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文章のAI化は、言葉を自分に都合良く解釈する人々を重篤化する〜AIの役割は文章をよりよくする校閲であって欲しい。

出社した従業員が帰宅した時に、手足がないなんて許されないから。
従業員が会社に来たため、事故に遭うなんて許されないから。
だから60年以上前の創業者は、「環境安全ミーティング」を始めた。

しかし今は、「環境安全ミーティング」が部長の権力象徴の場面となり、4時間にも渡る独演会になっている。
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部署毎に仕事があるのではなく、人が居て組織がある。だから個々がやりたいことを伸び伸びと会社でやろう。

創業者の意志は、従業員に「他人の成果を自分の成果にすりかえ、働かなくとも良い。働きたい人に任せておこう。」と伝わった。
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これらは、緊急事態宣言のとき、
政府や都道府県の「外出は極力控えて、やむを得ないなら県内で」との思いが、
「県内なら移動可能」と国民に認識をすりかえられたことに似ている。
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私は入社時、役員に、「総合事務職として、何をやっても良い。活躍して欲しい。」と言われた。
しかし、私は皆が飽きた仕事を押し付けられ、
行った業務改革による私の成果は、部課長が役員の前で発表する。
私は、部課長が称賛を受けるために働かされる人に変わった。

そして、その旨味を知った部課長は、私のPCのハッキングを始め、見たものを搾取し、何もしなくなった。

しかし、現実は私が行った仕事だから、部課長は問い合わせに回答できず、失敗は私のせい。成功は自分のものに転嫁していった。

役員は、「個人を尊重し、活躍させるように」と言った。しかし、部内の人々は、「個人」=「自分」だから、後入には嫌なことを押し付けて、成果は取って活躍したら良いと解釈された。
経営者の理念も役員の言葉も、浸透しない。それどころか、自分に都合の良い悪巧みに利用される。
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私は、この様に言葉を自分に都合良く解釈する人々が存在する原因は、読解力がないことにあると考える。
目的、趣旨、企業理念に立ち返れば簡単にわかることをやらない。解釈を屈折すれば、自分が得をするマイルールを浸透させることが出来ると思い込んでいるのだ。

昨今、文章のAI化が進んでいる。
確かに、文章を読みやすくするためには有効な面もあるだろう。
しかし、文章は、書く人間が物事を屈折して見ることをせず、論理矛盾する解釈をしない人となるためにもある。
それは、物事を正確に理解する能力を身につけるためであったり、
おかしなことを言ったりやったりしてしまい、周りから人がいなくなる等、かけがえのないものを失わない様にするためでもある。
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仮に、AIを使うのなら、文章を書く場面ではなく、文章のケアレスミスを指摘する場面であろう。
楽したい人に、楽ができるAIが浸透し、いよいよ何も考えない、物事の本質を見極めない人の集団で暮らす日が来てしまうのだろうか。
まともに物事を見る人が異端児になるのか。
ニュースや書き込みを鵜呑みにし、自己都合解釈による虚偽が広まる世の中になるのか。

例え、県跨ぎの移動を否定しても良いと私は思う。しかしそれは、相手の真意を正確に理解し、「県内のスーパーより県外の方が近いから」等の反論がある場合で、
地方公共団体の言い方のせいにするものではない。

例え、環境安全ミーティングを4時間行っても構わない。
しかしそれは、経営理念を理解し、活発な議論となってしまい時間を要したといった場面であろう。
決して、独演会に酔っていた場面ではない。
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私は私の手で全ての文章を書きたい。
他者の発言への疑いと、物事への深い理解は常に持っていたいから。

そうなると、AIは、ケアレスミスや表記ゆれの指摘までにして欲しい。
ただそれでも、作品をより完全なものにする、ケアレスミスや表記ゆれ、更に自己矛盾供述の指摘は歓迎する。

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