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なんかスキ

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よくわからないけど、スキだと直観的に感じた記事を集めてみた。  何がスキなのかは、集めているうちに気が付くかもしれない大笑。
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#エッセイ

E1:午前5時の「お揚げさん」

(2022年4月追記:僕の「おかぐちや」は、この店の屋号から、とりました) 祖父母の家は豆腐屋だった。 2人とも彼岸に旅立ってしまったので、当然店はもうない。 豆腐屋の朝はとても早い。 近くにあった「国鉄」の踏切でさえ、まだ眠っている、 そんな時刻に祖父母はお店を開けた。 小学生の頃、泊まりに行くと、僕は決まって5時ごろ目を覚ました。 普段はそんなに早起きではないのに、 祖父母の家に行くと自然と目が覚めてしまう。 朝5時……僕にとってはとんでもなく早起きだが、 祖父母

【イギリス→山奥→新天地】運命共同体としての家族。君のために何かできるのなら、お母さんは1mmも迷わない。あと、エゴサーチでお父さんに勝ちたい!

「ぼくさ、お父さんと離れたくないな。3人で一緒に暮らしたい。」と息子が答えた。その瞬間に、私の腹は決まった。退職、大学院の休学。1mmの迷いもない。だって、君にとってのベストな選択が、お母さんにとってのベストな選択なんだ。  富田家では、運命共同体としての家族という考え方がベースにある。家族で最優先するのは、息子である。 「息子にとって何がベストか?」を全力で考えると、選択するのは非常に簡単だ。 私にとって、人生のあらゆる選択が、非常にシンプルになった。  息子にとって

投稿するのは何のため?

何のために投稿をするのでしょうか。 何のために書くのでしょうか。 ふとそれを記事にしてみたくなったのは、このところ、「投稿について書かれたみなさんの投稿」を目にすることが多くなったせいだと思います。 もちろん、なぜ投稿するのかを、必ずしも明文化する必要はないと思っていますが、記事にあるみなさんのお考えが、それぞれとてもおもしろくて──では、わたしはわたしなりの「何のため?」を、この機会に探ってみようと思いました。 先にいくつか、noterさんたちの記事をご紹介しますね。

渋谷スクランブル交差点にて - 影みたいに平等に肌の色も上下もなく笑い合った奇跡の操作。

 月並みだけど、光があるから影が生まれる。  それは、光を受ける側に付き纏う。  だから、影は、せめて、不気味なものではなく、美しくあらねばならない。  光源は、背にあるくらいが丁度良い。そうすれば、ボクらは常に自分の影を見ることができる。それが、導きになることだってあるだろう。  影は平等だ。肌の色も関係ない。  本体が、接触を避けても、  影らは、地面という平らなひとつで、  自由に、上下なく、溶け合っている。  上京したての頃––––  初めて渋谷のスクラ

「全然だいじょうぶ」ではない「だいじょうぶ」

「全然大丈夫です!」という言葉を信用してはいけない。 頑張り屋さんは「大丈夫?」と聞かれれば、条件反射のように「大丈夫です」と答える。 本当は大丈夫じゃないのに。 私が「シワもシミもひどくて」と嘆いてみれば、それを聞かされた年下は気を使い「全然大丈夫ですよ」と引きつった笑顔で答える。 全然大丈夫じゃないのに。 前者は相手を心配させないための「大丈夫」 後者は相手を安心させようとする「大丈夫」 今回は後者のパターンの話だ。 例えば私が「私ってブスだよね」と自虐発言をす

日曜日に金曜日の本を(読書記録18)

■金曜日の本サムネイル画像は「金曜日の本」で生成AIが作成したもの。金曜日らしさとは? 今回読書記録をつけるのは、吉田篤弘著、『金曜日の本』。 こちらはエッセイ集である「金曜日の本」、短編小説「窮鼠、夜を往く」、書下ろしエッセイの「九人のおじさん」を収録した本だ。 「金曜日の本」では吉田篤弘さんの幼少期、概ね12歳頃までの記憶が語られる。親戚一同から大人しい子だったと語られる吉田さんは、本当は何を考え、どんなことをしていた子どもだったのか。 子どもの頃に流行っていた遊

女性に言われた一生忘れられない絶妙なフレーズ3選

女性に言われて、なぜだか記憶に残って頭から離れない、恐ろしく力のこもった言葉たちがある。 例えば、大学で一番可愛いと言われていた"えりちゃん"が遅刻してきた時のこの一言。 「えりの"り"は利己的な"り"だから」 どーっんと思わず効果音をつけたくなる。 多少のわがままは黙認してちょうだいと言わんばかりの強気な姿勢に心を打たれる。たったその一言に恐ろしい力が宿っているようだ。 「私、わがままだから」とかではなく、「えりの"り"は利己的な"り"だから」と言うことで、本質的

『アデン アラビア』の冒頭文と、恋から逃走した20歳の私

ポール・ニザン著の『アデン アラビア』を紹介すると、政治思想を語ると思われるかもしれない。ニザンと言えばフランスの小説家・評論家・哲学者にして人民戦線時代の共産党員として有名である。日本でも全共闘世代に支持された作家だ。 でもここでは、そんなことが話したいのではない。 この本は、私の20歳の苦い恋の思い出なのである。 30年以上前、別れた彼氏の本棚から、この『アデン アラビア』を人質として奪ってきた。 以来解放されることもなく、ずっと私の本棚に拉致されている。 まだ20

神保町で「遥か高み」を追いかける決心をする。

文体を変換し、皆の共感を得るのは新生活が始まる今がチャンスだ。きっとそれこそが私を「遥か高み」へと誘うものだろうと考えていた。 「一つ聞いてもいいかい?なぜ私の好感度は高止まりなのだろうか。そこには、もう一段上があるはずなんだ。君は、その答えを知っているはずなんだ。そろそろ僕と君は会わなければならない機会だと思う」 自分の好感度ほど「自分調べ」で良いものはない。自分で高いと思えば常に私は幸せである。欲を言えば、そこにほんの少しの共感が欲しいだけだ。 「会うべき機会ね。あ

友人の孤独を陽気な天秤にかける。

久しぶりの休日に友人の仕事を手伝うことにした。集められたのは別の友人と私の計二名だ。大きな工場の大きな音がする機械の試験を兼ねたメンテナンスをするという。私はもちろん機械を操作するでもなく、その試験の行方をもう一人の友人と精一杯声を出し応援する係だった。 応援とはいえ、時に囁き、時に叫び、時に頷くなど多種多様なリアクションを全力で空気を読み集中しなければならない。今どき「応援に来てくれ」と言われて、本当に応援するだけの仕事があるとは考えたこともなかった。 私達三人は、高校

真冬のオペラグラス

ファントム!ファントム! 今年の大寒もめっちゃ寒かった。1年で1番TRFの『寒い夜だから・・・』を聴きたくなる日だったな。去年よりも確実に寒い気がしたし、ヒートテックとダウンを着ていても全く意味がなかった。 でも、1番は去年の冬のようにマスクをしていなかったからかもしれない。 私は、そんな日にミュージカル『オペラ座の怪人』の来日公演を観に行った。本場ブロードウェイでは、35年のロングランを経て、去年4月に上演が終了したそうだ。本作に触れるのは、子供の頃に児童書籍で読んだの

左右がわからないのよ -道案内の天才、現る- (自由奔放な母、タモヨその4) #039

これまでに何度か、自由奔放なわが母、タモヨについて書いた。 タモヨはたまに、左右がわからなくなることがある。 小学校高学年か中学生くらいの頃、タモヨの運転する車の助手席に座った私は、よく道案内をさせられていた。 当時カーナビはついていたのだが、タモヨは運転に集中するあまり余裕がなく、その指示を聞いていない。そこで、私に次はどっちに曲がるかと聞くのだった。 「次はどっちなの!?」 「左」 「左って、…どっち?」 この人は一体何を言っているのだ。「左」以外に、なんと言え

ホン雑記918「奥に細道」

日曜日の夜に嫁とつるんで再放送の「日曜美術館」を観る習性があるんだけど、昨日のは良かったなぁ。 どうも権威に「ケッ」と思っちゃうケがあるオレは、教え手になった時点でその人はホンモノのその道の人じゃない、と決めつける偏見があった。 クラシック作曲家の中では一番思い入れのある(いうてもそんなに曲しらんが)ショパンも弟子や教え子がいたんでそのへんはまぁ矛盾するんだけどもさ。 ボイトレコーチとかに作詞作曲歌唱する「音楽家」が皆無だよなぁってのがデカいのかもしれん。 で、昨日の日本画

ポストカード・コンテストにテングザル

こんにちは、ぷるるです。 今日、部屋の片付けをしていたら、懐かしいものが出てきました。 私は昔、絵本創作の学校に通っていたことがあります。 学校ではちょいちょいイベントが催されるのですが、その一つに「ポストカード・コンテスト」なるものがありました。 1人5種類のポストカードを作成、1枚100円で売り、その販売枚数を競うという企画。 入校したばかりだった私は張り切って、先ほどのポストカードを作成したというわけです。 当時セミエビをモチーフに選んだ人が、他にいなかったから