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闇、という感受性

 久し振りにサイモン&ガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』を聴いた。 

  Hello darkness,my old friend.I've come to talk with you again・・・

  ハロー、僕の旧友よ。また君と話しに来てしまったよ・・・   

 ポール・サイモンがこの曲を書いた1963年、折しもアメリカでは黒人の公民権運動の波が高まっている頃だった。彼の大学の無二の親友も白人運動家として熱心に参加していたが、その年の夏、行方不明となり、数週間後に黒人2人とともに惨殺したいとして発見されることになる。アメリカのヒットチャートにのり、本人の許可も取らずに音響を加工された「サウンド・オブ・サイレンス」は、その死の深い悲しみと怒りから生まれた曲である。

 世界は絶えず激震していた。黒人の公民権運動に加え、ケネディ大統領の暗殺、ベトナム戦争の泥沼化……。戦争の火種は至るところで爆ぜるように飛んでいて、その鬱々として暗い空気をどっぷりと吸いこんだ社会が人々にどのような影響を与えていたのか想像に難くない。もちろん、悪いことばかりではないとは思う。宇宙到達の夢、ビートルズの登場。その時代にだって、日進月歩で進歩する技術や進化があった。いつだって暗澹とした影を振り払う明るいニュースがある。少なからず、そう思うことで僕らは日々の生活を続けられる。
 
 こう綴っていくと、いまだって同じような時代なんじゃないかと思ってしまう。首相の暗殺があった。もう起こることはないと思っていた戦争が起きた。日本は中国とは絶えず敵対しているし、社会の不安の種をあげようとしたらきりがない。決して安寧を手に入れた現在ではない。でも、不思議なことにというか、現代に「闇」という感覚はない。僕がそのサウンド・オブ・サイレンスに共鳴していたのは確かにその時代が生み出す「闇」や個人の心に生まれる「闇」を掬い上げてくれているという感覚があったからだし、それが僕のパーソナルな部分でもあった。手の届かない暗所。言葉にできない暗鬱。いつもそばにあり、すぐそこにありながら、まるで蜃気楼のように捉えることのできない急所の部分。

 どうしてかはわからないけれど、いつしかそんな感覚は薄れていった。闇、という言葉の中に含まれた実感をいまでははっきりと思い出すことができない。暗く、澱んで、他の影響を寄せ付けず、しかし、どこか温かかった。絶対的に不変的で、唯一自分の身を預けられる繭の中にいるように。それは太陽の温かみではない。闇が醸し出す個人的な匂いに満ちた温かみだ。僕はそれを忌避するのと同時に救いを求めてもいた。

 例えば「こんな時代の中で」とか、「こんな錆びついた世界で」といった歌詞も昔は共感できていたのに、いまではなかなかピンとこない。もちろん、この2024年にそういう表現を使うことも間違っていないと思う。2024年には2024年の闇があり、そこに住む人々が抱える闇がある。それでも、僕はいまひとつそうした言葉に寄り添えなくなっている。消えるはずのなかった闇が、こすりとられ、拭い去られ、いまではただの頑固な染みのようになっている。闇、というのは感受性が生み出す幻なのか? 永遠に閉じ込められる個人の牢獄のようなものではなかったのか? 社会人になって、すり減っていく感受性の中で、当然のごとく消えてしまうものなのか?

 別に残念だ、と思っているわけではない。ただ不思議なだけだ。あれだけ深遠な謎だった闇が、いまでは懐かしい旧友のように感じていることが。いまそいつはどんな顔をしているのだろう? 何を考え、何を主食にして生きているのだろう? 都会のネオン・サイン、地下鉄を待つ間のふとした静寂。名前も知らない他人の表情に刻まれた何か。鏡の中の自分。あるいは、ぼうっと過ごしている休日、そいつは予期せぬ来訪者のようにやってきて、僕に何かを問いかる。僕にはもうその言葉がわからない。それを掬い上げる道具を見繕っているうちに、すべては沈黙の中に沈んでしまう。

 もしもそいつがまたやってきたとき、今度は僕の方から語りかけてみよう。そうして、虚空に向かって話しかける異常者が生まれるのかもしれないけど。

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