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父の日や母の日なんて無くなればイイ

まえがき

こんにちは。明日葉 ありすです。

家族について考える全ての方に読んでいただきたい記事、としてアップしています。
そして、虐待サバイバーさんの多くがきっと、このタイトルのように感じていらっしゃるのではないかとも思い、書いています。

皆さんが考える「親子」って、どういうものですか?
子から見た親の存在とは、どれほどの物だと捉えていらっしゃるでしょうか?
少々長い文章になりますが、一緒に考えて頂けたら嬉しく思います。

庇護されるべき存在

よく、「親の庇護ひごのもとに育つ」という言い方をします。
辞書によると庇護とは、「かばい守ること」と説明されており、類語として“保護”“擁護”が有ります。
それぞれ、“外からの危険・脅威・破壊などから、かばい守ること”“侵害・危害から、かばい守ること”と解説されています。

言い換えれば、子どもにとって親や家庭は、愛され安心して成長する為に、危険や脅威、破壊、侵害などから守られるのが当然の権利として与えられているべき場所とも言えます。
特に小さい子どもにとっては、親や家庭が世界の全てですから、そこが安心安全な場所で無ければならないのは、ごくごく当たり前では有りますよね。

皆さんは、どうですか?ご自身の小さかった頃を思い出して、照らし合わせてみるといかがでしょうか。
時おり叱られる事や厳しくされる事は有っても、親や家庭は安心な場所でしたか?

庇護されない子供たち

親や家庭からの庇護とは、危険や脅威、破壊や侵害などからかばい、守られることだと理解できたところで、被虐待児について考えて頂けたらと思います。

被虐待児が晒され続けている特殊な環境は、センセーショナルに報じられるニュースからだけでは、理解しにくいだろうと思います。
この“庇護”という言葉が持つ意味を中心に据えて考えていただくと、少し分かりやすくなるかも知れません。

被虐待児が置かれている環境は、庇護とは真逆です。
常に、危険や脅威、破壊と侵害を親から受け、晒され続けている状態と言えます。

通常考えられる親子関係とは、大きくかけ離れています。
かばい、守ってくれるはずの存在である親から、危険や脅威を与え続けられているわけです。

それは、身体的暴力に限られたことでは有りません。
「バカでダメな人間」「役に立たない人間」「愛してもらえない、愛される価値のない人間」と思わされ続ける精神的虐待も含まれます。
目の前で、片方の親や兄弟が暴力を振るわれる様子を見せ続けられる事も含まれますし、性的虐待やネグレクトも存在します。
複合的な虐待が行われることも多々有ります。

そのいずれも、子どもが「個」という存在を持ち、嬉しいも悲しいも怒りも持った「1人の人間」である事を否定し続ける行為です。

逃げられない子供たち

「そんなろくでもない親からは、早く逃げれば良い」

前項まで何となく理解してくださった方から、時々聞かれる言葉です。
もちろん、被虐待児もある程度の年齢に達し、自分から親元を去る選択をする人も居ます。私もそうでした。

ですが、その行動に至るまでが想像を絶するほど困難で有る事を、ご理解いただけたらと思います。

前項までで、2つの点が出てきました。

・子どもにとっては、親や家庭が世界の全て
・その親から危険や脅威、破壊と侵害を受け続け、晒され続けている状態

想像してみて欲しいのです。
子どもにとって、脅威を受け続け、晒され続けている状態は、最初から当たり前のように用意された環境なので、自分の置かれている状況が異常だと分からないんです。

これが戦争であれば、明確な敵が存在して、命の驚異に晒されているのは理不尽だと感じることが出来るかも知れません。
ですが虐待の場合、自分の命に脅威を与えているのは、最も愛してくれるはずの親で、それが当たり前な環境なのです。

シェルターである筈の家庭が戦場です。
よく戦後PTSDが問題になりますが、被虐待児の多くが直面するのもPTSD(複雑性PTSD)だ、という事実には、本当に頷けます。

ICD-11

絶対的な存在である親から危害を与えられ続ける弊害

子が親の愛情を求めるのは、生き物として自然な姿で、それはDNAに刻まれている本能です。
ですから、子は必死に親の愛情を求め、より小さな赤ちゃんであれば、親の気を引こうと泣いて訴えたりします。

この本能を満たせないばかりか、そんな思いは踏みにじられ、徹底的に叩き潰され、時には身体的暴力や人間性を否定することばかりされ続けていたら、どうなるでしょうか。無抵抗な子どもにとって、それは命に対する脅威に他なりません。

自己肯定感など当然のように無くなっていき、愛してもらう事を知らないので、自分を愛せなくなり、人との距離感も分からなくなり、抑圧され続けてきた感情を、どう扱って良いか分からなくなります。

愛着の障害、とか、認知の歪み、と言われるもので、虐待の後遺症として発現するこれらの症状は、生涯にわたって被虐待児を苦しめ続ける事になります。

時には“複雑性PTSD”を発症し、小さい頃に自我が耐えられなくなった子たちは“別人格”という形で自分が完全に壊れる事を防ぎ、“解離性同一性障害”を発症します。
パニック障害や双極性障害、摂食障害などを併発するケースも珍しく有りません。

上記のような問題が根底に存在するため、通常の仕事に従事することが困難で、貧困に直面する人も居ます。
人との距離感や愛着が分からないため、大人になってからもDVや性被害に遭ってしまう人も居ます。

親は敬い大切にする存在であるという正常性

たまたま命を落とさなかった私達、虐待サバイバーにとって、父の日や母の日といったイベントは苦痛でしか有りません。

親から身を隠し、住民票の閲覧に制限をかけたり、時には分籍して自分の心身を守らざるを得ない私達。
普通を享受してきた人達が基準になった様々な事(イベントに限らず)に触れるたび、自己肯定感の低い私達虐待サバイバーは、健常な人達が喜びとする事を喜べない自分を、間違った存在のように感じてしまいます。

本当なら
「父の日や母の日なんて無くなればイイのに」
なんて考えたくは有りません。

お母さん、産んでくれて有難う。
お父さん、一生懸命にお仕事してくれて有難う。
何も難しく考えず、普通に言ってみたい。けれど、叶わぬ思いです。

親を心底恨む人が増えないために

虐待されている環境が、渦中の人にとっては当たり前の環境で、そこから逃げるという思いに至れない。むしろ「愛されない私はダメな子」と、自分を責める事でバランスを取ろうとする。

そんな子供たちが、奇跡的に命を落とさず、サバイバーになった時。
至る考えは、悲しいものばかりです。

親なんて早く死んでくれればイイのに
一生涯消えない障害を負わせられた
私はただの子どもで、私は悪くなかったのに、どうして
なぜ今でも、その時の場面をありありと思い出して死ぬほど苦しくなるの

私の著書でも書きましたが、今まで書いてきたように、虐待されている側が逃げ出すというのは、非常に困難です。
また、虐待している側が「虐待しちゃうんです、助けてください」と誰かを頼っていくことも、ほぼ皆無です。

ですからどうか、不自然に感じる親子や子供たちを見たら、児童相談所虐待対応ダイヤル「189」に電話をする事をためらわないで下さい。
その行為は、密告などでは有りません。
かけがえのない命が、これ以上悲しい目に遭わないために。
そして、私達のように苦々しい思いで「父の日」や「母の日」を見なければならない人を、少しでも減らす為に出来る行動の1つです。

SDGsについて考えました
だけではなく、行動できることが無いか探す機会になってくれたらと、心から願っています。

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