人を旅するための地図
子供のころは、かなりの人見知りだった。
でも、同じくらい、そう見られることが嫌だった。
引っ込み思案で相手との間にものすごく高い壁を築いているのに、そういうヤツだと思われたくない。
なんともひねくれている。
転校によって、いじめから物理的に脱出したあとは、それまでにも増して関係の円満性を重視するようになった。
いろんなところで、気を遣い、遣うのが当たり前になると、今度は「自分が遣っているのに遣ってくれないヤツ」に腹が立つ。
でも怒っているとは知られたくないから、笑顔を作ることに努力する。
すると相手は、私の不満に気づく機会を失って、ますます無礼や無遠慮を重ねる。
こんなんでいいのかな、私。
いつか殻を破る日を夢見た。
通りすがりのショーウィンドゥに映る自分を見て、「ああ、今日も足がない」と嘆く蛇。
いつかこの身に足を得て、地を這うものでなく、土を踏みしめて進む自分になりたい。
そう思って、中学を卒業したら、一人で旅に出たいと母に願い出た。
そして、卒業式の夜、夜行列車に乗ったのだ。
足が生えたかどうかいまもわからない。
でも、私はいつのまにか、人と関わることが苦にならなくなっていた。
特に、既知の輪ではなく、知らない人と話すのが好きだ。
初対面の人には、過度に取り繕わず、うまく素の部分とのバランスをとることができる。
バックパッキングをしていたころは、立ち止まって地図を見ると、誰かがどこに行きたいのかと話しかけてくれた。
言葉が通じない国々では、言葉が通じないことを承知で、頓着なく声をかけられる。
安くていい宿を教えてもらったり、ビールをおごってもらったり。
だから、私もそうしている。
外国語が超苦手な私は、話しかけるけど話せない。
通じないけれど、私がそうしてもらったように、相手をそこまで連れていく。
コミュニケーションは、けして語学力だけではなく、伝えようとする熱意と汲み取ろうとする善意によって成立する。
さまざまな事情で物理的にも精神的にも身動きのとれない暮らしになってから、私はブログを書くことも含めて、出会う人との脳内旅を楽しんでいる。
観光ではなく、出会った人との語らい。
土地ではなく、人を旅する。
心がけているのは、「先に」胸襟を開くということだ。
自分の弱いところ、ずるいところ、苦しいところを、先に見せる。
すると、相手も見せやすくなる。
それでも、本心を明かさない人とは、それだけの関係で発展しないし、いずれ自然消滅する。
だから血肉を感じられない「素敵ブログ」には、「金儲けブログ」の次に興味をそそられない。
病や介護でフルタイム勤務が難しく、ずっと正社員でない仕事に就いている。
長期契約は安定するが、嫌だったらその期間だけ我慢すれば済むので短期契約も悪くない。
職務経歴書を見ると、年齢もあるので、その履歴の多さに仲介者や面接官はびっくりする。
その分だけの面接があったわけだが、私は「面接好き」。
旅の暮らしがなくなってから、知らない人と話すチャンスは、新しい会社の面接と、配属された部署の人たちとの関係性の構築くらいしかない。
面接は、人を旅する貴重な機会だ。
採用の仕事もしていたので、こちらも面接官を面接するような気持ちがある。
それがまた面白い。
書類選考が通って「面接」に進むと、やったね!と思う。
どのエピソードをどう話そうかとワクワクする。
ドラマのシナリオを創るように想像する。
そして、楽しい面接は、だいたい合格する。
いまの仕事は、そもそも短期契約で入ったが、予定より延長になった。
時給が安いので秋からは別のところと目論んでいたが、リモートができる環境に慣れてしまったこともあって、ついまた更新を承諾してしまった。
昼休みや、ちょっとした雑談では、先に弱味を見せる。
相手の素を歓迎する土壌をつくる。
だから、わりとすぐに仲良くなる。
幸か不幸か、弱味や失敗にはことかかない。
採用の決め手は、経験と人柄と言われたが、すかさず「えっ、人柄的には私は悪人なのに」と答えると、「そうそう、そういうところ」と返された。
人生において、弱味は強味。
悲惨な経験もまた武器であり、人を旅するための地図。
「 あなたの指で
私に触れて
一枚一枚
ページをめくって
私を旅して 」
読んでいただきありがとうございますm(__)m