見出し画像

#9 あきらめるという選択<定植編>

こんばんは。皆様、本当にお久しぶりでございます。
いかかお過ごしでしょうか。

まずは申し訳ございません。
最初に書いた決意はどこへやら。
更新が止まってしまった理由はたった一言に尽きます。

「農業を舐めていた」

何もこれは農業のせいという意味ではございません。
研修と執筆を両立できなかったのはひとえに僕の器量のなさゆえです。

この度、記事を更新したのは、埼玉での研修を修了し、福島に戻ってきたからです。

一つの区切りを経て、遅ればせながら、この農日誌を再開させて頂きたく、筆を執りました。

当初の計画とはいろいろと変わったこともございます。

順を追って記載致しますが、まずはどんな研修を行ってきたのか、よろしければ、少しばかりの回顧にお付き合いくださいませ。

前回の記事はこちら。

今回は「定植編」です。

始まりの秋

去年の秋にまで遡ります。

いちご農家にとって、秋は始まりの季節。
手塩にかけて育てた苗を本圃に植える「定植」が目前に控えていました。

いよいよ始まるいちごのシーズンを前に、農業の道に進んだばかりの若造はきらきらと目を輝かせ、前だけを見据えていました。

ですから、それまで何かと面倒をみてくれていた兄弟子が「いちごを諦める」と知った時は、まさに青天の霹靂でした。

兄弟子の決断

兄弟子は僕よりも年下でしたが、一年程前、北海道から研修にやってきました。

僕と同じく異業種からの就農で、祖父の農地でいちご始めたいと、熱い思いで両親を説得し、埼玉に引っ越してきたそうです。

僕から見る限り、彼は誰よりも実直で学ぶ意欲に満ちていました。それは師匠が他のベテランを差し置いて彼に農場管理者を任せたことからもよく分かると思います。

そんな彼が、

「本当に一生懸命やったんだ」

研修からの帰り道、そう力なく笑いました。

「でも、この先何十年もこの生活を続けられないと思った」

シーズンを通して、農園の管理者を体験した彼の葛藤を僕が理解することはできません。

「君は成功してね」

彼は最後にそう言葉をかけてくださいました。最後まで自分よりも周りを第一に考える、優しすぎるほどの方でした。

終わりと始まりの秋

いちご農家にとって、秋は始まりの季節であると同時に終わりの季節でもあります。

独立する者、他の農園へ出向に行く者、農業の道から去り行く者。
入れ替わるように、何人かの研修生が新たに加わり、定植作業が始まりました。

ポットから苗を抜き、穴をあけた本圃の培土に植えます。

文字にすると簡単な手順ですが、数ヶ月後、絶品のいちごを実らせるには注意すべき点がいくつもあります。

植える深さ、角度、向き、葉っぱの枚数、クラウン周りの掃除。

師匠はちょっとした妥協や細かい点の見逃しが、そのまま反収と味に直結すると口酸っぱく教えてくださいました。

研修先の圃場は50a以上。僕らは万を優に超える途方のない数の苗を一つ一つ定植していきました。

人間と植物と感情と

一見同じように見える苗たちも一本一本観察すると、全く違うことがよく分かります。

葉っぱが大きい苗、ひょろりと細長い苗、どっしりと構えたような苗。

僕は苗ごとに植え方を微妙に変えつつ、スピードも意識して、作業を繰り返しました。

全ての苗を定植し終えると、まだ始まったばかりだぞと気を抜けない反面、やっぱり少しは瑞々しい達成感が体に広がります。

幼気な苗たちは晩夏の風に揺られ、精一杯背伸びしているように見えました。

そんな様子を見ながら、

「夢追い人は総じて救えない」

こんなことを思いました。兄弟子のことがあったからでしょうか。あるいはそうかもしれません。

自身に対する訓戒であったようにも思えます。ただ、この言葉は不思議と僕に勇気を与えてくれました。

多分、自身のエゴで誰かを喜ばせたいと思うのなら、時には笑われたり、孤独を感じたり、辱められることは覚悟しないといけないのでしょう。

けれど、これがもし自由の対価だとしたら、それは安いものだと思いました。

今ではこう思います。この時、僕が少々ノスタルジックになれたのは暇だったからだと。

季節はゆっくりと、しかし確実に移り変わっていきます。

人間の都合に関わらず植物は生長を続けていきます。

人の感傷も苦難も、植物にはさして関係のないものです。

このあとすぐに、僕は師匠から大目玉を喰らい、植物と向き合うことがどういうことか、とことん思い知ることになります。

次回⇒「遠慮はモルグに捨てて<初収穫編>」



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?