大物芸能人から言われた”一言”(23)

~ 概要 ~

私は、ある大物芸能人から、『あなたに会うために、これまで生かされていたのだと思う』と大変ありがたい言葉をいただいた。これは、日本を代表する俳優から、サラリーマンである私がそんな言葉をいただくまでの出来事を記したメモである。

第3章の概要 ~未来を担う若者たちを築く塾~

平安な世界を創るため、私は、「未来を担う若者たちを築く(育む)塾」を創ることを決めた。そして、2018年2月15日に、多くの方々の協力のもと、「お金」を一切絡めない、「心」で繋がり、「心」で進める塾を開講した。
初年度は、試験的に多くのことを試み、塾の方向性・内容を高める年とし、実施していくこととなるのであった。

「高校生の私」

平安な世界を創るため、2018年2月15日に、「未来を担う若者たちを築く塾」を創設した私の高校生のころを振り返りたいと思う。

小学制の頃の私は、明るく、運動好きなクラスの人気者。
中学生の時は、硬派が格好いいと思い、憧れ、勘違いをし、「力(強さ)」が全てだと思った中途半端者(不良者)。
そして、中学時代、私からみんなが離れていき、暴力は絶対に良くないことを学び、高校に入る時に、私は何があっても暴力は振るわないと心に誓った。

高校生の私は、小学2年生の時に始めたサッカーに夢中になり、朝から晩までサッカーのことばかり、考えていた。そして、私が、中学生の時に道を外さなかったのは、サッカーの存在が大きかったと思う。小学校の時に入っていた地域のサッカークラブを卒業すると、地域に中学生が通えるサッカークラブは存在していなかった。そのため、私の父が、中学生が通えるサッカークラブを作ってくれたのだ。私たちのサッカークラブは、ひどく(不良ばかりで)・・・試合の遠征で乗車した電車の中で煙草を吸う。席に寝そべるなど、最悪であった。
中学生が電車の中で煙草を吸うなんて、今ではありえない行為だと思う。そして、試合では、相手チームと揉め事になることも日常茶飯事であった。でも、中学時代は、ちょっとやんちゃな日常が楽しかった。そして、ほぼ毎日、ゲームセンターに通っていた。

高校生になると、ゲームセンター通いも、不良も、やんちゃな日々も、全てを卒業した。
私は、誰よりも朝早くグラウンドに行き、サッカーの練習に励んだ。そして、授業中は眠り、授業が終わると放課後のグラウンドに、やはり、誰よりも早く行く。そんな毎日が私の高校生活であった。

しかし、そんな私の高校生活にも、いくつか、私の「心」を成長させた出来事があった。

次回に続く・・・

<余談>

前回の余談の続きであるが、男気溢れる社長の「急死」について話をしたいと思う。

男気溢れる社長が死んだのは、まさに、化け物である副社長と喧嘩している最中であった。

私は、男気溢れる社長が逝去される直前に、社長と打ち合わせをしていた。その打合せとは、中国のマフィアから、空気上の菌を殺菌・除去することができる最新医療機器について、日本市場での展開を任せたいと言われており、そのPRを私に手伝ってほしいというものであった。やはり、まだ日本市場には出回っていない技術であり、私は面白いと思うとともに、PRの仕方を指南した。そして、社長は、この後、ロサンゼルスに旅立つので、帰ってきたら、また話そうという約束を私と交わし、ロサンゼルスに旅立った。

しかし、社長と私が打合せをすることは、二度となかった。

社長は、ロサンゼルスでの旅の途中に、天国に旅立っていったのだ。

私は、社長の友人から、男気溢れる社長は、ロサンゼルスで「心臓」が止まり、死んだと聞かされた。

ロサンゼルスで何があったのか?何が原因だったのか?真実はわからない。

ただ、心停止による急死であったことを考えると、何か、負担があったのではと思ってしまう私であった。本当に、素晴らしい人格の社長であり、格好いい方で、頼れる存在だった。

あれから約10年。今でも、男気溢れる社長のことを思い出す時がある。

私は、逝去された方々のことを心の中で想うことが大事だと考えている。
心の中で生き続けているのだと。いつも一緒にいるのだと。

次回の「余談」に続く・・・

第一章のあらすじ

大物芸能人から言われた”一言”(7)を参照ください。

第二章のあらすじ

大物芸能人から言われた”一言”(18)を参照ください。

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