第一章 小学校に入学する前 ①

一、タキシード仮面になりたかった僕

僕の一番幼い記憶はいつ頃か、それはきっと3歳ぐらいだと思う。3歳まではベビーホームに、3歳から6歳までは保育所に通っていた。その中で一番古いであろう記憶はベビーホームの記憶で数人の女の子達と一緒に人形を背負わされいわゆる「おままごと」をさせられたこと。イヤな記憶はいつまでも覚えているもので、しかも実家にそのときの写真もあるせいか、こと鮮明に「イヤだった」のを覚えている。

ベビーホームに通っていた頃の記憶はそれぐらいしかないけれど、保育所に通っていた頃はたくさん遊んだ記憶がある。ただベビーホームでおままごとが嫌いだった僕が保育所に移ったところで大きく変わるわけでもなく、むしろ拍車をかけるほどで、僕はやたらに「タキシード仮面」になりたがった。

平成3年生まれの僕にとって「セーラームーン」はまさにどんぴしゃ世代。友達みんなが何かしらのアイテムを持ち、なんなら「セーラー○○」のコスプレ衣装さえ持っていた。(僕もアイテムを持っていた。)そんな時代のごっこ遊びと言えば、言わずもがなセーラームーンだった。

保育所での自由な遊び時間。3歳から4歳ぐらいまではよく男の子と遊んでいて、保育士からのメッセージには「男の子だけはなく女の子とも遊びましょう」なんてことも書かれた。だから僕は空気を読んだのか4歳以降は女の子たちとも遊ぶようになって、その中でごっこ遊びをするようになった。みんなが「私、セーラー○○やる~!!」と自己申告していく中、必ず僕は「タキシード仮面」を選んだ。

それぞれが、テーマカラーを持ち華やかに描かれていたセーラー戦士たちとは対照的に黒のタキシードに身を包み、舞踏会用の仮面をつけた、名前の通りのタキシード仮面。異彩を放つその容姿はわかりやすく「男」として描かれていたと思う。主人公は女の子たちで、それをサポートするタキシード仮面。女性の社会進出が少しずつ認められてきたそんな時代背景をよく表していたのかもしれない。

たかがごっこ遊び、されどごっこ遊び。子ども達は子ども達なりに集団での役割を認識し、その中で自分がなりたいもの、向いているものを選んだり、「○○ちゃんは△△役ね!」とパワーバランスによって役を決めたり決められたりする。なかなか社会的な遊びだと感心するけど、僕はそういう遊びの中で自ら男として描かれているタキシード仮面を女の子達と遊ぶ時に選んでいた。

ある研究によると、生後9ヶ月で好きになるおもちゃが分かれ、2,3歳頃には男女の身体の違いに気づき、5歳ぐらいには男女による振る舞い方の違い(いわゆるジェンダー)に気づき行動を変容させるらしい。

つまり僕はもうこの段階で男性側の役割を認識し、自分がその役割を果たすことを望んでいたということになる。自分の身体的な性についても理解はしていたはずだけれど、こういう何気ない遊びの中でさえ自分のことを表現していた。そして周りの友達は僕がタキシード仮面を選ぶことに対して何かを言ってきたことはなかったし、子ども達の中でもそれはそれで遊びが成り立っていたんだと思う。

同じようなことで言えば、僕は毎年3月に行われるひな祭りの行事が嫌いだった。ひな壇の前に、男の子は緑のビニールを、女の子はピンクのビニールを着させられて座り写真撮影をする。僕はもちろん、ピンクの服を着させられて、おひな様役。「一瞬のことだからまぁいいけど」とやり過ごしていたが、なんとなくイヤだった。これも間違いなく自分が望む性別役割ではなかったから覚えた違和感で、小学校に入る前から僕の身体の性と心の性の不一致ははじまっていた。


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