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#お前の発見を語れ 『ビョーキと 出会えて つかまえて』



5/8ぶんの投稿なら お前の発見にしては
前倒しの早いほうだー。
ギリギリ人生にしては珍しい。


こんばんはー (- ▽ -)


栄養ある食事を三食きちんと作ると
一日中作ってるはめになりました


今日『お前の発見』に
書けるくらいのことを
(主人が)指摘してくれた。

(そう感じるのは私だけだろうか…)


5月は
お前の発見に書けそうな話が
いくつか起こりそうなんだけど…。


通じるように伝えるのは難しくて
上手く書けないですけど、
振り返って書いてみます。


ーーーーー
*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*



私が、12年前くらいに
いちばん人格障害的な性格がひどかった頃に、
(まあずっとピークで酷かったんだけれども 汗)
(※ 現在では 寛解・ほぼ完治しています)

出会ったばかりの主人へ
言ったことがありまして。


(あの、『ごんぎつね』って絵本が
あるじゃないですか。

そのキツネが、いそいそと食べ物を
主人公へ運んでくる部分のみ切り取って
言いました。
運ぶ経緯や動機は関係ないです。)


私「ごんぎつねのように、
こんなに食べ物を運んで来るみたいに
してるのに…」
「こんなに良い子にしてるのに…」
「なにがいけないの?」
「(//-//)」


こんな良い子なのに、が免罪符で
目隠しになっていたのでしょうか。


…でも、実は
言いながら自分でも「おかしいな」
と気づいていたのです。


だって、私は当時、主人へ
言うほど尽くして献上するばっかりの行動は
していませんでした。
むしろ気遣いしてもらってる方が多くて、

確かに私は
アレを買って〜 とか
ココ連れてって とは
要求は言わないものの、

我ながら
そんなにしてあげてる感は無いのに、

「…私は何を言ってるんだろう」

と、首をかしげながら言った自覚があるほどでした。


さらに、主人はなんにもしてないのに、
なにか私側には気にさわるようなことが
あったらしくて、

(今となっては、私は別人なので
他人事のように回想しておりますが… (._.) 恥)


私「なんであやばっかり
いつもこんな酷い扱いにあうの」なんて
ショックを受けて
ふさぎこんでしまったりして、
それを主人へ訴えるというありさま…。


でも今思えば、
過去にはそういう目にあってきたとしても、
主人はそうではないはずなのに、
なんで主人に対して噴出してしまうんだろうと。


しかも主人は親切にしてくれたり、
なんなら「教えてくれてありがとう」ってなことをやってくれてただけで、

私は いったい あの頃なにをそんなに
いきどおってたんだ、って…。


怒りは何かの二次感情だという。
怒っているひとは、困っているひと。
余裕がない人。
かなしみ、さみしさ、とまどい。

もどかしさ。


で、時を経ていま、立場をかえて
私自身が 他人を見たり
他人と接したりした側のときに、

やっぱりそのような現象をみつけたときが
いくつか、複数人、あるのです。


「あれっ?なんだか自己申告とちがう、
理想とは真逆のことをやっているように見えるけど?」

「そういう話ではなかったはずだが…(?)」

「周りの人達はそんなことしていないのに、
どうやらそうされたと感じるらしいな(?)」

「論点が極端にずれていたり、
欲や傷や痛い所から、回避しているみたい」


どうして 何も無い所から
真逆に出るんだろうと(真逆を生むというか)
思っていました。


まるで チャットの
送受信フォルダが
分別されてなくて

全部ぐっちゃぐちゃに
一つの箱にぶちこまれているような…。


しかし それは かつての私が、
主人から言われた

「いいかい?、」
「それは今までのひとたちが
あなたへしてきたことでしょ?」

「それは俺じゃないでしょ?
(俺がしてないでしょ?)」
に 似ていたので

(もっと言えば 私からみて
過去の病理が似た人たちを
私が かばうような発言すらしたりして)

(私は 病気同士で居た方が楽、ぐらい
言っちゃったり)


なにゆえ、現在の当事者間で
起こっていない問題を、
あたかも いまの相手との間の
怒りとしてぶつけるのだろうね。
頼りにしてる相手に対して
おかどちがいではないかね。と
話し合ってみました


そうしたら

「当人同士では文句を言うようなことが
さほど起こってなくても
(おおきな問題はなくとも)」

「目の前の いまの相手は、
ずいぶん沢山 聞いてくれてたし、
助けてくれてても」


「今までの人たちとの、抑圧された、
我慢した、叶えられなかった
行き場のない気持ちが、
受け止めてくれそうな期待と甘えから、
合算されて
言いやすそうな相手へ
愚痴・文句・不満爆発してるのでは」
(だから余計に ごめんね と ありがとうも
言えない)
(ずっと良くしてくれてたのに、
主人の方が 折れない強気に見えてしまう)


たしかに
そ・れ・だー!って なりました。

(°▽°)


今までの人生 総集編 集大成を
たったひとりにぶつける というか…。
(ほかの人へは 出さない)


私でいうなら、過去の人間関係では
言うなりにしかならなかったことも、
黙って従うしかない理不尽さも、


ぜんぶまとめて
このひとなら聞いてくれそうだって
《今までこうだった》と溜め込んだ経験込みで
延長線上で気持ちを主張してたんだなぁ…。


今 目の前に居る人には関係ない過去なのに、
『私はこういう人間だっただけよ』を
やり直そうとしてたのか…


それに、どこか似たような人間関係を
選んで同じ型を繰り広げる所があるかも。


そこに呑み込まれない相手なら
あしらえるのですが、
カウンセラータイプだと
聞けば聴くほど
整理されていくどころか
引きずりこまれて
疵口と ややこしさは深まるばかりです。


あと、この種類の病魔って、
『人間同士の、真の信頼関係』じゃなく
《依存関係に対して信頼している》とこが
あるみたいです。

根拠のない自信というものですかね。


ただ、その依存への信頼を
とっぱらったなら、


そこで遺る感情が
自分でもよくわかっていない
『本当の本物の気持ち』
といえるかもしれませんね!


裸の心というやつを
発見できるでしょうか。



#お前の発見を語れ
#おれたちの発見を語ろう



*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*


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