見出し画像

『生命化する機械』と『機械化する人間』

 実は、この投稿の最初のタイトルは、【動くAIアシスタント~広がるaiboの可能性~】というものでした。日経電子版の記事【新型「アイボ」1歳、家庭データの最前線に】を読んで、aiboという卓越したプロダクトの本質的な価値を考えてみようと思ったのです。



 aiboとは何なのか、――エンターテインメントロボット、ペットロボット、コミュニケーションロボット、AIアシスタント……次々に言葉が浮かんできますが、今一つしっくりしません。aiboは、そのどれでもあり、どれでもない……言葉の定義は曖昧で、刺さらない。

 それではと、思考を切り替えて、aiboの構成要素を抽出してみようと思い立ちました。それを最も単純化した形で表現するなら――

▶aibo=AI+ロボット

 
 ――本稿のタイトルを変更しようと思ったのはこの時です。たまにある事ですが、文章を書いていると、文字通り思考がジャンプして、突然、より高い所から俯瞰した風景が見えてくることがあります。それを言葉の連想作用と呼ぶのか、閃きと言うのかどうかは分かりませんが、それがこの時起きました。上記の方程式をさらに一般化する事を思い付いたのです――

▶機械=AI+ロボット
=AIという知能+ロボットという体

 5GによってIoT化が加速し、あらゆる機械が、クラウド上のAIによって知能を獲得する。知能を持った機械は、ヒューマノイド(人型ロボット)であるかどうかは別として、事実上ロボット化していく。例えば、自動運転車は、自動車の形をしたロボットです。実際、ロボットカーと呼ばれたりします。……そして、機械が知能と体を獲得するという事は、言い換えるなら、機械が生命化していく、という事に他なりません――

▶『生命化』する機械=
『スマート化』する機械✖『ロボット化』する機械



 このように、第4次産業革命の時代を、『生命化する機械の時代』と捉えるなら、少なくとも3つの重大な問題が浮かび上がってくると思われます――

(1)『生命とは何か』問題

 機械が生命化すると言っても、もちろん、機械が、生命という概念の構成要素のうち主要なもの(この場合は『知能』と『体』)を獲得していく、という意味で、文字通り生き物になる訳ではありません。

 ですが、社会に占める『生命化した機械』の比重がどんどん高まって、今まで人間が手動でやっていたことがどんどん自動化されていくと、人間と機械との関係は、加速度的に同質化していき、『生命とは何か』という哲学的かつ永遠の問いに対する答えが、次第に明確な輪郭線を描くようになってくるのかも知れません。

(2)『機械の自我』問題

 『生命化する機械』が最後の決定的な一線を越えて『生命』に王手をかけるとしたら、それは、機械が『自我』を持った時だと考えられます。

 機械が、自分で自分を認識して、プログラムによってはじき出された『生成された感情』ではない、自我つまり『心』から発する感情を獲得するような事はあるのでしょうか?例えば、自己保存の本能が目覚めた時などです……

 もしそのような事態になったら、『生命化した機械』は、限りなく生命に近付き、人権ならぬロボット権を真剣に考える必要がありそうです。『自我』のあるものを邪険に扱う事は、自然な人間性に反し、倫理的な問題があるばかりか、危険でもあります(ロボットの反乱、など)。今から70年近く前にSF作家アイザック・アシモフが唱えた『ロボット工学3原則』を復習しておく必要があるかも知れません。

(3)『機械化する人間』問題

 そして忘れてならないのは、機械が生命化するのと同じように、人間が、自らの能力を強化するため、あるいは、不老不死を求めて機械化していく可能性です。

 この分野に関しては――


 ▶人間の機械化

 ① イーロン・マスク氏の『ニューラリンク』
   人間の脳とコンピューター(AI)をなるべく侵襲性が低い手段で
  繋げるBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)の試み。

 ② ドミトリー・イツコフ氏の『アバター計画』
   ずばり、人間の脳をアンドロイドに移植する、というもの。

 そこまで過激でなくとも……

 ③ 『人間拡張』
   情報技術(IT)やロボット技術を使って、人間の能力を拡張する
  という考え方(パワースーツなど)。


 『生命化する機械』と『機械化する人間』、第4次産業革命の時代に起きるであろう事は、今はまだ想像を絶するSFの世界の事に思えても、着実に休むことなく進行しつつある進化の過程なのかも知れません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?