![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/145842301/rectangle_large_type_2_20844b7f5843ddec5ab3ae3c25ebdf49.jpeg?width=800)
渋谷スクランブル交差点にて - 影みたいに平等に肌の色も上下もなく笑い合った奇跡の操作。
月並みだけど、光があるから影が生まれる。
それは、光を受ける側に付き纏う。
だから、影は、せめて、不気味なものではなく、美しくあらねばならない。
光源は、背にあるくらいが丁度良い。そうすれば、ボクらは常に自分の影を見ることができる。それが、導きになることだってあるだろう。
影は平等だ。肌の色も関係ない。
本体が、接触を避けても、
影らは、地面という平らなひとつで、
自由に、上下なく、溶け合っている。
上京したての頃––––
初めて渋谷のスクランブル交差点を目の当たりにしたボクは、
「こんなとこ、渡れんのか?(こんな大人数、一気に上手くすれ違えんの?)」
と思い、何度か様子を見てから渡ることにした。
多いときには1回3千––––
1日50万もの人々が––––
この交差点で交じり合うらしい。
ボクの生まれた和歌山県では、
総人口が、いよいよ百万人を切った。
この交差点は、総出の和歌山県民をたったの2日で交差させてしまえるだけのキャパシティを持っている。
1平方キロメートルにつき約6千人という世界屈指の東京の人口密度。それに比べると、地元のそれは数百人––––そんなところで育ったのだから、いきなり上手く渡れる道理がない。
やがて、歩行者信号は何度も青と呼ばれるグリーンに変わっていったが、ボクは呆然と都会の普通という異様を眺めていた。
そのとき、ふと、気付いたことがあった––––斜め前にいるおじさんも、ボクと同じように、いや、もしかするとボクより長く、そこに立ったままでいる。
ボクの観察対象は、交差点からそのおじさんへ移っていった。
とにかく、おじさんの行く末を見守ってから渡ろう––––という意識は、やがて、銭湯の熱い湯船でどちらが先に根を上げるか的な意地に変わっていき、もはや、交差点という場所の意義は本末転倒になり、かれこれ、半時間以上が経過した。
これで最後にしよう––––そう思ったときだった––––歩行者信号が十数回目の青を灯そうとして––––自動車側が赤になる寸前––––とうとう、おじさんが、すぅ––––っと交差点の中心に向かって––––歩きはじめたのだ。
呆気に取られるとはまさにあのこと。
交差点の四方を取り囲む大勢の人々が、まるで魔法でもかけられたように、身動きひとつできず、壁みたいに突っ立っていた。
ほんの数秒だったと思う。
依然、歩き出す人はおらず、ほどなくして、おじさんだけが世界でもっとも大きな交差点の中心に到着した。
なのに––––
結局––––
おじさんは、何もしない––––
ただ、そこに立っただけ––––
失意とも安堵とも取れる溜息などが充満し、誰ともなしに歩き出そうとした––––
次の瞬間、
おじさんが、腰を落とし、
両腕を肩まで上げた––––
(忘れもしない)
それを素早く交差させながら––––
「ファイっ!」
……え?
(もしかして、今のって「Fight」?
レフェリーが、試合の開始時に言う……
あの「ファイっ」?)
スクランブル交差点に、少なくとも千人以上はいたであろう人々が––––
一気に吹き出した。
叫び声には小さなものもあるのだと、初めて知った。アイドリングが連なる中、よく通る声だった。
そうして、続々と、この件についての会話が始まった。
ボクは、やっと、渡りはじめた。
互いの意識が、影みたいに溶けてゆく。
横の人だけでなく、すれ違う人とも
言葉や笑みを交わしたのを覚えている。
おじさんは、人波に紛れて消えていった。ボクは、それを目で追ったが、映画の編集みたいに、人と人がすれ違った狭間にはたと消えてしまった。
今でも、ふと、あの瞬間が頭に浮かぶ。思い出し笑いを浮かべながら、もしかすると、あのおじさんは神様か何か––––この世のものではなかったんじゃないか?––––と、大真面目に思ったりもする。
本当の話だ。
おじさん1人に、千人以上の人間が一瞬で操られてしまった。
ボクが、スクランブル交差点の横断に戸惑うことは、もう、ない。影は溶け合っても、都会の距離感を身に付けたボクは、誰に触れることも、誰から触れられることもなく、すれ違い続ける。
その隙間にこそ、冷静だけじゃなく冷酷が巣喰ってんじゃないか?
––––2018年5月12日
ボクは、最初、mixiの日記で、この話を報告した。その後、一縷の望みを託し、facebookに投稿したのがこれだ。
誰か、あのとき、あの交差点で、同じ瞬間を
目撃した人がいるんじゃないか……
今のところ、そういう人はいない。
で、今回の「note」––––
「3度目の正直」なるか?
【 マ ガ ジ ン 】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?