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【都市部より稼げた】オーストラリアの田舎町で高時給ローカルジョブを見つけた方法

こんにちは。アイエス留学ネットワーク公式アンバサダーの柴田和輝です。

今回は、オーストラリアワーホリをしていたぼくが、日本人があまり行かない地域の小さな街で高時給のローカルジョブに就くことができた時のことを書こうと思います。

仕事を見つけた方法や、その時の気持ちなどを赤裸々に紹介します。


自己紹介


1989年愛知県生まれ。24歳の時に「一生に1回は海外で暮らしてみたい!」と一念発起し公務員保育士を辞めてワーキングホリデーでオーストラリアへ渡る。最初は道も尋ねられないほどの低い英語力だったが現地語学学校やファームジョブを通して英語力を鍛え、ワーホリ2年目にはシドニーのローカル保育園で働くまでに成長。

また渡豪時は資金も十分に無かったが、ローカルカフェやファームでの仕事を通して7ヶ月で3万ドル(当時レートで約280万円)を稼ぎ1年目で黒字ワーホリを達成。

その後、ワーホリ中に出会った看護師の日本人女性と2019年に結婚。世界一周ハネムーンを実現させ、夫婦で35カ国を巡る。2022年に子どもが生まれ、現在は福岡県で暮らしながらワーホリ&留学情報を発信している。



ぼくがローカルジョブをしていた街

ぼくがローカルジョブに就くことができたのは、オーストラリアのウエスタンオーストラリア(WA)州の北東部にあるKununurra(カナナラ)という町です。

カナナラへのアクセスは、ノーザンテリトリー(NT)のダーウィンという町からグレイハウンドのバス、もしくはAir Northという航空会社がダーウィン-カナナラ間の航路を持っています。(2015年当時の情報)

また、カナナラは月の階段で有名なWAの町ブルームとダーウィンを結ぶ陸路の中間の町にあたるので、オーストラリアを周遊旅行している人は降り立つ可能性が高い町です。


どんな仕事をしていたか

そのカナナラという町で、ぼくが就いた仕事はカフェのキッチンハンドでした。

主な仕事内容としては、

  • 野菜や肉の下ごしらえ

  • 皿洗い

  • キッチン内の掃除

正直言って、仕事内容はめちゃくちゃ楽でした。  最初、「この仕事内容でこんなにお金もらっていいの?」とすごく感じたのを覚えています。

労働時間は1日8時間、月曜日から土曜まで働いていました。フルタイムジョブです。

そして時給は、なんと24ドルでした。 ぼくがワーホリをしていた2015年頃は、オーストラリアの最低賃金がまだ16ドル/時でした。

その時代に24ドルですから、時給はかなり良かったです。

当時、シドニーなどの都市にあるジャパレスが時給13〜16ドルで、ファーム仕事が(時給20ドル前後)だったので、それらと比べてもずいぶん高時給でした。

職場の環境

仕事をしていたカフェはとても小さなカフェでしたが、経営は個人オーナーではなく、オーストラリアの大手スーパーマーケット【IGA(アイジーエー)】の直営のカフェでした。

さらに、ぼくにとってとても良かったのは、ぼく以外スタッフが全員オーストラリア人で、がっつりネイティブ英語環境だったこと。

田舎だったこともあり、同僚たちの話す英語の"なまり"がものすごく強く、聞き取るのがめちゃくちゃ大変でしたが、3ヶ月後にはかなり英語力が伸びていました。

カフェの同僚たちとぼく

仕事を見つけた方法

さて、ぼくがどのようにしてオーストラリア人しか働いていない時給24ドルのローカルカフェの仕事に就くことができたのか。

あの時のことを振り返ってみると、ぼくが仕事を得ることができたのは、 「諦めない気持ち」と「人の優しさ」が大きかったのかなと思います。  

そもそも、なぜカナナラへ?

ぼくがなぜカナナラに行ったかというと、最初はファームジョブを探すことが目標でした。
ワーホリのセカンドビザを取得することが主な目的だったのです。

実はカナナラはファームジョブで有名な町。

ただ、実際に行って分かったのですがファームの仕事というのはタイミングや運がすごく大事でして。

町について次の日にファーム仕事をゲットできる人もいれば、2週間、3週間待ってからゲットする人、待ったけど見つからず違う町に移動する人など、いろんなケースがありました。


仕事もお金もない!

そしてぼくはどうだったかといえば、カナナラに来て1週間ほど探したけどファームジョブを得ることができず、ぼくより後にカナナラに来た人が先にファームジョブをゲットして働き始めるなんてこともある状況でした。

  また、カナナラに着いた時、ぼくの貯金は、日本の口座にあった金額も含めて全財産が500ドルくらいでした。(今思えば、ワーホリを完全にナメてました)

ワーホリに来て4ヶ月目、家族や友人はおろか知り合いが1人もいない田舎町で全財産が約5万円です。

500ドルというと、当時は食費を極限まで切り詰めて3週間生活できるかどうかでした。 だからその期間内にどうしても仕事を見つける必要がありました。 

あの時は冗談抜きで「3週間以内に仕事が見つかってなかったら、晴れて人生初のホームレス生活かぁ〜」なんて思いが常に頭の中にありました。

当時泊まっていた宿

シティジョブも探し始める

というわけで、金銭的な問題もあり、ファームジョブだけに頼ってる状況ではなかったので、ファームジョブを待ちながら、カナナラでシティジョブも探し始めました。

シティジョブ探しを始めたのはたしか、カナナラについて9日目くらいからだったと思います。 (もっと早く始めれば良かった笑。すぐファームジョブに就けると思っていた、、、)

カナナラは小さい町ですが、スーパーマーケットやパブ、ホテルも何件かあります。

ぼくはレジュメ(履歴書)を作り、ビジターセンターで町の地図をもらい、手当たり次第にホテル、パブ、飲食店、スーパーマーケットに自ら出向いて、「仕事を探しています。なんでもするから雇ってもらえませんか?」とレジュメを配りなが店の人に声をかけまくりました。  

1日目は10件近く周ったと思います。自転車やバイク、車など持っていないので全て徒歩です。

気温35℃以上のなか、汗だくになりながらひたすら歩きました。

ただ、そんな頑張りも虚しく、行くところ行くところ、面白いようにその場で断られました。

1日目に周ったところはどこのお店も「人は足りてるんだ」と言われるばかり。

たまにレジュメを受け取ってくれて「マネージャーに伝えておくね」と言ってくれるところはありましたが、連絡は来ませんでした。

現実は甘くはないと思ってはいたけれど、やっぱり断られるとヘコみます。

生きていることを感じ始める

変な話ですが、ぼくはカナナラで仕事探しをしている時、現実は厳しいなぁって思うと同時に、「いま生きている」ということをものすごく身近に感じてました。

たぶん、仕事が見つからなかったら生活ができないという、日本で味わったことのない危機感みたいなものをヒシヒシと感じていたんだと思います。  

希望が見えた?

そんなこんなでシティジョブを探しを始めて3日目の早朝。 ぼくは新たな希望の光を見つけました。

その光はぼくが泊まっていた宿の掲示板にありました。

殴り書きで、「仕事を探してる人!受付に来てください。仕事の情報を提供します」 との貼り紙でした。

「おぉ!これはすがるしかない!!」と思い、ぼくはすぐに受付に行きました。

受付にいたのは20代後半の女性のオーストラリア人でした。

ぼくが泊まっていた宿には受付係りが2人いて、1人がその20代後半のオーストラリア人のおねえちゃん、もう一人が20代中盤のオーストラリア人のおにいちゃん。

で、そのおねえちゃんの方がすこぶる評判が悪かったんですよね。
仕事中、ずっとスマホいじりながら接客対応するし、調理器具の貸し出しのお願いとかをしてもすぐ横の棚に鍋が置いてあるが見えるのに「鍋は今無いから貸し出しできないよ」ってあからさまにウソをつくような人。  

逆にもう1人のおにいちゃんはめちゃくちゃ評判が良かった。

なにかお願いするとすぐ対応してくれたし、ぼくを含めた英語が苦手な日本人や台湾人たちにはゆっくり話してくれたり、宿の宿泊者からすごく人気がありました。  

話は戻って、ぼくが掲示板で貼り紙を見て受付に行った時、受付にいたのが評判の悪かったおねえちゃんの方でした。

ぼくはちょっと嫌な予感がしました。 「あそこの貼り紙を見たんですけど仕事の情報ってまだありますか?」と聞いてみると、いつものようにスマホいじりながら目線も上げずに即答で「No」という返事が返ってきました。

「あそこの掲示板に貼ってあるじゃん!」と食い下がりましたが、「そんな紙知らない」と、、、 なんだこのふてぶてしさ!

捨てる神あれば拾う神あり

不愉快さとがっかり感の合わさった気持ちを抱えつつ、「この人に対して粘っても無駄だ」と思ったので、一旦部屋に戻り、今日のレジュメ配りする場所を考え始めました。

そして1時間ほどしてから「よし出発だ」と部屋を出て、街に街に出発しようと歩き出しました。

その時です。受付の前を通ると、 なんと受付係りが優しいオーストラリア人のおにいちゃんに変わってる!!!

さっきは態度の悪いおねえちゃんに「仕事の情報なんてない」って言われたけど、もう1回聞くだけ聞いてみようと思っておにいちゃんに聞いてみました。

すると、「ん?仕事の情報?あるぞ!ちょっと待っとれよ!」とすぐにパソコンでなにやら調べ始めてくれました。 その時点でぼく、泣くかと思いました(笑)  

そして1分もしないうちに、おにいちゃんが教えてくれたのが、のちにぼくが働くことになるIGA(アイジーエー)のカフェです。

その時は、「このカフェでキッチンハンドを募集してるらしいから履歴書持って行ってみるといいよ」と教えてくれました。

その時はまだ、仕事がもらえると決まったわけじゃないですが、その情報を教えてくれたおにいちゃんには感謝でいっぱいでした。

ぼくはすぐにそのカフェに行き、「ここでキッチンハンドを募集をしてると聞きました」と伝えてレジュメを渡すと、カウンターにいたスタッフに「今マネージャーがいないからあとでマネージャーに伝えておくよ」と、どちらともとれる常套句を言われました。

優しいおにいちゃんと仕事募集の情報に浮かれていましたが、実際にぼくを雇ってくれるかどうかは別の話です。

「現実はやっぱり甘くないか」と思い方を落としながらガッカリしながらも、それを引きずってる時間もお金ないので近くのホテルに履歴書を渡しに行くために歩き始めました。

奇跡のTEL

カフェから20分ほど歩いた先にある町外れにあるホテルに向かって歩いていると、滅多に鳴らない携帯が鳴りはじめました。 しかも登録していない番号からでした。

これはまさか?と思い、期待と不安混じりに電話に出てみたら、 さっきレジュメ渡したカフェのマネージャーからでした!

電話口でマネージャーが「すぐ面接したいから今からカフェまで来れますか?」と聞くもんだから、「イェスイェスイェスイェスイェス!!!!!!」ってめっちゃ連呼しました。

仕事が見つからないどころか面接にすら辿り着けない日々が1週間以上続いていたので面接してもらえることが本当に嬉しかったです。

カフェについて無事に?マネージャーとの面接(簡単な質問)を終えると、その場で契約書を書き、「じゃあ来週からよろしくね」と言ってもらえました。その場で即採用でした。

そう言われてカフェを出た後の町の景色がなんと晴れやかで鮮やかだったことか(笑)    

あきらめにずに行動することが大事

そんな流れでぼくは、オーストラリアのカナナラという小さな町でオーストラリア人だけが働くカフェの仕事をすることになりました。

あの時シティジョブを探していなかったら、
あの時掲示板の貼り紙を見逃していたら、
あの時受付を再度のぞいていなかったら、
あの時ぼくより先にカフェにレジュメを出している人がいたら。

そんなことを考えると、たくさんの偶然や幸運が重なって仕事を得ることができたのだと思います。

特に受付のおにいちゃんには本当に感謝です。

後日、カフェから受け取った最初の給料で、受付のおにいちゃんに、彼が大好きなビールを一箱プレゼントしましたが、それくらいじゃ全然足りないくらい感謝しています。 

そしてぼくがビールを渡した時におにいちゃんが見せた「仕事見つかって良かったな」という優しい表情を一生忘れません。


ワーホリをしていると、こういった人との出会い、タイミングや偶然の出来事によって、進む方向が大きく変わってきます。

ぼく自身も今回のカフェのこと以外でも、あの人と会ったから、あの時これがあったからといったことがきっかけで良い経験をたくさんすることができました。

人との出会いと優しさに本当に感謝ばかりです。

そしてなにより、そういったチャンスは「あきらめずに行動し続ける人」にしか訪れないとも思うようになりました。  

自分が誰かにしてもらったことを忘れず、逆の立場になった時にはぜひとも困っている人の助けになってあげたいと思います。

これからもそういう人間を目指し、成長していかなければ、、、

というわけで、今回はぼくがオーストラリアのワーホリ中にウエスタンオーストラリア州の田舎街で高時給のローカルジョブに就くことができた時の話でした。

最後まで読んでくださってありがとうございました。


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