見出し画像

声をかけてくれた人に声をかけられなかった話

これはある日の日記。


思ったことが2つ。
1つはやっぱり人との距離感って難しいということ。

今日変わらず私は研究室に行った。
そこに至るまでが普段とは少し違った。

前日に同じ研究室にいる人から、
「明日研究室行く?」
という旨の連絡があった。

私は元から行く予定だったので、
「行くよ」という旨の返信をした。

じゃあ明日研究室で話そうねという旨の連絡をしてその日は終わった。

しかし今日会った時と別れた時の軽い挨拶だけで話すことはなかった。

れなら別に私に聞かなくても研究室来ればよかったのに。
と最初に思った。

私はその人が前次会った時にしようと言っていた話をするのかなと思いながら向かった。

けれどもその考えも無駄だった。


私は一つ一つのことを重く捉えすぎているのかもしれない。

そこから続くのが2つ目に思ったこと。
自分ほど人との距離感について悩んでいる人、考えている人なんていないのではないかということ。

自分は以前から人との距離感で悩んでいた。

人からみると私は、私が考えているのとはかけ離れているほどに人との距離感が遠いらしい。

どんな人か分かりづらく掴みどころのない人とのことだ。

実際のところは違う。

人に対する興味はとても強い。

これは人と比べたりするようになった一因だと思っている。
自分と人との乖離を感じたからだ。



私はカウンセラーの人に、
「他の人って人との関係をどう考えているのか」
と尋ねたことが何度かある。

しかし
「それを聞いたり、知ったりしてどうしたいのか」
と逆質問されるか、

「あくまでも個人的な考えだけど〜」
から始まり実際個人的な考えを述べずにズラされて終わる。

そして今に至る。



他の人はどうなんだろう。

私は自分と他の人との乖離を知って、
より人に対して踏み込もうと思っている。

自分の今の距離感だと遠すぎると思われているようだからだ。

しかし、これで0か100かとなるのではないかとも心配している。
つまりこの距離の詰め方は相手に不快に思われるのではないかということ。

そう思うとより人との距離感がわからなくなる。

話を今日の出来事に戻そう。

私としては、相手と少しくらい話したかった。
だけど、あくまで相手は研究しに来ている訳で、
自分と話すことはきっと二義的であったはず。

そう思うと私から話しかけることはなかった。
私が作業の合間で散歩して戻ってくるたびに見かけた相手の姿は真剣そのものだった。

私からすると私が入る隙はなかった。

そして相手は「帰るね」と声をかけて帰った。


私の中に残ったものがいくつか。

相手は昨日のやりとりを踏まえて私と話すことは考えなかったのか。
そして私は自分から何かしら行動をするべきだったのか。

そこの答え合わせを私はしたい。
他の人の考えを聞きたい。

私は自分が客観視できていない。
でも他の人の答えが得られない。

私はそんな立場にある人。

「それを聞いてどうしたいのか」

カウンセラーの言葉を思い出す。

自分はもっと相手の人に不快に思われない関係を作っていきたい。

そのために自分以外の知見が必要である。と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?