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動物と人の違いは、礼儀にある(礼記)〜人を大切に思う振る舞いをしたい

「りりいちゃん、これから大変だね。」
挙式に参列してくださった友人が、ため息混じりに話す。
「りりいちゃんが辛い思いしないように、過剰反応したけど、旦那さんのお父さんの自慢話、すごいね。」
と。私はせっかくお祝いに遥々北海道から東京まで来てくれたのに、自慢話の餌食にされた友人に対し、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、謝り続けた。気がつくと涙が出ていた。私も義父から喰らった親の威厳欲しさに、初対面で繰り広げられた数時間に渡る自慢話と、人を見下すマウント発言を思い出し、辛かったのだ。

別のご参列者が、
「旦那さんのお父さん、りりいちゃんの大切な主賓の弁護士先生に、挙式場で名刺配布していたよ。挙げ句に横にいた親族が、『これで長野県を広められましたね。あはは。』だって。
りりいちゃん、大丈夫?」
と伝えに来る。私は凍りついた。なんてことをしてくれるんだ。固まった私にさらに別の友人が、
「私なら結婚式で義父に名刺配布なんてされたら、旦那にブチギレるよ。なんでりりいちゃん、怒らないの?」
と、癇癪持ちの旦那に話す勇気をくれた。

彼らの振る舞いがあまりにも酷く、多くの人に不快感を与えたことに、私は言葉を失った。
………………
人と信頼関係を結ぶには、1日にしてはならない。
下手なことを言えば、相手に嫌な思いをさせるだろうから、法律の話の時は判例を調べ、裏を取ってから持って行く。
礼状はさることながら、会話は一句一言逃さないようにメモを取る。
話し方、姿勢、立ち振舞、論理的思考を10年も20年も続けて築き上げた関係を、他人は簡単に踏み付ける。ただ単に自分が目立ちたいがために。

私には、お金では買えないかげがえのない、唯一絶対の大切なものが培ってきた人間関係である。
もっとも、親の威厳やマウント欲があることが悪いとは思わない。身内の中でやってくれたらよい。
しかし、それが何故、旦那ご一行ではなく私の大切な人に向くのか。
「凡そ人の人たる所以は礼儀なのである。姿勢や態度 歩き方を正し表情を、穏やかにし、言葉遣いに気を付ける」(礼記より抜粋)。
義父はそれが出来ないお方だと判断したから結婚式前に、旦那に、
「テーブルラウンドは、自分の参列者には、自分の家族が回ろう。行き来はなしで。」
と、約束した。その考えを理解すれば、テーブルラウンド以外でも私の大切な人を踏みつけにしないで欲しいとのお願いが、分かって然るべきであろう。
……………
人との関係は、1つの無礼や、1つの無作法、失礼な1言で壊れ得る。重鎮と呼ばれる先生に払うべき尊厳は、最大のものであるのは当然として、切磋琢磨してより良いものにしなければならない。
それを築くことの重みを分かっていない方は、申し訳ないが私たちの関係に立ち入っていただくことは出来ない。
「自分にも弁護士の知り合いがいる。」
なんて、無資格で何者でもないお方が、重鎮先生にお伝えすべきことではない。ましてや挙式であってはならない。その恥ずかしさを理解せず、親の威厳も何もないだろう。礼記の言葉を借りるのなら、人に値しない振る舞いなのだから。

最後の挨拶で説教じみた演説をし、威厳のために「ありがとう」も「ごめんなさい」も言えない烏滸がましさに、血の気がひく。
「りりいちゃん、あの人たちと付き合っていくと、病気になるよ。離れた方が良い。」
複数人からいただいたアドバイスは皆同じだった。それでも、無礼を受けた先生たちは、
「自分たちのことは良いから、寛大な気持ちで許してあげて。」
と仰って下さった。
………………
義家族といると、私の大切なものが毀損される。せめてその後に謝罪があれば救われるが、威厳を担保するために嫁にそれはなし得ない。
全く異なる生活環境で生き、育ってきた旦那とは、互いに支え合い、思いやり、ふたりにしかつくれない新たな家庭を築いていかなければならないが、義家族と一緒に家庭を作るわけではないから、ここまでだと思った。親として偉ぶりたい欲求は、私や大切な人以外の誰かに与えていただきたい。
しかし、夫が「気取っている」と突っ込むほどに浮足立って、人を食い物にできてしまう彼らにはその意味すら分からないのだろう。

「りりいちゃん、大丈夫?」
参列者たちの言葉の優しさに、涙が止まらない。もうこの優しい人たちの側に、あの方達が寄り付かないで欲しい。
…………………
だから、願いは、ただ1つ。私の大切なものに触れないでもらいたい。

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