人には長所も短所もあるというのは大ウソだという話
突然ですが、これを読んでくださったあなたは自分の長所や短所を挙げることができますか?
もう、タイトルだけでこの質問が胡散臭さマックスなわけですが(笑)
そうです。
もうお察しの通りです(笑)
例えば、私の場合。
この質問をされたときに、相手にどう返すかと考えてみました。
自分の長所と短所を挙げるとき、
他の人と比べて自分にはどんな違いがあるだろう。
と、まず考えました。
自分の、特徴的な性質に思いを至らせたわけです。
すると、
ボンヤリしてるところかなぁ
と思いつきました。
これはどうやら、短所に分類できそうだぞ、とジャッジします。
また、
言語化が得意なところかな?
とも、思い至りました。
このnoteにあれこれ書いてる時点で、きっと言語化が得意な筈です(笑)
これは、長所かな?
と、またまたジャッジしました。
ここで、思います。
このジャッジは多数決だな、と。
人によっては、ボンヤリしてる人が好きな人もいるでしょう。
その人にとっては、ボンヤリしてるは長所ではないですか。
また、言語化が得意ということは、指摘されたくないことも細やかに突いてしまうということです。
そっとしておいて欲しい人にとっては、こんなの短所以外のなにものでもありません。
人には、長所も短所もないのではないか。
と、私は思ったのです。
そこにあるのは、相手との関係の中での、
合う、合わない。
だけなのではないかな、と。
どんなに多数の人に疎まれる性質であろうが、それは短所ではない。
単に、多数の人とは合わないというだけ。
それなら、合う人たちと共にいればいい。
たった、それだけのことで、
多くの人の、人間関係の悩みや、自分自身が抱える劣等感から自由になれるのではないか。
なんだか、大発見をした気分になった。
ただし。
この話は、他人から評価される長所と短所についての話。
自分自身が思っている
長所と短所
に関しては、全く意味が異なると思う。
先程書いた、私の長所と短所について、
私は手際の良いことが良くて、ボンヤリしてるのは駄目なんだと思っていました。
だから、ボンヤリしてる自分はダメで、なんとかこのボンヤリを矯正しなければと思っていました。
これは、とてもつらいことでした。
言語化が得意な私は、それをなんとか活かしたいと思っていました。
だけどそれをまったく活かせていない自分のことを、やっぱり駄目なんだと思っていました。
これもまた、とてもつらいことでした。
本来、ボンヤリしている自分には、心に穏やかな時間が流れるというとても嬉しい良さがあったし、言語化が得意だから、様々なことを言葉で表現することそのものに、喜びを見出していました。
ただ、
そんな自分である
ことを楽しむだけ。
そこには、初めから長所も短所もなかったのです。
自分で語る自分の長所や短所ほど、悲しくも残念なことはない。
そんなことに、思い至ったので言語化しておきます。