気づいたら2ヶ月たってました。 その間、色々あったりしましたが、とにかくエネルギーの解放が激しくて、いつもの目覚め体験のときみたいに、身体の疲労が半端なく、動くのがやっと、という感じなんですが、マインドは楽なので、しんどいのかなんなのかよくわからなくなってたら、まあまあ瀕死レベル、と言われたりしていました。 肉体的解放は、春分まで続く、と言われていて、確かに大分終わりに近づいてる感はこの数日で感じられるようになりました。 以前も書きましたが、今年の春分は現実が反転する、と
一回目の目覚め体験の後、いきなり歯が壊れて、穴が空いたことがありました。 しばらくして歯医者で治療してもらって、神経は残したけど、大分削られて、そこから3日間、叫びそうなほどの激痛で、寝れず、食べれずでした。 そこから色々過去世の呪い、だったり、人の念とかが浮き上がり、解放してるうちに痛みがなくなり、再診の日になっても、リーディングで、治療しない、になったので、放置しました。 4年くらいたって、悟り体験直前にやっと、治療する、と着たので、別の歯医者に行ったら、悪化しているか
悟り体験というと、自分が悟ってる存在と言ってるみたいで違和感なんですが、悟る人間はいず、一つの意識だった、というのを思い出すための、目覚め体験という言い方が今一番しっくりくるのかもです。 とりあえず、去年の夏から続いていた体験も、昨日また節目を迎えたようで。 ずっとマハラジの言う、 「誰も生まれておらず、死んでもいない。」 と何回も繰り返される言葉が、覚醒してるときにはもっと深くわかってるような気もする、と思いながら、まだ腑に落ちないな、と思っていて、ここ最近は、全然わかん
スピリチュアル感覚は、大きく分けて、視覚型、聴覚型、体感型、とあると思うのですが、私は何故か視覚がとんと伸びず、元々聴覚が強いと言われていたのが、10年前くらいの目覚めの経験以来、体感がダントツで伸び続けて、エネルギーの唸りが強いと中々普通の生活が難しいレベルまでになってしまいました。 元々春分、夏至、秋分、冬至とかは特にエネルギーが強くなると言われてますが、ここ何年かは、常に強いんだけど、それは私の感覚だけなのかなー、と思っていたのですが、今年は冬至辺りから、寝ても寝ても
価値観が合う、合わない、とかよく言いますが、そもそも価値観ってなんですかね。 価値があると思うもの、というなら、「私」一つ以外ないでしょ、という促しがあって書いてるんですが。 悟りなんて結局全員悟ってる、ということをよく聞きますが、私は小学生の頃からずっと、 「なぜ頭の声と、自分が話す声は違う内容を話すんだろう? 同じ自分と言われても、正反対のことを言うのはなぜなんだろう?」 とか 「運命が決められてるなら、登校中に私が2歩下がるのも決まってるのかな?」 とか考えて立ち止ま
あけましておめでとうございます。 新年早々に悲しいニュースが続いていて、なんとなく不安な気持ちでいる方が多そうな空気感ですね。 私はテレビもパソコンもない生活のため、圧倒的に情報が少なく、気持ちがそれに左右されることは少ない、というか今は特にないのですが、多分そういうことを言うと、冷たい人間とか、情報を集めることが大事、と思われる方も一定数おられると思います。 今誰かに何かを思われることは特に怖いことではないですし、大地震を経験したこともある身としての経験談として、被災者で
この記事は、前回の記事の前日とかに、書いて欲しい、という感覚があって途中まで書いて保存していました。 今苦しんでいる方々が少しでも楽になりますように🙏 なんとなく、源さんのことを書くことを急かされてる気がします。 私に伝えたいことがあるような。。。 あまりにも辛いから辞めたいって言ってる気がするけど、それは私が夏の間ずっと思ってたことでした。 多分ですが、彼は同じような苦しみを過去世と呼ばれるような記憶で感じたことがあって、それは私が素直に気持ちを伝えずに亡くなってしまっ
昨日は久しぶりに、集まり的な夜遊びの日でした。 昔はそういう場が好きで、楽しいかどうかより、人といたい、という理由で遊んでいて、結局そうでもなかった。。ということも多かったです。 ここ数年は、ガッツリ自分と向き合わされてきたので、友達もいなく、外食自体が珍しくなりました。 仕事場の忘年会で、バイトで参加したのは私入れて4人だけだったので、ほとんどアウェイで知らない人だらけでしたが、特に緊張することもなく、普通に楽しく一杯ご飯食べれて嬉しかったです笑 普段社員さんたちと同じ
体験前の私は、すごくスピリチュアルで、スピリチュアルを極めれば真我にたどり着くと信じてましたし、そうすれば、ツインレイとも結ばれて、人生が薔薇色になると信じていました。 それが闇落ちみたいに真っ逆さまに堕ちて、毎日今日死ぬかも、という恐怖と身体の衰弱を感じる中、私は何を間違えたんだろう、という考えが何年もグルグルと回っていました。 体験が始まってから、まあそりゃそうか、という納得にはなりましたが、その時はMAXで覚醒していましたし、全ての疑問への答えが瞬時に来るから、飽きた
やはり体験後は、脳の書き換えがどんどん浸透していってるのを感じていて、感情の浮き沈みとは無縁の一カ月だった気がします。 その前は浮き沈みが少なくなってきつつも、現状が変わらないことへの苛立ちだったり、ほんとなのかなって疑いが残っていて、この現実はやっぱり嫌だなって受け入れられない部分があったと思います。 それが、嫌な現実なりに、会う人たちの優しさで、そこまで嫌な現実ではなくなっていて、例えば、もっと時給いいとこで働きたいな、とか、もっといいとこ住みたいな、だとか、そういう当た
悟り体験期間の間は、一切の外部との接触がなく、たまに散歩中に触れ合う犬の飼い主さんたちと少し会話する程度だったんですが、それが明けてからは、バイトも細々と始めて、溜まっていた事務的な用で役所へ行ったり、ハローワークに行ったりと、本当に普通の日々になってました。 そして、悟りが開けてみたら、冗談じゃなく、全部失くしていて、スピリチュアルだったときも、手放しなさい、と生徒さんたちにも散々言ってきましたが、全部手放しなさい、とは、ほんとのほんとに全部なんだなぁ、と、今更ながら思って
悟り体験について思い出すように促されているので、書ける範囲で書いてみます。 今までは、悟り体験なんて、特別な人というか、私の記憶では、少なくとも男性の覚者しか本を読んだことがないですし、悟りを語っている方も、それは覚醒体験の悟りの一瞥であって、悟ったとは言わないのでは。。って方がほとんどで、本当の意味で悟りを知っている、と思った方は、やはりかなり少数の印象です。 最近はノンデュアリティ、という体験をする方も出てきて、何冊かさらっと読んだことがありますが、やはりそれは悟りで
ツインレイの私なりの解釈の続きを書くと、ツインレイは本来たった一人の究極の相手、という受け取り方が基本だとは思うのですが、ただ、全存在が源だとして、その中で、たった一人、というのも何か違和感があったというか、覚醒体験をしたときに、私🟰全存在、という感覚が腑に落ちて号泣した経験があり、余計に、それなら全員じゃないのか?という疑問にもなりました。 そして、転生があったとして、一人に一個の魂が生まれ変わる、という考えも私的には不自然で、結果魂は全部の存在を包括して一個しかないんじ
その彼と話すと、常に欲しかったメッセージをくれて、話した後に必ず、すごく古い記憶が蘇ってきていました。 地元の食べ物屋の話をしたときも、前回話してそこのことばっかり思い出すんです、と言ったら、 「シナプスが繋がったんですかねー。」 と言われ、予想外の返事にビックリしたりとか。 そして、段々彼と会うことが苦しくなってきて、一回ちゃんと話したいな、と思って、 「私共鳴体質で、コロナ時期にすごくしんどかったんですが、〇〇さんに会ったときに、体があったかくなって、元気になったんです。