僕が一人の少女となって少女小説にときめくとき
冒頭のこの外見描写だけで百点である。吉野信子の『紅雀』。1930年代に刊行された小説の復刊である。
人物描写や風景描写が美しく、日本語小説としても素晴らしい。
そのうえ、「名著」や「最重要古典」なんて謳い文句に誘われてがっかりする必要はなく、この小説にはエンターテイメント性がある。
物語の筋はこうだ。両親を亡くした少女(まゆみ)とその弟は、偶然のきっかけから由緒ある男爵家の元に引き取られる。男爵家は懇切丁寧に二人を預かり、世話をするがまゆみにとってはそれが苦痛で、ついには家出をしてしまう。しかし、その偶然にはまだ続きがあって……というお話。
家出してからの展開には二転三転があって、そう繋がるのか……おぃ伏線なんて張ってあったんかいと、昔の小説だと舐めてかかっていたらころころころころと掌で泳がされまくり、ついには一人の少女が読書という行為にのめり込むみたいにして読み終えてしまった。読後感はスッキリしていて、久し振りに良い読書体験ができたなと思えた。
しかし、何よりも夢中にさせられた要因はストーリーというよりやはり主人公「まゆみ」のキャラクターが際立っている点にある。王道だが、古くさくなく人間味溢れる。漫画やラノベ作品と並べても、十分先頭に立って戦えるレベルじゃないだろうか。
先に「苦痛で家出をした」と書いたが、その苦痛はまゆみ自身の自尊心の高さが原因となっているものである。元は裕福で立派な家の出だったまゆみは、人生の不幸に立ち合い、他人の家の居候という身分になる。教養があり、馬術や音楽の才にも秀でている。しかし、その環境の中ではどこまでいっても籠の中の鳥……それが彼女の自尊心を常に傷つけてしまう。そんな自分の傲慢さと狭量さに折り合いがつかず、ついには家出をしてしまうのだ。その過程が、安易にラベリングされたキャラクター像から一線を画す。人の優しさに触れながら、自分自身を御しきれない若さ故の衝動、怒り、哀しみ。周りの登場人物の心の動きも丁寧で、一辺倒にまゆみに対する見方を描いていないのが良い。そこには当然生じる揺れ、呆れ、憎しみ、個人の情念がある。
まゆみという人物の解像度が高まったいま、僕がいま読みたいのは「紅雀」の二次創作である。誰か書いてください。
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