鯵誕

限界社会人。29歳というのに全然年相応になれず、職場でも必ず孤立する能力の持ち主。

鯵誕

限界社会人。29歳というのに全然年相応になれず、職場でも必ず孤立する能力の持ち主。

最近の記事

紫の霧

 僕の町は紫の霧に覆われている。  紫の霧が僕の町を覆うようになってから、この町に住んでいた人たちはまるっきり少なくなった。  廃墟となった学校、工場、名前の存在しか知らなかった会社。  駅の線路の上を遊び半分に歩き、横転したバスの上に登って空を見上げる。紫の細かい粒子は空を覆い隠し、眠たくなるような幻覚がうつうらうつらと浮かんでは消える。  偉い人たちが僕たちの外出を禁止し、絶対にその霧を吸い込んではいけないと告げる。  でも、偉い人たちは僕たちの町を封鎖した張本人

    • 孤独な独身男性が土曜日の午後、ドライブしながら考えること

       ミクロを突き詰めていけば、マクロになることもあるよな。  (また、わけのわからないことを考えているな。ミクロの意味も、マクロの意味もわかっていないくせに。こいつは地頭の悪さを隠すために、すぐにこういう表現をしたがる)    フライ・フィッシングにはまっている先輩が、出張に向かう車中でそのことについて色々話してくれた。  (先輩、か。正直二人しかいなかったから、また何か変なことを言ってしまわないかずっと不安だった。陰キャオタクは沈黙を怖がり、自ら墓穴を掘る癖がある。だが、逆に

      • 観音様を縁取る桜の額縁 船岡城址公園

         宮城県柴田町の桜並木――。  福島⇔仙台間を結ぶ電車に乗っている際や、4号線を車で通る際にいつもこう思っていた。  「実はこの桜並木はけっこう凄いのでは?」  自分の家から比較的簡単にアクセスできるところにあるため、あまり有難みを感じていなかったのだ。とはいえ、時期が重なるタイミングで視界に入ればやはり圧巻されるところがあったし、電車で福島⇔仙台間を通っていた時分には、これを見なければ春は始まらないといった定番かつ至高の景色として心に留めていた。だから、いつかその桜並木

        • 桜を見る目があるうちに

           富岡町の夜ノ森桜――。2023年4月1日までは、「帰還困難区域(福島第一原子力発電所事故の影響による立ち入り制限区域)」として、バリケードが設置され、立ち入ることができなかった区域。道中のさびれた看板や崩れかけた建物を横目にしつつも、6号線を南下し、夜ノ森駅に到着すると、あいにくの雨にもかかわらず花見客でごった返していた。  雨の影響もありあまり長居できなかったけれど、撮った写真を見返すと雨のしずくがなかなかいい味を出してくれていた。  桜が咲いてくれている期間は思いの

        紫の霧

          山中千尋 「Dolce Vita」

           山中千尋についてまったく知識はなかったけれど、「Dolce Vita」を一聴したら、とんでもなくエネルギッシュで激しいジャズミュージシャンだったことに衝撃を受けた。流麗で鮮烈。一音一音が真珠のように瞬きながら、うねりと激しさを持って聴衆を渦に巻き込んでいく。強く、美しく、萌出するアイデアの海。押され引かれぬはっきりとした個性がある。  衝動買いでパカッとCDケースを開けてみたらなおびっくり。あの「ブルーノート」から出ているアルバムじゃないか。「ニューヨークを拠点に活躍する

          山中千尋 「Dolce Vita」

          大人になれない僕らの

           大人になれない僕らのプレイリスト、というか、大人になることを拒む続け、負け続け、等身大の懐古主義と社会に疲れ切ったオタクの排他的傾向に基づいて作ったプレイリスト。僕に興味はなくとも歌はいいので聴いてください(というか、同じ道を通っている人なら大体知っている)。 1 RAMAR 「Wild Flowers」 1999.11.10  初っ端からなんだが僕はゾイドを見ていない。昔なじみの友人がカラオケで毎度のように歌うからそらんじてしまえるほど覚えてしまった。    「急に

          大人になれない僕らの

          僕らが見つけることのできる小さな宝物

           教訓のない物語が好きだ。あるがままに、自然で、ありきたりな物語。しかし、そこには確かに個性があって、偶然河原で光る小石を見つけたみたいに心の片隅の小さなスペースに大事にしまっておくことになる。  J・D・サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』  9つの物語は人生の道すがら、ひょっと出てくる懐かしい看板に見たいにあなたの心を捉えるかもしれない。  例えば『ド・ドーミエ=スミスの青の時代』や『テディ』では、昔なじみの感情や哲学が綴られていて思わず顔を赤らめてしまう。  

          僕らが見つけることのできる小さな宝物

          常態化

           人から嫌われることが常態化すると人はどうなるのか。まるで実験台にされているみたいだ。  結局のところ変わらないでいるのも自分の意志だし、他者の感情だってある意味では自分で選び取ったものなのだ。好むと好まずと関わらず。  まぁ、どうでもいい。とにもかくにも生はまだここにある。  語るべきことは何もない。ベランダには蜘蛛の巣がびっしりと張ってある。  蝶は捕食され、物干しは気の毒な糞にやられ、鳥は甲高くさえずる。  僕のサンダルは僕のものであることを放棄し、一人頑なに

          石川紅奈「Kurena」

           ジャズは夜の音楽だ、とスタン・ゲッツは言った。夜はダークで、憂いがあって、そしてあらゆる自由を孕んでいる。石川紅奈の声はまさしく夜の声だ。楽器のように音色豊かに響く声。自身が弾くウッドベースは、音楽に重みとリズムをもたらす。深まっていく夜に潜るには、これ以上ないくらいにぴったりな組み合わせだ。  ボーカリストとしての石川紅奈を聴きたいなら3曲目の「Bird Of Beauty 」や5曲目の「Off The Wall」もいいけど、夜に深く沈みたいなら4曲目の「Olea」がい

          石川紅奈「Kurena」

          夜空に瞬く痛切な瞬き

           これほど密度の濃いジャズオーケストラ・サウンドはほかにあるのだろうか。一つ一つの楽器が明確な使命と役割を持ち、スリリングでサスペンスに満ちた謎と伏線が積み上げられ、ギル・エヴァンスの作り上げる秩序の中で綿密な調和を練り上げていく。  一切の無駄がなく、痛切なまでに研ぎ澄まされた音の旋律は聴き手の想像力を鋭利な刃物で突き刺すように刺激する。その音楽的構想のスケールの大きさと、精密で幻想的な楽曲の創造力は、凡人の頭では決して扱い得ないものだ。どれほどの時間、労力、慎重さを要し

          夜空に瞬く痛切な瞬き

          僕が一人の少女となって少女小説にときめくとき

            冒頭のこの外見描写だけで百点である。吉野信子の『紅雀』。1930年代に刊行された小説の復刊である。  人物描写や風景描写が美しく、日本語小説としても素晴らしい。  そのうえ、「名著」や「最重要古典」なんて謳い文句に誘われてがっかりする必要はなく、この小説にはエンターテイメント性がある。  物語の筋はこうだ。両親を亡くした少女(まゆみ)とその弟は、偶然のきっかけから由緒ある男爵家の元に引き取られる。男爵家は懇切丁寧に二人を預かり、世話をするがまゆみにとってはそれが苦痛で、

          僕が一人の少女となって少女小説にときめくとき

          カップリングの妙? キャノンボール・アダレイwithビル・エヴァンス

           ビル・エヴァンスの名盤としても、キャノンボール・アダレイの名盤としても率先して名前が挙がりにくいアルバムではあるが、何とも心愉しく愛聴できる絶品の一枚だ。叙情的で内向的なビル・エヴァンスのピアノが、大らかで愉悦的なキャノンボール・アダレイのアルトサックスにほだされ、音楽がもたらす自由と快楽を純粋に享受しているように響く。  強すぎる自己葛藤も頑迷なまでの自己もここでは鳴りを潜めている。あたかも仕事帰りのピアノマンが旧友とばったり出会って、行きつけのバーで一杯――気が向いて

          カップリングの妙? キャノンボール・アダレイwithビル・エヴァンス

          生き延びた先に何がある?

           おいおい、そんなこと真顔で聞かないでくれよ。頭がおかしくなったのか?  ……知ったこっちゃないね。ともかく、俺は勘定をしなくちゃならん。ガキを大学に入れるために、カミさんはぎゃあぎゃあ騒ぐんだ。子供には立派な教育を受けさせる「義務」があるとか、そのためのあんたの稼ぎが少ないとか、そのせいで俺は立ち食いそば屋のトッピング一つ付けられやしない。冗談じゃないぜ、あんた18時間ぶっ続けてトラックを運転したことがあるかい? いったい俺に何を求めてるってんだよ。  幸せかって? 考

          生き延びた先に何がある?

          闇、という感受性

           久し振りにサイモン&ガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』を聴いた。    Hello darkness,my old friend.I've come to talk with you again・・・   ハロー、僕の旧友よ。また君と話しに来てしまったよ・・・     ポール・サイモンがこの曲を書いた1963年、折しもアメリカでは黒人の公民権運動の波が高まっている頃だった。彼の大学の無二の親友も白人運動家として熱心に参加していたが、その年の夏、行方不明とな

          闇、という感受性

          欠陥品 

           脳みその機能が一つか二つ、欠乏し、それだけで現代社会で生きるためのノウハウが永遠に、致命的に失われてしまったように感じる。ぼんやりとした靄が吹き溜まり、その靄の中に手を突っ込んで何かを――いままでは問題なく見えていたはずの何かを――探そうとしてみるけれど、結局のところ自分でもそれが何かわからない以上徒労に終わるオチになる。機能を終えてしまったんだ、と僕は悟る。もう動かなくなってしまった古代文明のからくり人形みたいに。まるでポール・オースターの『オラクルナイト』みたいだと思う

          欠陥品 

          心の一端の安寧を、いまさら他人に求めている

           繁華街の脇道で一組の男女が座り込んでいた。派手な髪色とぎらついた装飾品。微笑みには荒んだ傷痕が垣間見え、煙っぽい空気を感じたが、肌寒そうに身を寄せ合う様にはどこか微笑ましさがあった。私は奇妙な親近感を覚え、窓ガラスに映った自分の姿に絶望した。それまでの好意はいとも容易く敵意に変わり、御守りをくずかごに捨てるがごとくその場を立ち去った。    自分の心が憎しみで構成されていることを認めたくはなかった。別に聖人でいる必要はない。ただ、まともであるだけの良心は持ち得たはずだった。

          心の一端の安寧を、いまさら他人に求めている