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「敗れざる者」カシアス内藤

人間は、燃えつきる人間と、そうでない人間と、いつか燃えつきたいと望み続ける人間の、三つのタイプがあるのだ

『敗れざる者たち(クレイになれなかった男)』沢木幸太郎

 
 その一節は、喉の奥につっかえる魚の骨みたいにずっと記憶の隅にあった。決して心地の良いものじゃない。時折思い返しては苦々しくなり、酒を流し込まなくてはやりきれなくなる呪縛のような一節だった。なぜなら、僕がその「いつか燃えつきたいと望み続ける人間」だったからだ。

 1 宿命としての人格


 カシアス内藤という男をご存じだろうか? 

 20歳で日本ミドル級チャンピオン、翌年には東洋のミドル級チャンピオンとして一時期名を馳せたプロボクサーである。

 その短い栄光の経緯については、簡単にしか触れられていない。スターとして形作られ、花吹雪とともに散ってしまった選手。たった一度の敗北を契機に、負けが常態化し、やがて日本から追い出されるようにして韓国のむさ苦しいリングの上で戦うことを余儀なくされた選手。ボクサーとしての人生に悲壮感が付きまとうようになり、やがてそれは彼の宿命のようになっていく選手として、ここでは描かれている。

 デビュー以来、連勝街道を邁進している時でさえ彼は常に中途半端なボクシングしかして来なかった。時折、テレビで彼の試合を見ていると苛立たしくなって、スイッチを切りたくなることがあった。追いつめながら、あと一歩でKOシーンだというのに、フッと打つのを止めてしまうのだ

 このノンフィクションを読んでいて否応なしに感じるのは、元ミドル級チャンピオンの弱さ、不甲斐なさ、そこはかとない人生の哀しみである。

 そしてそれは僕の弱さでもあり、不甲斐なさでもあり、僕の人生の哀しみでもある。

 彼が本当の意味で本気になれない人間であることが、読者の僕らにはわかってしまう。内藤には『超越的なものに対する飢餓』がない、と作者は記す。真っ白に燃えつきるための何か。この身を投げうるだけの何か。灰になるまで燃えつきることのできる熱い想い。

 どれだけ資質に恵まれていても、どれだけ環境が整っていても、ダメなのだ。僕らはカシアス内藤に対して尊敬を覚えることはできないだろう。よくいる"タイプ"の一人として誰かの姿を重ね、軽蔑するかもしれない。『そうでない人間』であることの自覚のなさに、僕らは苛立ちを覚える。

 2 燃えつきることのない僕たちは


 ボクシングといえばで思い出されるのは『あしたのジョー』のあのシーンだろう。

 『燃えたよ……真っ白に燃えつきた……真っ白な灰に……』

 ボクシングだけではない。スポーツや、もっといってしまえばこれは人生の憧憬にあたるシーンだ。もしもあなたが何かを望み、何かを成し遂げたいと思っているのなら、不完全燃焼気分を味わいながら夢を叶える場面を想像したりはしないだろう。その時には真っ白に燃えている。燃えたぎった血と高揚があるはずだ。僕らはそれに憧れている。何もかもを投げうって、夢の成就というトロフィーを掴んで高々と掲げることを。

 『ぶんぶんぶっ飛ぶ』瞬間を望みながら、自分の宿命に溺れていくカシアス内藤。『いつか、そういう試合ができるとき、いつか……』

 彼の物語が魚の骨となってつっかかるようになるのは読後しばらくしてからのことだ。 やりたいことがあったのに疲れて眠るとき、自分の惨めさが身に染みながらとぼとぼと夜道を帰るとき、人生の意味を失って何に救いを求めたらいいのかもわからなくなったとき……。

 涙も流せない夜は星の数ほどある。成長のきっかけにもできず、ただそんな夜を溜め込むだけの日々。そんなとき、あの一節が僕の脳裏をよぎることになる。

 人間は、燃えつきる人間と、そうでない人間と、いつか燃えつきたいと望み続ける人間の、三つのタイプがあるのだ

 僕には小説家という夢があった。高校生の頃から描き続けてきて、およそ10年執筆を続けていた。僕は大人になってからも当然、何かを書き続けているものだと思ってた。何かを書くことは僕にとって救いであり、唯一縋り付くことのできる能力だった。

 でも、社会に出てからは何かが僕の中から吸い取られてしまったように物語が遠くなっていった。書くことも、読むことも。いつか何かを書けると思いながら、そのいつかは忙殺と劣等感に食い殺され、いまやどこに向かって走っていたのかさえよくわからなくなっている。

 どうしてこうなってしまうのだろう?

 それは僕も、いつか燃えつきたいと望み続ける人間だからだ。

 3 カシアス内藤


 この等身大のノンフィクションは、人生の物語だ。共感する人もいるし、何が面白いのかわからない人もいるかもしれない。物語というのは、そういうものだ。だからこそ刺さる人には刺さる。

 この動画は輪島功一とカシアス内藤の一戦。僕はボクシングに詳しくなかったけれど、一対一の試合の緊迫感は否応なしに伝わってくる。会場の空気、選手の表情、力と技術のぶつけ合い。意地と、そのあと一歩……。

 「リングに上がる前、本当はオシッコが漏れるくらい恐ろしくなるんだ。上がってもまだ足の震えはとまらない。恐ろしくて恐ろしくて……それがカーンってゴングが鳴っちゃえばもうスーッと恐怖が消えちゃう。おかしいと思うかもしれないけど、そんな時なんだよ。ボクシングっていう時にいつも思い浮かべるのはさ。恐ろしいからやってる、なんていうのはヘンかな? それにリングの上で殴りっこをしてると、とても降りたくなっちゃう。早くリングから逃げ出したいと思うけど、ケリをつけるまで逃げられやしない……」
 「それがボクシングのイヤな点かい」わざときいてみた。内藤は真顔で反論してきた。
 「違うよ。逃げられないから、だからいいんだよ。リングの上に登った時にはもう絶対逃げられないんだ……」

  あなたはカシアス内藤に何を感じるだろう?

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