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大人になれない僕らの

 大人になれない僕らのプレイリスト、というか、大人になることを拒む続け、負け続け、等身大の懐古主義と社会に疲れ切ったオタクの排他的傾向に基づいて作ったプレイリスト。僕に興味はなくとも歌はいいので聴いてください(というか、同じ道を通っている人なら大体知っている)。


1 RAMAR 「Wild Flowers」 1999.11.10

 初っ端からなんだが僕はゾイドを見ていない。昔なじみの友人がカラオケで毎度のように歌うからそらんじてしまえるほど覚えてしまった。
 

 「急に泣き出した空に声を上げ はしゃぐ無垢な子供たち
  慌てふためく大人をよそに 遠い瞳で 虹の橋描いている」

 なんていい冒頭なんでしょうね。シンプルなアコースティックギターの音色が郷愁を誘い、あの頃の僕に語りかけてくる。MVもいい。社会にという沼にどっぷり浸かった大人からすれば、大道芸人風の男は落伍者なんだろうけど、僕はただただ純粋に羨ましい。風の音、芝生の匂い、川辺の子供たちのはしゃぎ声、眩い景色を向かえ、沈みゆく夕陽を見送る――。こんなの原風景過ぎる。正直これほど泣かせにきている音楽はないんじゃないかと思うくらいだ。僕だってその景色の中に飛び込んでいきたいのに……。

※と、記憶頼りで書いた後にyoutubeで動画を漁ってみたが、あのカラオケ映像のMVはなかった。覚えている人いますか? ピエロが主人公のMV……。

2  千綿ヒデノリ 「カサブタ」 2003.4.23


 言わずともしれた社畜号泣ソング。 千綿ヒデノリの曲が聞きたいのにMusicCenterやAmazonでもデジタル販売していないから、令和6年のこの時代についCDで衝動買いしてしまった。

 大人になりたい僕らのわがままを一つ聞いてくれ
 寝ても覚めても縛られる時間を少しだけ止めて

 切に願う。本当に。 

 大人になりきれない僕らの不平や不満、自分に対する憐れみや諦め。何だかそんなものまで背負って叫んでいるように聴こえてしまうんだよな。ただノリのいいポップソングだと思って聴いていたのに、この年になって聴いてみると重みがまるで違う。どうしようもなく、「そうはなれなかった大人の歌」に聞こえてしまうのだ。といっても、そんな意図はもちろんないのだろうというか、中高生の背中を押す歌であっても、中高年の絶望に寄り添う歌ではない。ある種の嘲笑や冷笑を身に受けながらも、それでも前を向き、自分を信じていくための歌だ。それなのに俺のカサブタは、完治しないまま膿んで、臭って、心の根まで腐らせようとしている……。

3 和田光司 「Butter-fly」 1999.9.22

  無限大な夢のあとの何もない世の中じゃ――

 こんなの子どもの世界から大人の世界に足を踏み入れてしまった人間を虚無へ誘う文句じゃないか。なぁ、こんな世界で俺たちは何も思って生きていけばいいんだ――なんて、頭を抱える歌ではもちろんない(個人的な鬱病は発症してしまうのだが)。

 音が重厚で、トンネルを抜けて景色が一変するようなイントロが好きだ。

 曖昧な言葉って意外に便利だって叫んでる ヒットソング聴きながら

 この一節も良い。別に本物偽物優劣をつけたいわけじゃないけれど、本当に心を動かす言葉に出会う機会はすごく少ないのだから。

 けっこう歌詞がイカしているというか、人生に対する懸念や挫折を前提にしながらも、人の願いや想いの力を肯定し、突き進んでいこうぜと促すような表現が多い。ポジティブで情熱的。広がる無限の世界は胸の内にある、みたいな。
 この曲は「カサブタ」を歌っている千綿ヒデノリが作詞作曲をしている(カサブタも作詞作曲は千綿ヒデノリ)。この人の肯定感の出し方はほかのとは違って信用できるというか……。君がいるから頑張れるみたいなことも言ってこないし(俺にとっての君はいつになったら現れるんだよ)

4 OxT 「UNION」 2018.11.07

 比較的最近の歌だけど、このプレイリストに載せても違和感がない。

 眼を覚ませ僕らの世界が何者かに侵略されてるぞ

 完全に比喩。自分の世界が社会や常識、他人に侵略されていることへの。
 さて、そろそろ自分の頬を叩いて闘いに行きますか、という気分にさせてくれる。少年心をくすぐるツボを押さえ、ストレートに心を上げさせてくれる。比喩的表現だと思って聴くと結構深く、メッセージ性もある。結局自分で自分を退屈させているのは自分なんだってね。わかってはいるさ。まったく。

 音楽の魔法が聴いているうちは、この世界はもっとシンプルで、行動一つで何かが変わりそうな気持ちになってくる。社会人1、2年目の頃にこの歌と出会い、一聴して好きになった。いまでもずっと好きだけど、あのときに感じていたわくわく感とは別の動悸がずっと騒いでいる。

5 FIELD OF VIEW 「渇いた叫び」1998.5.20

 なんだかんだ一番好きかもしれない。タイトルからして良い。「渇いた」叫び。そこはかとなく哀愁があり、何だか切ない。秋風が落葉をかさかさと攫うような音がする。

 冷めていく想いは どうしても否めないけど

 僕はこの一節が好きだ。好きで好きでたまらない。(その後に「恋に落ちて変わってくのも良いね」と続けられると、変わりたいなら変わりたいものだよと思ってしまうのだけど)

 この曲に関しては完全に大人目線の歌だと思う。あのときの誓い、祈り、叫び……そんなものが日々の忘却に攫われ、等しく「渇いていく」さま。その切なさがどうしようもなく愛しく思うし、哀しさとなって空虚なこの胸を貫く。

 渇いた叫びが――

 別にシャウトしているわけではないのだけど、どうしようもなくこの歌声が心の脆い部分に突き刺さって抜けなくなる。ただ前を向くだけのことが難しい人生だ。普通になることが、まともになることが難しい。そんな人生の拠り所となってくれたのが「夢」であり、混じりっけなく美しいと感じた芸術への「憧憬」だった。だけど、そんな想いすら冷めていく。集中できなくなっていく。価値を感じられなくなり、手垢のついた消耗品に思えてしまうことだってある。そんな切なさと、僕は同化してしまう。叫び出したくなる。――声の出ない、渇いた叫びとして。

6 WANDS 「世界が終るまでは…」 1994.06.08

 かなりロマンチックな歌だと思うけど、個人的にそこまで「色」のついた印象はない。むしろ、それは夜空や星々に向けるような純粋なロマンチックさだ。

 大都会に僕はもう一人で 投げ捨てられた空きカンのようだ

 戻らないときだけが なぜ輝いては やつれきった心までも壊す…

 人生において失っていくものを数え、そこに後悔を見出してしまう日々とリンクしてしまう。孤独と、薄汚れていく心と、空しさと。世界という大きな器と、ちっぽけな自分一つの存在ではまるで釣り合うはずはないのだけれど、否応なくその対比に呑み込まれてしまう夜はきっと誰にだってある。あるはずだ。

 誰もが望みながら 永遠を信じない
 なのにきっと 明日を夢見てる

 この表現も良いです。僕はWANDSをあまりよく知らないから、初めはビジュアル系だとすら思っていたんだけど、世間のレールから外れた非モテオタクにもなかなか刺さることを言ってくれる。
 意外といってはなんだけど、歌詞の一つ一つをけっこう丁寧に歌い上げていて、その言葉を深く味わうように咀嚼することができる。なにげに温かい音色。自分の座標を見失いそうな夜に、還るべき場所を見つけるために聴くこともある。――喪失の穴を埋められるわけではないのだけれど。それでも救いは音楽を聴くという行為その中にある。

7 UNISON SQUARE GARDEN 「シュガーソングとビターステップ」 2015.05.20

 最後は明るく終わろうとこの曲を持ってきた。まぁ、何はともあれ躍ろうよ。

 と、自分を騙そうとしたところで現実の僕はyoutube内で彼らが躍っているのをただ呆然と眺めて涙を流しているだけである。いや、こんなにノリの良い歌で絶望を味わおうとしているわけではないんだけど……。

 何かが上手くいったときや、少しは未来が明るく見えてきたときに聴けば気分も上がるんだけど、本当に落ち込んでいるときにうっかり聴いてしまうと嘔吐してしまうかもしれない。動画の中の世界と現実のギャップがありすぎると、身体が拒否反応を起こしてウイルスバスターが発動してしまうのだ。こういうのは使用上の注意をよく読み、用途用量を正しく守って服用しなければいけない。踊り方を知らないままにダンスホールに立ったって怪我をするだけだから。
 曲は本当に良いです。

 こう綴っていくとやっぱり懐かしいなぁと思うのと同時に、自分が年を取ったことを自覚させられる。UNIONでさえ6年前……シュガーソングとビターステップは約10年前……というか、世界が終るまでは…に関しては生まれてすらなかった。鬱病が加速するぜ。

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