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私と私以外の人

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私が「私以外の人」を考えたり比較したりした内容をまとめています
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2021年12月の記事一覧

友人と擁護と客観視と

友人と擁護と客観視と

前に友人の会話を聞いていてこんなことがあった。

「AとBが喧嘩しているけど、Aのことを庇いたい」
それに対してもう一人の友人は、
「Aを庇うのは知っている人だから当たり前ではないか」

え、知っている人だったら庇うのは当たり前なのか。
どんな背景があったのかなどを知った上で立場を決めないのか。

私はそう思ったことから今回の話は始まる。

とりあえず自分の知り合いなら庇うのか私だったら、たとえ知

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「生き急ぎ過ぎている」と言われた人の話

「生き急ぎ過ぎている」と言われた人の話

「(私)さんは生き急ぎ過ぎているように見えるよ」

数ヶ月前にカウンセラーの方に言われた。
それは今年言われた言葉の中でも、深く自分の中に残った言葉だった。

なぜそう見えるのか。
そうだとしたらなぜ自分は生き急いでいるようなことをしているのか。

生き急いでいるつもりのない私が少し立ち止まって考えてみる話です。

なぜ生き急いで見えるのか生き急いで見える理由は自分の普段の行動を振り返って
客観的

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「クリスマスだから〇〇しよう」が嫌いな人の話

「クリスマスだから〇〇しよう」が嫌いな人の話

大学の学部生時代に「クリスマスは恋人と過ごす日であるという雰囲気や文化ははクリぼっちが作った」というレポートを書いたことがあります。

「クリスマスは恋人と過ごす日」という風潮は、パートナーがいる人ではなくクリぼっちが醸成したということを主張しているレポートです。

今でもたまに読み返すほどには、
個人的に学部生時代の時に書いたレポートの中で1番好きです。

それはちょっとした余談。

最近スーパ

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「信じられない」という気持ちについて

「信じられない」という気持ちについて

きっとこのnoteは書いてから
時間を空けて投稿されているだろう。

身内の訃報や著名人の訃報を受けて、
「信じられない」という人がいる。

私にはその反応がどうにもわからないという話。

信じられないという言葉人の訃報に対して「信じられない」という言葉は、
どこか無責任に感じる。

勝手に作り上げられた人物像と照らし合わせられているから。

そして私は、「意外だね」とか「信じられない」と
言われ

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声をかけてくれた人に声をかけられなかった話

声をかけてくれた人に声をかけられなかった話

これはある日の日記。

思ったことが2つ。
1つはやっぱり人との距離感って難しいということ。

今日変わらず私は研究室に行った。
そこに至るまでが普段とは少し違った。

前日に同じ研究室にいる人から、
「明日研究室行く?」
という旨の連絡があった。

私は元から行く予定だったので、
「行くよ」という旨の返信をした。

じゃあ明日研究室で話そうねという旨の連絡をしてその日は終わった。

しかし今日会

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