すぐにその場を離れたが、居合わせた関口健司二等兵はまだ松尾が生きているのを見て取り、一発撃った。それは外れたのか松尾の様子は変わらなかったため、関口は更に一発撃ち、松尾は横倒しになった。

 松尾殺害の状況については、撃った島崎と林の間で、証言が異なっている。島崎は中庭に人がいることを報告し、撃って良いかと確認した。このとき島崎によれば林は「今人を斬って来た」と言って刀を見せてきたが、島崎はそれを見るどころではなかった。

 林は「撃て」と命じた。次いで「満洲に行く腕試しだから撃て」と言ったため、島崎は松尾を撃った。

 ところが裁判において、島崎の証言について問われた林は「撃て」とは言ったものの、「満洲に行く腕試し」と言ったことは否定している。「満洲派遣の内命を受けてから始終教練のとき左様に申し居りましたので左様に感じたものと思ひます」というのが林の言い分である。

 しかし、浴室から一部始終を見ていた岡田啓介の回顧は、島崎の証言に近かった。

 岡田によれば上官に「撃て」と命じられた兵士たちは、なかなか撃とうとはしなかった。上官は次のように地団駄を踏んで兵士たちを励ました。

「貴様らは今は日本にいるが、やがて満州へ行かねばならないんだぞ。満州へ行けば、朝から晩までいくさをやるんだ。毎日人を殺さねばならないんだ。今ごろこんなものが、一人や二人撃ち殺せんでどうするか」

岡田啓介『岡田啓介回顧録』

 岡田の聞いた言葉は、島崎の証言に近い。ただ、岡田は兵士たちを叱咤した上官のことを「下士官」と語っている。また島崎は、林が松尾を見に来たかどうかははっきり覚えていなかった。

 まだ未明であるため岡田も林のことを下士官と見間違えた可能性もあるし、島崎が気づかなかったがその場に下士官が居合わせていたのかもしれない。とはいえ、襲撃に参加した下士官に、松尾殺害に居合わせた者は調書・証言からは見出せない。

 また、林は他の人物の証言から言っても、襲撃後も人を斬ったことに興奮している様子が見て取れる。それに島崎は1月10日に入営したばかりの初年兵であり、興奮や緊張、恐怖など様々な感情が渦巻いていたことは想像に難くなく、記憶が曖昧になっていたとしてもおかしくはない。

 結局のところ、林・島崎・岡田以外にこの件を証言している者はおらず、状況的に「満州云々」を言ったのは林であろうと推定される。

 一つ確かなことは、林も島崎も、撃った男が何者であるかを確認していないことである。総理なのか、そうでないのか、林も島崎も、止めを刺した関口も、誰を撃ったのかわかっていなかった。その後林は、「総理を見つけた」との一報を受けて駆け付けると、それが先ほど自分が「撃て」と命じた男と知るのであった。

 松尾殺害に関わった人物たちは、松尾の遺体をそのままにして立ち去ったが、その後別の兵士たちが松尾の遺体を見つけ、「これが総理ではないか」と推測した。栗原は遺体を総理の寝室に運び、ガラスがひび割れて見づらい写真立てと遺体の顔を見比べて、総理に間違いなしと判断した。映画のように、松尾は「如何にも」とも言っていないのである。

 ちなみに倉友音吉上等兵はこの時のことについて、まだ息のあった松尾に栗原の命令で自分が止めを刺したと戦後の手記に記しているが、確認できる資料(『二・二六事件秘録』『二・二六事件裁判記録』『二・二六事件判決と証拠』など)を見る限り、倉友が止めを刺したという証言は確認できず、『秘録』所収の「第五公判廷公判状況」の中でも、倉友は遺体を室内に運んだことを証言しているものの、止めを刺したとは語っていない。

 劇中で松尾は無言で撃たれているが、襲撃後、遺体を確認しにきた迫水久常・福田耕ら秘書官たちに対し、彼らに付き添った「中尉(対馬勝雄中尉か竹島継夫中尉と推定される)」はその最期について、「天皇陛下万歳」と唱えて撃たれたと語っている。林や島崎の証言、岡田の回顧にはそのことが記されていないものの、岡田を匿った女中の秋本サクも、男(松尾)が「天皇陛下万歳、大日本帝国万歳」と叫んで中庭で撃たれていたと証言している。

 岡田が浴室を出たのは栗原たちが松尾の遺体を「岡田総理」と断定し、公邸内から去った後である。岡田は自分の寝室の布団に寝かされた松尾に詫びながら服を着替えるなどしており、公邸内には兵士がいなかったことが窺える。それでも岡田は兵士たちに目撃されている。しかし暗がりだったこともあって兵士たちは岡田を見失い、気味悪がって大した確認もせずに引き上げていった。女中部屋に行って押し入れに匿われたのは、そのあとである。

岡田の生存は事態を一変させていない

 映画の官邸襲撃シーンに関係する史実は、以上である。劇中、その後岡田は直接登場せず、脱出したことが真崎甚三郎(演:丹波哲郎)ら陸軍高官に伝えられるシーンと、事態が蹶起部隊鎮圧の方向へと傾斜し、蹶起将校たちが岡田の生存を知るシーンでしか触れられなかった。

 実際のところ、蹶起将校たちが岡田の生存を知るのは鎮圧され、拘束された後である。蹶起将校・池田俊彦少尉は、拘束されて移送される途中、電信柱に岡田の生存を知らせる張り紙を見つけ、自分を連行していた憲兵に「間違っている」と指摘し、そこで岡田生存の真実を告げられている。

 また劇中では、それまで青年将校の精神を汲もうとして、参謀本部次長・杉山元(演:仲代達矢)、戒厳参謀・石原莞爾(演:渡瀬恒彦)と激論を交わしていた真崎が岡田の生存を知り、次のシーンでは手のひらを返して蹶起将校の行為を「不祥事」と断じており、岡田の生存が事態を一変させたように描写されている。

 実際には岡田の生存はほとんどの政府・軍関係者には、参内する28日まで隠されていた。特に、岡田生存を知る人々から陸軍は信用されていなかったため、侍従武官長・本庄繁すら岡田生存を知ったのは参内直前だった。岡田の生存そのものは、映画のように真崎たちの態度を一変させるものではなく、蹶起将校たちに挫折感を与えるものでもなかった。

緊迫感の持続

 官邸襲撃のみならず他の重臣襲撃シーンは、映画の中でも一番迫力と緊張感のあるシーンである。映画が製作・上映された当時は、五十周年を迎えた直後であり、二・二六事件裁判の検察側資料、いわゆる匂坂資料の存在も公表され、ブームが最高潮を迎えていた。それまでに松本清張の『昭和史発掘』や、憲兵調書などを収録した『二・二六事件秘録』が出版されているため、襲撃の状況はある程度掴める。

 しかし、多くの歴史映画・ドラマにも言えることだが、史実とはそれほど劇的ではない。劇的な出来事の間には、常に劇的ではない出来事がある。それを正確に映像で伝えようとすると、テンポが乱れ、視聴者を飽きさせてしまう。

 先述したように、正門から突入して官邸の玄関を破れず、裏門側へ移動するのはなんとも情けない。また、視聴者も官邸と公邸の構造を理解していなければ、栗原たちがなぜ突入場所を変えたのか、意図が伝わりにくい。

 これらの点を理解したうえで官邸襲撃シーンを見ると、緊迫感のあるシーンを持続させようとしているのがよくわかる。間に高橋是清邸襲撃シーンを挟んだのは、岡田を探し回るという映像映えしないシーンを省き、別の襲撃シーンを挟んで「岡田総理」発見シーンに繋げ、ある程度時間が経ったことを意識させながら、緊迫感を持続させるためであろう。

 また、栗原たちがなぜ松尾を岡田と間違えたのか、史実をそのまま描写すると、視聴者に疑問を抱かせる。実際事件関係者の多くも、二・二六関係書籍を著した人々も、なぜ間違えるのか、なぜ事前に岡田の写真などを用意しておかないのか首を傾げている。その疑問は映画の主題を思えば重要ではない。だが、それを描写すれば、視聴者に「あれはどうなったのだ?」という疑問を抱かせ、それもまたテンポの乱れになる。「岡田総理か」と問われた松尾に「如何にも」と言わせることで、なぜ間違えたのかを説明している。

 映画は、孤立し、死んでいく蹶起将校たちの哀愁を描いている。正確さに重きをおいてはいない。脚本家・笠原和夫自身は映画の出来に不満だったが、それは映画が史実に即していないからではない。映画の原作となる笠原著作の『2/26』も、内容は史実に即していないのだ。

 最後に、細かい話だが松尾伝蔵が「予備役陸軍大佐」というのも、正確ではない。松尾は昭和7年に定年を迎え、退役しているのである。また、「陸軍大佐」という表記も、当時の正式な表記に従えば、「陸軍歩兵大佐」になる。階級から兵科がなくなるのは、兵科区分が廃止された昭和15年からである。


主要参考文献

岡田啓介『岡田啓介回顧録』中央公論社
岡田貞寛『父と私の二・二六』光人社
池田俊彦編『二・二六事件裁判記録』原書房
伊藤隆・北博昭共編『二・二六事件 判決と証拠』朝日新聞社
埼玉県『二・二六事件と郷土兵』埼玉県
山田邦紀『岡田啓介』現代書館
笠原和夫『2/26』集英社
笠原和夫『笠原和夫傑作選3』国書刊行会
林茂他編『二・二六事件秘録(一)~(四)』小学館

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