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トリプルミッション(統合失調症と診断された私が、結婚・出産し、公務員になった話その36)

とうとう洗濯機を買い換えた。親子3人暮らしだというのに、今の今まで、私が大学時代の頃から使っていた、一人暮らし用の洗濯機を使っていたのである。どうりで家族3人分を、三、四回に分けて洗濯しなきゃならないわけだ❗️これからは週末に一、ニ回で家族全員分の洗濯ができる。洗濯して、前から使っている乾燥機の乾太くんで乾かして終わり❗️共働きになってから、洗濯物を外に干すという行為は全くしなくなった。布団類はコインランドリーの大型洗濯乾燥機を使っている。たまには布団くらいは太陽の光を浴びせたいとは思うが、なかなかできていない昨今である。

3月で40歳になる。心身共に、どっぷりと疲れを感じる時、歳を重ねてきたことを切に感じる。「もう、若くはない…」そう呟き、残りの人生、残された時間を、若くないなりに懸命に生きようと心を改めるのだ。体力も気力も若い頃よりはないなりに。勢いで行動したりはできないなりに。若くはないからこそ、積み重ねてきた経験や少しの自信や自尊心や、若い時にはいなかった我が娘という存在を胸に、それなりにやってみよう、と、疲れた重い身体を横たわらせて眠りにつく。

20代、30代の若い時の私は、本当に勢いがあった。統合失調症であろうと、人生を切り開いてやるというガッツに燃えていた。統合失調症だからと、そこで人生を終えたくない、諦めるのは自分らしくないという意欲にみなぎっていた。だからこそ、自分が本当にしたいと思った、結婚、出産、子育て、仕事をしてきた。今考えると、なぜそこまでできたんだろう、と思う。歳を重ねた今、子育ても仕事も、本当にしんどい時がある。それをスタートさせてしまった、まだ若かった、何も知らなかった自分を恨む時がある。統合失調症に、子育ても仕事もできるもんか、土台無理な話だったんだよ、そうやって自分に負ける時がある。それでも老体に鞭打って、また明日からの日々をこなさなくてはならない。若かった自分がした選択に、責任を取らなくてはならない。特に娘をないがしろにするわけには絶対にいかない。

勢いのあった統合失調症患者であった若い自分を、恨む時はあれど、私には地球で生きる上で、数々のミッションがある気がしてならない。そんな勝手な使命感に燃えているからこそ、私はしんどい老体に鞭打って何とか日々をこなすことを続けている。そのミッションは、細かく言えば数多くあるのだが、こと仕事においては、トリプルミッション、主に3つのミッションがあるからこそ、私は現在の正職員としての公務員の仕事を続けるべきだと考えている。

一つ目のミッションは、当たり前だが、純粋に公務員として、公務に携わることである。仕事を誠実に、真面目に果たしていくことである。

普通の公務員なら、その一つだけでミッションを果たしていると言える。しかし、私のミッションはそこだけで終わらない。

二つ目のミッションは、精神障がい者である私が、正職員としての公務員の仕事を続けることで、一つのロールモデルとなることである。精神障がい者の一つの選択肢、道を、自分が開拓していくことである。精神障がい者になったとしても、病状や体調が安定したら、公務員として、社会でやっていく道もあるよ、と、自らが証明しつつ、世の中に啓示するというミッションである。

そして最近、私は三つ目のミッションを発見したのだ。一つ目、二つ目のミッションは、自分のためだけでなく、他の人や世の中のためにも、利益となることだと思う。(←自分がきちんと果たせれば。)しかし、三つ目のミッションは、人のためというより、本当に自分の人生のためで、自分のカルマ的なもの、心残りを取り除くためだとも言える。三つ目のミッション。それは、「私の学生時代をやり直すこと。特に学生時代、上手くできなかった人間関係の課題をやり直すこと。そして、たくさんの人々と本当に仲間になって、楽しい余生を過ごすこと」である。

私は、統合失調症なのに、なぜしんどい思いをしてまで、働くこと、仕事をすることを選んできたかというと、もちろんお金を稼いだり生活を営んでいくためではあるのだが、究極的には、人と交流したいからではないか、という答えに行き着いた。

語弊があるかもしれないが、私が職場に通うことは、学生時代に学校に通うことに、とても似ていると思う。けして優等生だったわけでも、モテガールだったわけでもなく、どちらかというと問題児だった私だが、それでも私は不登校になることはなく、足繁く学校に通っていた。そんな学校に通っていたかつての私と、現在職場に通う私は、とても被るものがある。朝のチャイムと共に一日が始まることだけでなく、学校生活と職場生活は、私にとってとても似通うものがあるのだ。

我が娘も4月から学生時代スタートだ

学校での勉強と、職場での仕事は、全く同じではないが、使う頭は一緒だし、苦手だと思うことも、クリアしなくては次に進めない点も一緒だ。義務のようなものとして、やらなければならないことをこなしていく点も似通っている。大好きで得意なこともある。楽々できることもある。得意なことと不得意なことが入り混じりながら、人の手も借りながらやる点も似ている。そして、人に助けを借りたり、人の協力を得ることが、コミュニケーションに長けていないとなかなか得難いことも似ている。ある程度の器用さがなければ、いろんなタイプがいるクラスの中で、楽しくやっていくのが難しいことも似ている。私は、コミュニケーションがけして得意ではなかった。数々の失敗があった。現在、そんなコミュニケーションでの心残り、カルマを取り除き、また学びを得ながら、課題をクリアしながら、人間関係をやり直していくことが私に課されている三つ目のミッションなのではないか。私にはそう思えてならないのだ。

そんなコミュニケーションが苦手な私でも、いつの時代も、必ず少数は友だちや味方がいてくれた。それは本当に神様の恩恵だと思う。そんな友だちや味方のおかげで、私はどんな辛い時代も乗り越えてきた。学生時代も何とか通学してきた。それは今の時代も変わらない。クソ上司や同僚がいても、理不尽な扱いを受けても、私は何とか通勤を続け、これからもしばらくはやっていきたいと思えている。そんな仲間や味方が、今でも少しずつ増えてきている。仲間や味方は私の「希望の星」だ。そんな星の明かりを頼りに、学校生活を送り、今でも職場生活を送っている。

トリプルミッションがあるから、私は公務員を続けるべきなのではないか、と、勝手ながらモチベーションにして日々を頑張っている。加齢に伴い、辛く、しんどく、若い頃のように勢いがつかなくなってきても、私の生命のろうそくの火がふっと消えてなくなるその日まで、私は自らのミッションを胸の奥に感じながら、これからも生きていくのではないだろうか。そしてそのミッションとは、人のため、世の中のためになることが結果的にあったとしても、そのためだけではなく、何よりも自分の生命のろうそくの火を明々と絶やさないために欠かせないものなのではないだろうか。そしてそれは精神障がい者だろうが、精神疾患だろうが、そんなの関係なく、誰にでもミッションというか、役割はあるはずである。その人の生命を燃やすために課せられたミッションや使命や役割は必ずあるはずだと、私は考える。もう若くはない私だが、自分のミッション、役割に思いを巡らすその時には、胸が熱くなり、生命がみなぎる感覚がしている。そしてその感覚が、例え病気だろうが精神疾患だろうが、力強く生き抜いてやろうと、まだ若かりし時代から私を生かしてきた、導火線のようなものだったのである。それがあったから、子育てや仕事という選択を選んでやってきた。心身が辛くてしょぼくれる日はあれど、それでも、生命のろうそくの火が消えないように、小さな灯火を優しく手の平で包み込むかのような、そんな毎日を送っている。




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