鰤起こし ★追記しました。
ピロロンと音が鳴って、テレビ画面に竜巻注意報のテロップが出た。
起きた時からずっと、窓の外はグレーに煙っている。
正午を過ぎて、雨の音が一層強まった。
空が真っ暗になってきた。
朝のうちに、ベランダの竿を下ろし、サンダルを屋内に入れた。
関東平野では、高温多湿な夏が過ぎての秋冬は、晴れて乾燥するというイメージが強い。
西高東低の気圧配置は、いつもの静物画のようにそこにあり、目を見張るほどの変化も驚きももたらさない。
ときどき、間違ったように降る雨や雪は、冷たく暗い空を見せているのに、乾いた都会を潤す「おしめり」などと歓迎すらされる。
今年は台風が少なかったから、ダムの渇水問題も発生しているようだ。
天候や気候の偏りが、人の心に影響を与えるものかどうか、私にはわからない。
だから都会の人は、全部が全部ぎすぎす乾いているとも言われたくないし、北国、雪国の人がすべて寡黙で辛抱強く暗い顔をしているなどと言えるはずもない。
しかし。
もしも原風景というものを持つならば、そこにある空や雲や土は、やはり生涯にわたって、その人の芯の部分をつかさどる何がしかの働きをしているかもしれないとも思う。
その意味で、私はどっぷり日本海の人間だ。
幼い頃の記憶にある冬は、今住む太平洋岸とは真逆で、空はいつもいつも陰鬱な表情を見せていた。
雪が降ればまだいい。
雪が降りそうで降らない曇天が怖い。
ときどき、都会の早朝にも、「雪の降れない」痛い寒さを感じることがある。
ぴしっ!と鞭で打たれるような冷たさである。
ごうと、ごうと。
風と雨が吼えるさまを、そんな言葉で表した詩か物語があったような気がする。
ごうと、ごうと。
秋の終りの真夜中。
雪になればいい、と願った幼い私の心をあざ笑うかのように、トタン屋根を叩く雨音が聞こえ始めた。
はじめはアダージョで。
次にアンダンテ。
そして、モデラートになると、突然アレグロを通り越して、その凶暴な正体を現すのだ。
建てつけの良くない窓や扉や家全体を、魔物の舌がなめまわす。
ごうと、ごうと。
電気をつけちゃダメ、と母が言う。
だから、暗闇の中で、母の指を握り締めて震えている。
雷鳴が地響きとなる。
どこかの扉がバタンバタンと激しく開閉する音が、風の咆哮の合いの手のようだ。
サッシではない窓ガラスが、今にも砕け散るかと思うほど小刻みに揺れながら、稲妻を映している。
ごうと、ごうと。
その咆哮の果てに、海がある。
暗闇の中で握った母の指から、私の記憶は彼女の胎内の羊水を想う。
ここにいれば、こうしていれば、安全なのだわ。
海は、私の味方なのだわ。
きっと大丈夫。
夜が発つ。
魔物は去り、詫びか施しのような土産を残して、雪国に冬を知らせる。
これが「鰤起こし」である。
本来、「鰤起こし」とは、11月下旬から12月中旬にかけての富山湾沿岸に生ずる暴風雨で、その時に伴う雷鳴のことをいうらしい。
このカミナリが鳴ると、鰤が獲れ始めるのである。
魔物の置き土産だ。
人々は厳しい冬の到来に覚悟を決め、同時に海の恵みに期待と感謝をする。
私が、父か母か祖母から聞いたそれは、雷鳴だけでなく、この嵐そのものを指す。
そしてたぶん、この言葉は、富山湾沿岸だけでなく、北陸の各地方で使われていると思われる。
鰤が市場に上がると、人々はこぞって買い求め、「かぶら寿司」というものを作る。
薄くスライスしたかぶら(故郷ではカブをかぶらと呼ぶ)の間に、スライスした鰤を幾重にも挟んで麹に漬けて醗酵させたもの。
冬を実感する食べ物の用意であり、正月に備える気構えのひとつでもある。
(私はこれが好きでない。)
小川未明作「赤いろうそくと人魚」という童話がある。
子供の頃は、年の離れた兄の持つ大人の本しか読む機会がなかったので、私が童話や児童文学の面白さに目覚めたのは、東京で大学生になってから。
読んだのは、もうすっかり大人だったのに、私はこの物語が怖くてならなかった。
それなのに、好きだった。
たぶん、この話に出てくる荒れた海の光景が、私の原風景を呼び起こすのだろう。
小川未明は、新潟県・高田の出身。
人間って優しいのかそうではないのか。
どこまで残酷になれるのか。
誰に対してなら。
どんな事情なら。
異形のものに対する恐怖。
差別をしないことで差別される不安。
かつていじめられた私は、きっとある意味「異形のもの」だったのだろうという意識もある。
しかし、それでもなお、される側とする側の境は曖昧で、どちらにもなりうるし、どちらの心も内在する。
愛と憎悪、絶望と希望は、不安と恐怖を介在として、一人の人間の心に共存するのだ。
まるで鰤起こしの怖さと、そのあとにもたらされる海の恵みのように。
仕事の合間に書いていたら、急に風が止んだ。
雨も弱まり、明るくなってきた。
鰤は来ないが、これからお昼ごはん。
鰤の照り焼きを食べることにする。
★追記
ふと気になった。
なぜ母は、嵐のとき「電気をつけちゃダメ」と言ったんだろう?
停電になって、ブレーカーを落とさないまま通電したときに火事になるかもってこと?
よその灯りがついたのを確認してからうちも点けるのがいいってことだろうか?
でもなんだか理屈じゃない気もする。
母が生きているときに訊いておけばよかったな。
そういうこと、結構ある。
もっと訊いておくんだったと、いなくなってから気づくものなんだよね。
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