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「社会課題」をアイデンティティに

「いまの若者たちは社会貢献欲がある。」

よく言われていることなのだが、それがなぜかについて深く考える機会は少ないのではないだろうか?

なぜ、社会への貢献を意識してアクションを起こすのか、その背景にあるものを今日は見ていこう。


正解がなくなった社会で生まれた少年少女たち

平成がはじまって間もなく、バブルは崩壊し、不景気へと移り変わった。それまではわかりやすい正解があって努力すればするだけその正解に近づける世界が広がっていたが、このバブル崩壊によって社会のレールが途絶えてしまった。

そして同時に、生まれた瞬間から世界が繋がっていることが当たり前の世界線(デジタルネイティブ)であるからこそ、島国でありながら世界が身近であって、語学やプログラミングなど新しいことも柔軟に取り入れることができ、そこに国境を感じていなかった。

その一方でグローバリズムとネットの発達によってひとりひとりの個人がメディア化することによって様々な場所・立場の意見や課題が見えるようになった。

1日に何時間もかけて水を汲みにいくこどもたち、撃ち合う軍人たち、海に浮かぶ大量のゴミに、崩れ落ちて溶けていく氷など。

世界は確実に豊かになっている。が、「お金を稼げば幸せになれる」という考えはもはや幻想であって、お金を稼ぐためにできた歪みが音をたてて崩れていくのを目の当たりにしていた。


衝撃を与えた9.11と3.11

そして、彼ら彼女らたちに大きな衝撃を与えたのはアメリカで起きた同時多発テロであり、日本で起きた東日本大震災だった。

ビルに飛行機が突っ込む映像はまるでCGのようだが、降り注ぐ瓦礫から逃げまどう人たちは間違いなく自分たちと同じ市民であって、その中で遠く離れた自分たちはいつものように学校に向かうという強烈な違和感を襲った。

そして、2011年3月11日に起きた震災で津波に飲み込まれていく街も同じく違和感と無力さを味わうことになった。

なぜお金を稼がないといけないのか?本当の豊かさとはなんなのか?お金の豊かさの限界を知り、貧困で苦しむ人たちを知り、正解が見えなくなっていた。


社会性という言葉が広まる理由

その一方でボランティアにも限界を感じていた。続けていくこと、そしてインパクトの大きいことをしようと思うとどうしてもお金が必要になる。

でも、そちらばかりを追うとまた同じ悲劇が繰り返されるだけだ。

そんな中で二兎を追う形を生み出していく社会的事業の登場があった。お金を稼げば稼ぐほどその課題が解決の方向へと向かっていく。

アジアの貧困国で製品をつくってそれを先進国の市場に直接高く売ったり、様々な事情で学校に通えない若者にプログラミングを無料で教えて社会に羽ばたかせたり、ホームレスに住む家を提供して社会復帰できるようにサポートするなど世界で多くの成功が見えてきた。

そのような中でただ単にお金を稼ぐだけでも、その場限りの支援ではなく、解決を目指すことこそが自分の生きる意味と捉える若者が増えてきて、結果として考え、行動に移す人たちが増えてきている。

それらは必ずしも他者のためではなく、自分の生きづらさを解消し、自分の生きる意味を見出すためのものでもある。

自分の中にあるマイノリティ性で苦しんだ過去を取り戻すために、何者でもない自分が何か一つ生きる意味の手触りを確かめるために社会の課題を自らに取り込んで、アイデンティティとしているのは高度経済成長期では考えられない発想かもしれない。

でも、どうか彼らの生きる意味を探す大きな旅をそばで見守ってあげて欲しい。時には背中を押し、時には足を揃えて歩き、時には手を引っ張ってあげてほしい。

それがきっと未来を照らす光になると信じて。






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